607. 反転光景
緊急事態。
カラスがそう口にしていただけはあり、事態は明らかに急を要していた。
「おいおい……!」
オアシスを駆け抜けて、再び無尽の砂漠へと飛び出した。
単身、『成り損ない』の攻撃を引き受けてくれていた、フェレスの元へと辿り着いた。
吹きつける砂塵と遠慮のない陽光。
そしてそこに何の脈絡もなく鎮座する、見覚えのある石造りの建造物。
「なんだよこりゃ……不自然にも、程ってものがあるだろッ!」
ところどころが欠け、歪み、崩落しかけつつも体を成す。
それはミストピアの街に構えられていた、聖伐教団の神殿を模したと思しき建物だった。
「なんでこんなものがここに……」
あまりの唐突さに、思考が途絶して足が止まる。
だがそれでは、いつまで経ってもフェレスたちの元へと辿り着くことは叶わない。
「いや……いや」
今は考えるのは後だ。
今は二人と合流しないと、『成り損ない』に対抗できない。
今は立体式陣術を皆で力を合わせて成立させることだけに、集中せねばならない。
何故だか本能的な強い拒絶感を抱きつつも、脚を無理矢理に前へと踏み出す。
基礎らしい基礎もなく砂地に敷かれた石畳を、不必要かに思える程の強い意志と苛立ちでもって踏みしめる。
ムカつくことに、それは道として完璧に機能していた。
そうして一度踏みつければ、後はもう勢いだった。
「クッソ……マジでなんなんだよこれ! なんでここまでイラついてるんだよ、俺!」
お誂え向きに配されたそれは、こう言っては何だが砂漠を進むにあたって非常に助かる代物ではあった。
閑散としていながらも、それゆえ広々とした石の床のお陰で、砂地に一切足を取られることもなければ、並び立つ神殿の施設と手入れのなされた植え込みのお陰で、ギラつく日光に目と肌を灼かれることもない。
そんなミストピアの神殿を走り続けながらも、抱く感情は戸惑いよりもムカムカの方が圧倒的に上回っているのだ。
いっそこの先でフェレスたちが戦っていなければ……
こんな場所はとっとと出ていき、どれだけクソ暑かろうが、流れる砂に嵌り無様に顔面からの大転倒を決める羽目になろうが、砂漠を突き進んだ方がマシなように思えてしまう。
理屈ではなく、本質的に受け入れがたい。
何者かに打ち建てられながらも、無用の建造物。
開け放たれた巨大な門も、一頭の馬すらいない厩舎も、祈り手の一人もいない祭壇場も。
その全てが無駄にして堅牢。
初めは片手落ちかと思われた造りも、進む事に精緻さを増しているのが非常に腹立たしい。
「……これってやっぱり、アレだよな」
感謝などしたくもないが、体力の消耗を抑えられていたのも、また事実。
ささくれ立つ警戒心を盾に歩みつつ、俺は人っ子一人いない神殿にてとある直感を得るに至っていた。
陣術『大地変成』。
その術効により複製されたミストピアの神殿。
石材のみならず、中庭の腐葉土や植木も再現を果たしていたそれを、一言で言い表すのであれば、だ。
「正気の沙汰じゃないだろ、こんなの。単純にこれだけの規模で術法を成立させるのだけでも、至難の技どころじゃないのに。構成物の種類と精度が極まっているとか……」
ぶつぶつと分析ついでに吐き出してゆくも、結局はその直感を補強する内容となってしまっているのが、癪でならない。
だがそうして観察をし続けている内に、どうして自分がここまでの拒絶反応を引き起こしてしまっているのかに関しても、憶測が立ち始めていた。
そしてそれは更に性質の悪いことに、俺がつい先程思い立った事も絡んで来る。
「多分これ……あの成り損ないの仕業、だよな」
それは『フェレスにもカラスにも、こんな無意味な代物を作るメリットがない』という、あまりにシンプルな消去法から絞り込まれた答えにして、フラム・アルバレットが直面していた『術法的不能』の克服条件を、後押しする要素。
即ち、秘術生命体であれば。
おそらくはこの精神世界でも、超常神秘の御業を成すことが可能になるという、俺にとってはどこまでも無慈悲で残酷な、事実の証明だった。
一応、まだ実際に『成り損ない』が術法を操る姿をお目にかかれてはいないので、確定にまでは至っていないが……
フェレス、カラスときて、更なる秘術生命体までもが術法を行使可能となれば、俺だけがいつまで経っても術法を扱えない理由としては、妥当だろう。
まあ、その時はその時で、この説明のつかない苛立ちを思う存分『成り損ない』にぶつけてやるしかない。
なんにせよ、そろそろいい加減に――
「!」
不意に空が赤く瞬いた。
続けてやってきたのは、激しく明滅する白き光と轟音。
硬く重いものが破砕されて、ガラガラと崩れゆく振動が足元にまで伝わってくる。
「おいおいおい……ッ!」
明らかな戦闘の余波としてやってきたそれに、ぞわぞわとした鳥肌が立つ。
我知らずの内に足が前へ前へと加速して、開けた場所へと向かっていく。
その行く先には覚えがある。
修練場。
数多の神殿従士たちがしのぎを削り、切磋琢磨。
命懸けにて鍛錬に臨む、山野の縮図だ。
当然、そこではフェレスがカラスのサポートを受けつつ、『成り損ない』との激闘を繰り広げているに違いない。
違いない、なの筈だが……
「え? あれ?」
断続的に瞬く赤と白の閃光、そして空を震わせる激突の源を目指しつつも。
俺はある違和感を覚えてしまい、わけも分からず戸惑いの声をあげてしまっていた。
しかし、整然と敷き詰められた石畳を蹴り飛ばすようにして駆け続ける内に、その違和感がなんであったのかを理解した。
いつまで経っても、何も見えてこない。
未だ修練場まで距離があることを思えば、それは何もおかしなことでもないのだろう。
だがそれでは理屈に合わない。
何故ならば、カラスは別として、フェレスと『成り損ない』は、それぞれが巨大化と小型化により、共に10m程の身長に体格を変化させているのだ。
それなのに、いつまで経っても両者の姿が見えてこない。
既にこちらは修練場の入口近くまでに迫っており、いい加減、あちらの頭どころか上半身が視界に入ってこなければ、道理に合わない。
「まあ、いい加減慣れっこってヤツになりそうだけどさ! あんまり理屈が通らないと、落ち着かないっていうか、やりにくいんだよっ!」
最早完全に難癖だとは自覚しつつも、これまた開きっぱなしてあった正門へと差し掛かってところで……
俺は、はたと、ある変化に気付き始めていた。
「……!」
見ればどんどんと、頭の高さほどにあった両開き式の正門が、僅かながら小さくなり始めていた。
否。
違う。
これは違う。
これは――逆だ!
「はは……!」
既に目線の高さより下で構えていた門をみて、思わず歓喜の声が漏れる。
踏み出す足が、手が、先程までよりも均整のとれた、幼年期を脱したものとなってゆく、その最中。
「わるい! 待たせたな、カラス! よく持ち堪えてくれた、フェレス!」
「おぉ――」
「フラムくん!」
逆時計回りにて宙を舞う一羽の鴉と、黒胡桃の杖を構えた小さな少女の元へと、俺は駆けつけていた。




