子供部屋の魔王
数日前、全ての元凶は首都圏……とある子供部屋にあった。
「ああ、この世界はクソだ。終わってる」
歪 マダオ《ひずみ まだお》は独りごちた。
自称29歳と366日の無職の男、マダオ。これまでの彼はこの世界の全てを憎み、社会に噛みつき、親のスネにも噛みついて生きてきた。
そう、つまるところ、終わっているのは彼の方である。
「貧困、格差社会……差別にイジメ、社会に出れば非道徳的企業」
「ああ、終わっている。これだけの問題が長年放任され、今や嘆くことさえSNSのネタにされる始末……」
マダオは相応に弁が立ち、頭も悪くない。
今の発言も狂言とは言い切れないが、現実は彼が就職氷河期にネット広告の怪しげなブラック企業に入社、社畜をした幾年前の鬱憤から派生した発言でしかない。
努力は苦手だったが、地頭は良い。それなりに動けるタイプの肥満体型。
恋愛以外には努力さえ不要であり、恋愛は努力をするだけ無駄である。
「 法律もクソだ。人が壊れてから動き出すくせに『仕事しました顔』で判子を押す」
「会社をクビになった問題社員とかが、いい例だ……強制自己都合退職でも、壊されたやつの人生は終わったままなんだ……社会的な致命傷くらい受けていきやがれよクソ企業の元上司!!」
私怨である。
「へぇ、では貴方はなぜその社会に所属を?」
突然背後から若い、女の声がそう言った。
「はっ、コレ(タバコ)とコレ(命)だよ。文明に頼った人間ってのは生まれながらに社会の隷属者だ!! 野生じゃ3日と生きられないほど脆弱、生水で腹を壊すし日焼けで動けなくなるほどだ。……で、依存症で操られる奴隷であり値上がりにも逆らえない……ん?」
マダオは振り返り、目を丸くした。
右手のタバコを天高く掲げ、左手で胸を鷲掴むという、独自解釈の社会への隷属ポーズのまま正面の女性を凝視する。
「んんっ、あぁ……やはり、です。素晴らしい邪気をお持ちですね……これほどの邪気、歴然の魔王様が霞むほどの......ああぁ、素晴らしい!!」
女は息を荒げ、頬を赤らめている。
マダオの造形。その外を、なぞるような視線。まるで、何かがマダオから溢れ出ているかのように。
「あんた……誰?」
学習机に座るマダオ。
その後ろに立つ女性はハロウィンのコスプレ……にしては、その衣装のクオリティが高すぎる。マダオは不法侵入を咎めるか、この美女を目の保養とするかを逡巡した後、後者を選んだ。
薄紫のロングヘアー。
小顔に凛とした目鼻立ち、撫で肩で豊満。見事に引き締まった超絶プロポーション。体毛なのか、髪と同色の剛毛が露出的な衣服の様に生えている。後はなんか角とか尻尾。あと翼がある。
「ふふ、ご挨拶が遅れました。私はリリムと申します。貴方様を次代の魔王様としてお迎えにあがりました」
リリムと名乗った女は、極めて軽薄に笑った。
「はぁ……魔王、ねぇ?」
だがマダオはそんな『怪しさ』にも『妖しさ』にも関心を示さず、彼女の胸を凝視したまま応える。
「魔王様ともなれば、世界はあなたのもの。私がお仕えしたどの世界でも、魔王様は世界を掌握されております」
リリムはそう言って胸を張る。過去の栄光とでも言わんばかりに。
「世界ねー。はいはい……ってか、すげーな重力無視しすぎじゃね?」
だが、マダオはマダオだった。
「……えっと? マダオ様のお望みはなんでしょうか?」
魔界出身のリリム、流石に気づく。
マダオの視線に、全然、話しを聞いてないと気づく。そして圧を強め、バカでも飛びつく話題に努めた。
「え? これマジな奴?」
リリムの思惑、成功。
初めて、マダオがリリムの目を見た。信じ難い様に、だが、騙されても今のところ損はないし、そもそも、今以上に落ちるほど下もない。少なくてもマダオ本人はそう思っている。
彼の頬に一筋の汗が流れ、口角が上がる。
「……ええ、それでは……改めて、お話しを、お聞いていただいても、宜しいでしょうか?」
そう言ったリリムの額には、青筋が2本、激しく浮き沈みを繰り返していた。
………
「はい、ですから信仰を得て貴方様を正式なる魔王に」
リリムは言う。
悪い事をしてこその魔王であり、その批判こそが魔王の魔力源なのだと。
「ふーん……あー」
マダオは生返事だ。
だが、その目は時折、胸から角や翼に移る。興味がないというよりは、そう装っているという部分も少なからずあるのかもしれない。確かに、信じるには、あまりにも現実離れした話だ。
「はいっ!! その為の第一歩が世界への名乗りで御座います!! これで魔王ここにありともなれば悪徳による信仰ががっつりばっちりと……」
ここ1番と胸を張るリリム。
意外にも、その胸の挙動をマダオは見ていなかった。
「んーいやダメだろ。魔王になるのはいいが、名乗りは待ってくれ」
マダオとリリムの目が真っ直ぐに合う。
感情の見えない真顔に、彼女はギョッとした。
「えっ……と、は? そ……それは?」
彼女は内心では『真面目に聞いていたのかコイツ』と思いつつも、その気持ちを振り払う。
