608. 簒奪の使徒、再び
それは異様な光景だった。
ミストピア神殿の修練場を模された、広大な野外運動場。
それが成り損ないの『大地変成』により生み出されたものだという事は、認めがたくも理解はできる。
平地。山地。
草原。荒地。
湖を模した水場。
滝の流れ落ちる断崖。
湖面に接した修練場に隣接する、様々な地形条件。
それらを満たす形で六分割とされた円状フィールドの中心には、小さな跳ね橋と門を備えた石壁の砦まである。
それ自体は――異様な精度での再現が成されていたことはともかくとして――まあ、予想が出来ていなかったわけではない。
ミストピア神殿を模倣して構成されていたのであれば、それは在って然りだからだ。
しかし俺が「異様だ」と感じた理由はそこにはなかった。
修練場の奥の荒地にて、杖を構えたフェレス。
健在であったその姿をみて、ほっと安堵の溜息を漏らしたのも一瞬のこと……
「アホか。やり過ぎだろ……!」
自ずと向かった視線の先に存在した、それを認識したことにより。
「神殿だけじゃなく、湖まで……貪竜湖まで再現してるとか、やり過ぎもいいところだろ! んな無意味なことに、アトマの無駄遣いしてんじゃねえよ!」
俺は苦り切った口調でツッコミを入れてしまっていた。
当然、その矛先はこれから俺が打ち斃すべき者へと向けたものだ。
「グルオゥ……」
低くもなく、高くもない、意味を成さない唸り声。
虚ろな敵意と共にそれを発してきたのは、中肉中背……
いや、身長160cm中程に『定義』されていたであろう、引き締まった体つきの男。
髪は錆色の蓬髪で、瞳はくすんだ鳶色。
影人。
それも俺が生まれて初めて『隠者の森』で目にした、ホムラの父であるグリフォンに斃されていたそれと酷似した、一匹の影人がそこにいた。
「はは……ッ!」
おそらく、十中八九、いや絶対に。
こちらが追いかけてきた『成り損ない』が変じたのであろうその姿を前にして、口を衝いて出てきたそれは、最早、嫌悪や不快とか、苛立ちだとか吐き気を通り越して吹き出してきた、失笑だった。
「随分と出鱈目なことを仕出かしていたかとおもえば……これまたふざけた真似、してくれやがって!」
規格外の範囲と制限性で成された『大地変成』。
その膨大かつ精妙な技を踏み走り続けてきたことで、蓄積していた感情を糧に俺は吶喊する。
「待ち給え、フラムくん! 早まるな!」
「ダメです! 止まってください! この子、とても危険です!」
頭上で羽ばたくカラスと、杖を手に『防壁』を維持するフェレス、二人の声がぐんぐんと大きくなってゆく。
鳶色の眼が、影人の視線がこちらに合わさってくる。
「ミツ、ケタ……」
「そうかよ! そいつは奇遇も奇遇、お互い様ってヤツだったなッ!」
ニタリとした笑みともに口を開いてきた化け物に、言葉とはこう使ってみせるのだとばかりに言い返して、頭から突っ込んでゆく。
明らかな模倣、その形跡。
元の巨大な灰色の鳥人としての姿から、劇的な変貌を遂げていたそいつには……
以前こちらが目にしていた影人と目の前に立つ影人とでは、明確に異なる点があった。
合皮のベストにトラウザタイプの長ズボンに、ブーツ。
今の俺、つまりどういう理屈なのだか、元の姿へと戻っていたフラム・アルバレットが身に付けていたそれと寸分違わぬ構造で、しかし限定的に再現されていた、ヤツのいでたち。
模倣のついでの余興として再現したとでも言いたいのか、はたまた実力として見せつけたかったとでも言いたいのか。
その仕組みや真偽のほどは不明なれど、さして必要でもなかろうその生成物が、何とか胸の中に抱え込もうとしていた俺のムカつきを、一層大きなものとしてゆく。
「最初に見たときから、思っちゃいたけどよ――」
