30.新年のパーティーとお互いの不安
冬休みの間は、アルベルト様はこれまでの時間を埋めるように頻繁に宮殿に来てくださっていた。
そのときにラファエルお兄様やアンリエットお義姉様と課題の話をすることもあったが、わたくしは同じ空間にアルベルト様がいるだけで満足だった。
ラファエルお兄様は毎日のようにミカの遊びに付き合わされているが、ミカにも家庭教師のギマール先生との勉強時間やオトテール先生との音楽の時間があるので、ラファエルお兄様の拘束時間はそれほど長くなかった。
お茶の時間はラファエルお兄様とアンリエットお義姉様とミカと、来ているときにはアルベルト様とご一緒する。
アルベルト様は時々珍しいものを持ってくる。
アルベルト様が持ってきたのは、真っ黒な粉だった。
「これはなんですか?」
「コーヒーといって、大人の飲み物のようだよ」
「大人の飲み物……わたくしとミカは飲めませんね」
「そうだけど、味見くらいはいいんじゃないかな?」
厨房に話をつけて、コーヒーを入れてもらってお茶の時間に出してもらう。
コーヒーは粉も真っ黒だったが、カップの中でも真っ黒で飲むのを躊躇わせる色合いだった。
ラファエルお兄様とアンリエットお義姉様とアルベルト様が先に飲む。
「あー、これは苦いね」
「ミカエルとセラフィナには無理かもしれない」
「苦いですが、口の中がさっぱりする気がします。わたくしは、これ、好きですわ」
大人組が飲んでから、わたくしとミカの子ども組が飲んでみた。
焦げたような匂いに苦みと酸っぱさのある味。
わたくしは少し飲んで躊躇ってしまったが、ミカは一口飲んで固まっていた。
「に、苦いですね」
「わたし、いつものお茶の方がいい」
わたくしたちにはコーヒーは早すぎたようで、いつもの紅茶に取り換えてもらった。
ラファエルお兄様とアルベルト様とアンリエットお義姉様は、牛乳を入れて飲んでみて工夫していた。
「牛乳を入れるとマイルドになるね」
「これなら飲めそうだ」
「甘いものを食べるときに合いそうです」
大人組にはコーヒーは好評だったがわたくしとミカはその美味しさがよく分からなかった。
「ミカエルが東方に興味があると聞いたから、東方のお茶も手に入れているよ」
「ブシが飲むお茶ですか?」
「そうかもしれない。緑色のお茶なんだ」
「飲んでみたいです」
「今度持ってくるよ」
アルベルト様のおかげで、お茶の時間に色んなものが楽しめそうだった。
年が明けて新年のパーティーのために、わたくしは準備していた。
ドレスは淡い菫色のものを、靴はよく磨かれた黒い革靴を用意した。当日は朝からお母様が来てくれて、わたくしの前髪を三つ編みにして横に流してくれた。
新年のパーティーに参加すると、アルベルト様がわたくしをエスコートしてくれる。
わたくしが席に着くと、同じテーブルのセリーヌ嬢とリヴィア嬢から話しかけられた。
「リヴィア嬢のお誕生日のお茶会で披露する曲の楽譜を手に入れました」
「わたくし、先にセリーヌ嬢からいただいたのですが、今回はミュージカルの曲ですよ」
「以前にわたくしたちも一緒にミュージカルに行ったでしょう? そのときの楽曲の楽譜が手に入ったんです」
確か、あのミュージカルは家同士の諍いで引き裂かれる恋人同士の悲恋の物語だった記憶がある。
ミュージカルの楽曲を歌えるなんて思っていなかったので、わたくしはワクワクしてきた。
「どこの場面の楽曲なのですか?」
「女性が男性を思って歌う場面です」
「とてもロマンチックな曲なのですよ。少し難しいのですが、わたくしはバイオリンの練習をしています」
セリーヌ嬢もリヴィア嬢もやる気に満ち溢れている。
「わたくしも楽譜がほしいです」
「今度、宮殿に持って参ります」
「三人で練習をしましょう」
約束をして、わたくしは早く楽譜を見て歌いたい気持ちを抑えていた。
新年のパーティーは昼食会から始まって、お茶会、晩餐会、夜会と続く。わたくしはお茶会までしか出られないのだが、アルベルト様とラファエルお兄様とアンリエットお義姉様は晩餐会と夜会まで参加される。