それは彼女がマダオに、とてつもない異常性を予感したからだ。
幾つもの世界、幾度も魔王を導いたリリム。
その彼女の経験では、魔王の任を喜ぶ者もいれば断る者もいた。だが、後者をあらゆる手段で誘惑するのも彼女の役割だった。
「どういう事ですか? 魔王にはなられるのに、名乗らない……?」
前例がない。理解が及ばない。
逡巡と呼ぶには長い時間、リリムは硬直した。
「分からないか? 簡単な事なんだが?」
マダオは大袈裟にため息を吐くと、ジトリとした目をリリム向ける。
「全面戦争よりも暗殺、暗殺より暗躍の方が有用だと言っている」
彼女の、息を飲む音が、狭い汚部屋に木霊した。
「しっ、しかし、それでは魔王様に信仰が集まりません!!」
動揺が仕草に出る。
どうやら必死に解説する時に、ろくろを回すポーズをとるのは魔界でも同じらしい。
「魔王とは、嫌われてこそ成り立つ存在なのです」
「恐れられ、憎まれ、名を呪われて……それを魔力に変える存在……」
「そ、それに……そんなの前例がない。ですし?」
リリムは混乱していた。
正直なところ自身でも分かっている。彼女は例外が苦手だ。
「今の魔王様の信仰は自前の邪気の高さから上級契約者。それでも、使役できるのは中級の魔物までですし……公の成果が無ければ信仰は減退していきます」
彼女の携わる中でも異例の速度で世界を納めた魔王がいる。
それは名乗りと共に邪竜を従えて国家首都を鎮圧、その悪徳による悪魔の軍勢を世界に放った。不運にもその世界のニュース報道にあたる仕組みが仇となり、魔王の認知度は爆発的に広がった。この報道により獲得された大量の悪徳は魔王の魔力として供給される。その世界での魔王はこうして、3日と待たずに世界の危機と認識された。
彼女の拳が震える。
この男はそれ以上の邪気がある。なのに……アホかもしれない。しかも、人の話を聞かないタイプの。
「あー、待て。ここまでお前の言葉を鵜呑みにする前提で話すが……どうもお前の言う魔王や魔族といい、今までの俺や人類が知る地球には無い理屈が多くある気がするんだが?」
リリムはハッとする。
そういえば言い忘れた。いや、彼のペースに飲まれていた。
いや、違うだろ。
この男が聞いていなかったのだ。明確には言い忘れたけど、それっぽい事は沢山、言った気がするし。
「……聡明ですね(顔に似合わず)……お察しの通り今、この世界は私達の世界……魔界のルールと交わりました。これに伴い、この世界には『レベル』『ステータス』『魔力とその運用』などのルールが加わりました」
それを聞いたマダオは頭を掻いた。
微妙にリリムに聞こえる声量をチョイスしながら『それを先に言えよ』や『使えね』などと呟いた後、鼻を鳴らした。そして、まずは論点を名乗りに戻そうと切り出した。
「つまり名乗れば俺は上級魔王クラスで邪竜を従えれると。で、邪竜1匹で戦闘機数百機相当の戦闘力があるわけか? だが、名乗らない俺が扱えるのは拳銃隊制圧がギリのオークな?」
ぶつぶつとマダオはそう言いながら考え込む。
リリムは、急かす様に口を開いた。
「はい。名乗りの有用性はご理解いただけましたか?」
ぶっちゃけ。もう早くこの世界滅ぼして次の世界に行きたい。
この男をいつまでも魔王様と崇めるなんて、想像もしたくなかった。
「んー、いや……待て。コイツはなんだ? このメタリックな初級魔物の……」
マダオはリリムの持った魔物リストなる広告の隅を指す。
そのまま、紙を押し込もうと力を入れるが、強い力で押し出された紙が彼女の肉に触れる事はなかった。
「それは、メタルナ・アイーツですか?」
なんとか紙を押し返した彼女は、額の青筋を3本に増やしながら続ける。
「それは脆弱で、そのくせ倒した者に大量のレベルアップ……様々な強化を促してしまう問題児ですね。ないよりマシというより、無い方がいいモノです」
リリムはその魔物をモノと言った。
確かにほぼ動かない脆い球体だが、生物であるはずのそれを。
だが、である。
マダオの関心はその雑魚魔物の強さではない。
「へぇ……いや、じゃあなんだ? コイツは俺の信仰が低くても相当数を召喚できるのか?」
マダオの中で、醜悪な何かが噛み合う音がした。
「はい。最弱の魔物ですから……しかし、そんなもの……ヒッ!?」
そんなものは、呼ぶだけ損です。
そう言いかけたリリムは、突如として身体の芯が凍てつく様な冷気を感じて後ずさった。
「ーーっ?? な、なに?」
それは、彼女の好物であるはずの邪気だった。
ただ彼女が今まで知るものとは、比較にならぬほどに大きい。それは、悪魔の本能にさえも警鐘を鳴らすほどの。
「メタルナアイーツ……いや、コイツは最高だろ」
かつてなく開いた口で嗤う。
壊れた人形が、突然、笑い出したような顔。ゴミ捨て場の薄汚れたそれが、愉快な音楽で踊りだすような不気味さ。
「決めた……今からこのメタルナ・アイーツを世界中に振り撒く!!」
「へ? え? ……正気、ですか?」
それは後に、最恐にして最狂……そして最悪。
そう形容するに相応しい、魔王の胎動であった。