気付けば荒れ地に転がる岩に靴底を噛ませて、砕けよとばかりにそれを踏み台として駆け上がり――
「半端なんだよ! お前はさ!」
「ギゥ!?」
阿呆の様に口を開けてこちらを見上げてきた影人の胸板目掛けて、俺は全体重を乗せた飛び蹴りを叩き込んでいた。
一瞬の、強い抵抗。
同時にやってくる、思考が加速するあの感覚。
肉体の支えのみならず、そいつが纏っていた魂の力に対して、尚もブーツの踵へと力を籠める。
いまの俺には、アトマ並びにゼフトを操る術はない。
術法のみならず、アトマ光波にゼフト瘴波どころか……それを純粋に体外に放出することすら、叶わない状況だ。
つまりは『起承結』の理論でいえば、そもそもの『起』が成立していない、という事になる。
それは正しくフラム・アルバレットにとって、『初めての異常』だった。
そう。
これは今までに体験したことがなかったことだった。
俺が『隠者の森』を離れるまで……『煌炎の魔女』マルゼス・フレイミングの元を離れるまで、抱え続けていた術法的不能。
それは飽くまでも、『起承結』における『承』の不在。
己が練り上げた術法式を体内、即ち精神領域にて正しく起動できないという、構造的欠陥からくるものだった。
だが、今のこれは違う。
それよりも前の段階である『起』の時点。
アトマそのものを体外に放出するという段階で、コケてしまっていたのだ。
なので今のフラム・アルバレットでは、恐らく通常の術具を作動させることすら出来ないだろう。
術具に配された霊銀盤を回すための、リソースたるアトマを送り込めないのであれば、可能な筈もない。
普通に考えればそこで手詰まりだ。
その上、いつの間にやら最悪なことに『成り損ない』がフラム・アルバレットの模倣を開始してきている。
しかも恐ろしいまでの高度な術法を発現可能という、まったく嬉しくもないオマケつきで。
オリジナルの模倣と、それを上回るほどの術法出力。
おそらくだが、そこにはフェレスの巨大化が解除されていた事と、俺自身が元の姿に戻った事も関係している。
というか、そうとでも思っておかねば、いくら何でもタイミングが被り過ぎている。
そして強引にでもそうと仮定としてみると、見えてくる繋がりもあった。
秘術生命体であること。
それがこの精神世界に満ちたアトマの恩恵を十全に受け取り、己が力として振るうことが可能なのだとすれば、だ。
その条件を満たさないフラム・アルバレットは、逆に不利益を被る可能性が大いにある。
それが肉体及び精神の巻き戻りという形で発露していたと思えば、納得もゆく。
フェレスの変化にしてもそうだ。
精神世界の産物であるナツメヤシモドキの実を食したことで、体に収まりきらぬ程の多量のアトマを得た結果。
それが精神の変調から始まり、巨大化という結果に収束した。
対して俺は、秘術生命体でなかったことで中途半端に実の恩恵を受けていたのだろう。
狂乱するフェレスに対して、逆に精神のみは平時のものへと持ち直しつつも、体は子供のまま。
そんなアンバランスな状態で、カラス、そして『成り損ない』までもが姿を現してきた。
突然の変化と、その連鎖。
最初の大人びたフェレスの発言や態度を鑑みるに、それはこの世界における初めての事象なのではなかろうか。
そしてその中で、圧倒的に力を増し始めた『成り損ない』のアトマが、一体どこから来ているかと考えれば、だ。
「クソ……やっぱ、思ったとおりか!」
ぎり、と歯を噛みヤツの胸板を踏みつけての、後方宙返りを打ちつつも……
「フェレス! カラス! いったんここから離れてろ! コイツは多分、俺たちの力を――周囲にいるヤツのアトマを奪っている!」
靴底に残る簒奪の気配を踏み潰し、俺は既に『成り代わり』と化し始めていた化け物と、正面切って対峙していた。




