⑫自白作用
騎士団の演習場へと向かう王宮の回廊。
俺とニチコの横を歩くエミリーは、周囲に人がいないことを確認すると、改めて鋭い視線を俺に向けた。
「ハナ兄さん、念を押しておきますが。今回の演習場での手合わせ、絶対に勝ってはいけません。無様に負けて無能さを証明するのです。分かりましたね?」
「分かってるよ。辺境に追放されて、可愛い花たちと平和に暮らすためだろ?」
「そうです。……というか、本当のところを言えば、兄さんが有能だとバレて、私の手の届かない遠くへ行ってしまうのが嫌なんです」
「え?」
エミリーはふいっと視線を逸らし、ギュッと自分の制服の裾を握りしめた。
「昔から、無能だけど私にだけは優しかった兄さんが、変わってしまうのが寂しくて……。他の人たちに認められて、私よりずっと立派になってしまったら、もう私なんかに構ってくれなくなるんじゃないかって、すごく不安で……っ。だから辺境で、ずっと私だけが兄さんのお世話をしていたいんです」
「……ん?」
今、とんでもなく重くていじらしい本音が漏れなかったか。
俺が立ち止まると、エミリー自身もハッと口元を押さえて目を見開いた。
「なっ……私、今、なんて恥ずかしいことを……っ!?」
「エミリーちゃん、お兄ちゃん大好きで素直で可愛いですー!」
俺の背中にぴたりと張り付いていたシーラが、エヘヘと無邪気な笑声を上げた。その瞬間、シーラの体からふわりと甘い花の香りが漂う。
間違いないな、シーラの自白作用が働いているんだ。
「エミリー、お前、自分が最近やけに情緒不安定だった理由に気づいてなかったのか?」
「え……?」
「シーラ(シクラメン)の蜜と香りには、嗅いだ者の警戒心をドロドロに溶かし、心の奥底に隠した本音を強制的に引きずり出す『自白作用』があるんだよ。師匠が言ってた」
「じ、自白作用……っ!?」
エミリーの端正な顔が、みるみるうちに沸騰したように真っ赤に染まっていく。
彼女の優秀な頭脳が、これまでの自分の奇行を一瞬でフラッシュバックさせたのだろう。「一番無能になるのが怖い」と泣きじゃくったこと。シーラにあっさりと絆されたこと。そして今、心の奥底に秘めていた不器用なブラコン気質を完全に暴露してしまったこと。
「あ、あああ……っ! そういうことですか! あの時からずっと、私はこの歩く自白剤に脳を侵されていたと……っ!」
エミリーはワナワナと震えながら、分厚い魔導書を両手で構えた。
「えへへー。エミリーちゃん、顔が真っ赤で可愛いです」
「シーラ……あなたって人……いえ花はっ、私の尊厳と理性を返しなさい!」
回廊でひとしきりドタバタと追いかけっこをした後、息を切らしたエミリーは、真っ赤な顔のまま眼鏡をクイッと押し上げて冷酷な判断を下した。
「……計画変更です。シーラは、私と留守番しています」
「ええーっ、ハナ様と一緒に行きたいですー!」
「駄目です。こんな歩く自白剤を連れて騎士団の演習場に行けば、ハナ兄さんとニチコさんの卑猥な妄想が暴走したり、演技だってことも露見する可能性があります」
確かにな、色々めんどうなことになりそうだ。
「私たちは自室に戻って、心のケア……いえ、反省会をしています。兄さんはニチコさんと二人で演習場へ向かい、きっちり無様に負けてきてください」
そう言い残し、エミリーはシーラの首根っこを掴んで回廊の奥へと消えていった。
後に残されたのは、俺と、早く男たちに囲まれたくてハァハァと息を荒くしているドMの女戦士だけだ。
俺は一抹の不安を抱えながら、演習場の重い扉を押し開けた。
高い壁に囲まれた広大な演習場は、良く乾いた土埃の匂いがした。
水はけの良さそうなグラウンドだ。園芸には少し養分が足りないかもしれないが、センニチコウであるニチコにとっては最高の環境だろう。
見渡せば、早朝から鍛錬に勤しむ屈強な騎士団員たちが、掛け声を上げながら汗を流していた。むさ苦しい男たちの熱気。まさに戦場である。
「はぁっ、はぁっ……っ!」
隣を歩くニチコの呼吸が、急激に荒くなった。
切れ長の瞳を潤ませ、自分の両腕を抱きしめるように身をよじらせている。
「この、むさ苦しい男たちが……一斉に、寄ってたかって私を痛めつけにくるというのかっ! ああっ、なんと野蛮で過酷な環境なのだ……っ!」
完全に発情していた。
こんな調子で『無能の証明』などできるのだろうか。一抹の不安を覚え、俺は慌ててニチコの耳元で囁いた。
「いいかニチコ。俺たちの目的は完敗することだ。攻撃を食らったら、上手く痛がる振りをするんだぞ」
「痛がる振り、だな。任せておけ。主様の命令とあらば、この身が張り裂けんばかりの苦痛を完璧に演じてみせよう」
ニチコは自信満々に親指を立てた。不安しかない。
「おお! ハナ王子、ニチコ殿! よくぞ来てくれた!」
俺たちの姿を認めたユルキが、満面の笑みで駆け寄ってきた。
そして、鍛錬を続ける騎士たちに向けて、よく響く声で檄を飛ばす。
「総員、手を止めよ! これよりニチコ殿との手合わせを行う! よいか、全力を出してもニチコ殿の絶対防御には傷一つ付けられん! 怪我を恐れず、遠慮はいらんぞ! 持てる力のすべてを彼女にぶつけよ!」
「「「おおおおおっ!!」」」
ユルキの煽りに、騎士たちの闘争心が爆発した。
彼らは一斉に木剣を構え、あるいは初級の攻撃魔法の詠唱を始め、凄まじい気迫でニチコへと殺到する。
ドゴォッ! バキィッ!
四方八方からの打撃と、爆発の熱波がニチコを包み込む。
見事なまでの集中砲火。さあニチコ、打ち合わせ通りに『弱々しく痛がる演技』を見せてくれ!
「ああっ……! やられたっ、なんという激痛っ!」
ニチコが甲高い声を上げ、その場に膝をついた。
よしよし、大げさだが悪くない倒れ方だ。そのまま降参してくれ。
「あんっ! もっと……もっと私を激しく痛めつけるがいい……っ! こんな生ぬるい風では、私が弱いと証明しきれんぞっ!」
「……え?」
「おふっ……! 乾いた土埃が肌を擦る感触、最高……いや、辛すぎるっ! ああ、服が破れて肌が露わになってしまうというのか……っ!」
ニチコは芝居がかった手つきで自分の胸元を押さえながら、クネクネと艶かしく腰をくねらせた。
頬はピンク色に染まり、全身からは恍惚とした熱い汗が噴き出している。
本気で痛がる演技をしようとすればするほど、彼女の極度のドM体質が邪魔をして、ただの『悦びに悶えるあられもない喘ぎ声』に変換されてしまっていた。
──ピタッ。
演習場から、一切の音が消え去った。
あれほど威勢よく攻撃を仕掛けていた数十人の騎士たちが、全員その場に硬直していた。
木剣を取り落とし、口を半開きにして、身を捩って喘ぐニチコの姿を食い入るように見つめている。彼らの視線は完全に釘付けだ。
まずいぞ、別の意味で目立ってしまっている。これじゃあ逆効果だぞニチコっ。