夜会では結婚しているラファエルお兄様とアンリエットお義姉様はダンスに誘われることはないだろうが、アルベルト様は誘われるかもしれないと思うと、胸がもやもやする。ダンスは基本的に男性から誘うものだが、女性の社会進出が進んできて、女性も積極的になっているので、女性の方から誘ってくることがないとはいえない。
わたくしが俯いていると、アルベルト様がそっとわたくしの手を取った。
「わたしのかわいいセラフィナは、憂い顔をしているけれど、何かあったのかな?」
口説くような文句を言われてわたくしはぼっと顔が赤くなるのを自覚する。
「あ、アルベルト様……」
「教えて、セラフィナ」
「あの……」
言ってしまっていいのか迷ったが、わたくしはアルベルト様に正直にお話しすることに決めた。
「アルベルト様が夜会でダンスに誘われるかもしれないと思ったのです」
「それは、ないね」
「ない、ですか!?」
「わたしはセラフィナと婚約しているし、それを皇帝陛下も皇后陛下もお認めになっている。そんな中、わたしをダンスに誘うような女性がいたら、不敬だと言われても仕方がないし、そんな空気が読めない相手は、わたしもお断りするよ」
そうだった。
わたくしは皇女なのだ。
皇女の婚約者を誘惑する相手など、不敬でしかない。
例えアルベルト様が成人していて、わたくしがまだ八歳だということを考えても、わたくしが皇女であることを鑑みると、皇女の婚約者をダンスに誘うなどあり得ないのだ。
「そうでした。わたくし、皇女でしたね」
「セラフィナは時々、自分の身分を忘れているようなところがあるね。そういうところもかわいいのだけれど」
アルベルト様に笑われて、わたくしは心臓が跳ねた。
それは、わたくしが皇女でも何でもない、メイドのクラリッサの記憶があるからと指摘されたような気がしたのだ。
わたくしに皇女としての自覚がないとすれば、前世のクラリッサの記憶があるからに違いないだろう。
わたくしはもうメイドではない。
分かっているのだが、わたくしのどこかにまだクラリッサが残っているような気がする。
クラリッサの記憶は年々薄れてきてはいるのだが、わたくしの根底にはクラリッサが残り続けている。
わたくしもいつか、皇女として胸を張ってアルベルト様の横に立てる日がくるのだろうか。
それはまだ分からない。
昼食会が終わって、お茶の時間までの休憩時間、アルベルト様はわたくしを部屋まで送ってくれた。
ついでに、アルベルト様を部屋にお招きして、ソファで寛いでもらう。
わたくしはまだ八歳だが、男女二人きりで部屋にいるのはよくないと教えられていたので、部屋にはマティルダさんもいてもらって、ドアは開けている。
髪型が崩れていないか確認して、お手洗いにも行って、わたくしもソファで寛ぐ。
「セラフィナは最近前髪を三つ編みにするようになったのだね」
「長く伸びすぎていたので切ろうかとも思ったのですが、お母様が三つ編みにしてくれるので、これがかわいくて気に入っています」
「とてもよく似合っているよ」
髪型を褒められてわたくしは照れながら前髪に触れる。しっかりと三つ編みにしてあるので、触れても解けることはない。
「セラフィナは皇后陛下に似てきているね。将来はあんな風になるのかなと思って皇后陛下を見てしまうよ」
「お母様のように美しくなれればいいのですが」
「皇后陛下を越える美女になるかもしれない。そのときに、婚約を白紙にされないようにわたしも努力しないと」
「アルベルト様との婚約を白紙にすることなどありません」
「分からないよ。セラフィナは成人するまでにまだ十年もある。その間にわたしよりいい相手に巡り合うかもしれない」
わたくしがアルベルト様が夜会で誰かと踊ったりしないか心配なように、アルベルト様もわたくしが成人するまでに違う相手に心うつりしないか心配なようだ。
「わたくしはアルベルト様だけです」
「ずっとそう言ってもらえるように努力していかないといけないね」
わたくしの言葉に表情を引き締めるアルベルト様。
わたくしはアルベルト様が好きなのだろうか。
わたくしは恋がまだよく分からない。
いつかアルベルト様に恋をすることがあるのだろうか。
わたくしにはまだ分からなかった。
これで四章は完結です。
セラフィナの成長、いかがでしたでしょうか?
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