じゅうぶん大変な事になっておるのだぞ
メタルナアイーツ降下がはじまって5日目。
本日の天候、快晴……時々メタルナアイーツ。
とある子供部屋で、リリムは憤るマダオを見た。
マダオの前にある洗面台、その蛇口から間断なく流れる無色透明の飲料物にしてエイチツーオー。
ゴキンと、生活では聞き慣れない音がした。
捻じ曲がった蛇口を見たリリムが唖然とする。
奇行……はいつもの事だ。
だが、彼の闇雲に荒ぶる様子や感情的な所作は珍しかった。
何より人の邪気を視認できるリリムには見える。
既に相当数のメタルナアイーツを降らせて消耗した筈のマダオの身体からゴボゴボと膨れ上がる邪気。色に例えるならカーボンブラック。喉越しに例えるならば、ホッケの背骨。
「なんで……まだ水道水が出るんだよ」
ぼそりとした声量に、凶暴な何かが潜んでいた。
「は?」
本当に検討もつかない言葉には、返せる言葉なんてない。
この数日、マダオの隣に控えていた彼女にもまるで理解が及ばない発言だった。
怖い。いや、怖いのだろうか。
悪魔であり、異界の存在であるリリムだ。悪徳を糧に生きる真正の邪悪である彼女だ。それが、今、端的にそう思った。
「メタルナアイーツだぞ!? 獲れば勝ち組!! 奪い合うだろフツーは!! なんでまだマットに働いてる奴がいるんだよ!! クレイジーか? クレイジーリーマンなのかっ!?」
「えぇ……」
じゅうぶん大惨事になっておるんだぞ。
リリムは内心そう思った。実際、ヤバい。マダオの行動は、壊滅力と確実性の観点ならば歴代の魔王の中でも飛び抜けている。
彼女の心境としては、問題はマダオの暗躍の方だった。
この数日、リリムは頑張った。
マダオに暗躍はやめる様に進言し、悪徳を得る有用性も懇切丁寧に話した。自身の飢餓を訴えて懇願もしたし、胸も揉ませた。だが……無駄だった。
リリムは思う。
では、なぜ……私は今もメイド服を着ているのだろう。
「あ、慌てずとも……マダオ様の考える状況もまもなく訪れるでしょう。それに、今こそ名乗りのチャンスでは御座いませんか?」
何度も説いた話しだった。
これほどの大混乱の首謀者だと名乗れば、集まる憎悪は天文学的だ。暗躍をやめ、犯人と知られた時に世界中から浴びる悪徳があれば、世界の1ダースや2ダースは簡単に滅ぼせるだろう。リリムが悪徳不足の飢餓感に喘ぎながらもマダオの元を離れないのは、目の前に極上のご馳走がチラつくが故だった。
しかし、マダオの返事は変わらない。
どころか、しきりに『それでは意味がない』と呟き、目は血走り、握った拳から血が滴っている。標準装備だったはずの小馬鹿にした態度はなく、何より、いつもの様なセクハラの一切がないという異様さ。
「そう…‥ですか。そうですよね」
リリムは、冷めた声でそう言った。
潮時だ。彼女にとって、ここにいるのはもう時間の無駄でしかない。
……
「時が来た……」
いつもの倉庫にマダオが現れた。
黒木はその様子を見て、深く息を吐く。
「影武者としての依頼だな。内容は?」
「ここに20メタルある。これで戦力を整えてお前が魔王を名乗れ……どこか適当な県の1つも陥落させるぐらいがちょうどいい」
抑揚のない声だった。
「……そうか」
黒木はマダオの様子をつぶさに観察する。
大きな変化を感じた。その理由にも大方の理解ができたが、いまはよそう。
重要なのは、黒木には断る選択が無いという事実だった。
彼に許される事は、マダオが満足する範囲の結果。もしくは、満足する結果に『見える何か』しかない。
付け加えるならば、あれから黒木の成果は芳しくない。
多くの裏組織が内部崩壊をする中で、黒木と部下だけが連携の取れた回収を続けられたが、メタルナアイーツの降下数が半減したのが手痛かった。
飛行可能な部下Aや自身、他の者で広域の観察を行おうにも1日あたり首都圏10個のメタルナアイーツを回収するのは至難の業である。
降下先に偶然居合わせた者が潰してしまう。
そんなシーンを何度も見た。そのくせメタルのないところでもメタラー同士の争いが頻発、メタラーを減らす事が明日のメタルに繋がるという慎ましい努力である。
「よろしいのですか?」
部下の1人が案じる。
県の制圧、魔王を名乗る……どちらもが、あまりにも強大なリスクだった。
「お前も、分かるだろう?」
黒木の言葉に、部下Aは苦笑する。
やはり無い。こんな状況だからこそ、この人に従わない選択などあり得ないと。




