第四十四話【社交ダンスの練習】
◇◇◇◇第四十四話【社交ダンスの練習】◇◇◇◇
今日はわたくしの苦手な必修七学の一つ音楽の必修講義、社交ダンス初級ですわ。
体を動かす分まだましな方ですが、決まったステップ、体の動き。
音楽と合わせて決まった動作をするのは、私にとってなかなか難儀なことですわ。
そして動きがもたもたと遅れると、一緒に抗議を受けている女性たちのクスクス笑う声やペアを組んでいる殿方の舌打ちが聞こえてきます。
抗議しようにも講師も一緒になってわたくしを笑いものにしているのですから、どうしようもありませんわ。
この講義に出るのは苦痛にしかなりません。
しかし、領主コースでは必修講義ですので出席しないわけにも参りません。
民人のように自由選択科目なら、真っ先に履修を取りやめにしていますのに。
わたくしは笑いものになるために、講義を受けなくてはならないのでしょうか。
その日の最後、男女でペアを組んで音楽に合わせて一曲踊る通し稽古のときでした。
「痛っ!」
パートナーに思いきり足を踏まれてしまいました。
「はい、ピピルさんステップが違います!
しっかりステップを確認して!」
足を踏まれたわたくしが怒られるのですか……
わたくしの足を踏んだパートナーも、素知らぬ顔をしています。
何か一言あってもよろしいのではなくて?
本当にステップを間違えたのはわたくし?
あぁ考えが悪い方に行ってしまいます。
これではいけませんわ……
「姫様大丈夫ですか?」
講義が終わり、エーリュシエルがわたくしにハンカチを渡してくれながら心配げな声で話しかけてくれます。
「大丈夫です、何事もありません。
ミスをしたのはわたくしの未熟さ故。
なんということもありませんわ」
そういってどこが出来ないからダメなのだろうと考えていると、
「うおぇ、豚が汗拭いてやがる。
道理で豚くさいと思ったぜ!」
この暴言にエーリュシエルが
「今口を開いたのはどの口ですか、陰口をたたく悪い口は縫ってしまいますよ!」
「エーリュシエル、よいのです」
「しかし姫様……」
「ダンスでできた借りはダンスで返さなくてはなりません。
寮に帰って特訓しましょう」
「その前に足の治療ですわね」
悔しい思いで胸が苦しいですわ。
見返してやらなければ気がすみません。
わたくしは黙って殴られっぱなしでいたりはしませんわよ。
足がずきずきと痛む中、寮に戻りました。
わたくしが自分の部屋に向かおうと廊下を歩いていると、お兄様と出会いました。
「やあ、妹よどうしたんだい?
その足のけがは」
足を引きずるようにして歩くわたくしにお兄様が問いかけてきます。
「社交ダンスの講義でステップを間違えてパートナーに踏まれてしまって……」
「なるほど、社交ダンス初級の講師は人族主義の傾向があるとは聞いていたが……」
「それで特訓して見返してやろうと思っているのですが、どういう風に練習すればいいのか見当もつかなくて……」
「そうか、では僕の部屋に来なさい。
エーリュシエル、農場に行って石灰粉を貰ってくるんだ。
そうだね、茶道具の盆に盛り上がるくらい。
風で飛ばないように気を付けて持っておいで」
「かしこまりました」
一礼してエーリュシエルは離れて農場に向かいました。
寮にあるお兄様の部屋に行くと、わたくしは椅子に座らせられました。
「さぁ手当をしようか」
「え、お兄様が手当をなさるのですか?」
驚くわたくしにお兄様は微笑むと、
「僕だって冒険者の称号は持っている。
応急手当でいいなら僕でも十分できるさ」
「あの、でも」
戸惑うわたくしに、
「それとも僕に手当てされるのは嫌かい?」
首をかしげるようにしてローズレッドの瞳を向けられると、わたくしはドキドキしてしまいます。
「いやではありませんがちょっと照れます……」
「あはは、それは我慢してもらうしかないな」
明るく笑いながら戸棚に向かうお兄様です。
「もぅ、からかっておいでですのね、お兄様」
救急箱を持って椅子に座るわたくしの治療を始めながらお兄様は感慨深げに、
「あぁ、すっかり二人だけでいられる時間はなくなったね。
いつぶりだろう、二人だけでこうして過ごすのは……」
そうでした、余人を交えず過ごすのは久しぶりな気がします……
少なくともこの学園に来てからは初めてではないでしょうか。
ということはお兄様は一年間学園から帰ってきませんでしたから……
一年半くらいでしょうか。
そんなに経つのですか……
◇◇◇◇
手当が済んで踏ん張りがきくようになりました。
さすがお兄様ですわ。
手当も的確で手早いものでした。
足の具合を確かめているとドアがノックされ、エーリュシエルがお盆に石灰粉を載せてやってきました。
「殿下、お持ちしました。」
「ああ、そこにおいて」
「あの、これはどういったことで」
何のために農場から石灰粉を持ってきたのかわからずお兄様に問いました。
「エーリュシエル、今日の社交ダンス初級の課題はなんだった」
お兄様とエーリュシエルの間の会話を首を左右に振りながら模様眺めしている。
そんな風情でありました。
「雨のワルツでありました」
「では君は踊れるね、エーリュシエル」
お兄様がエーリュシエルに尋ねると、
「はい、私は踊れます」
「では一ステップずつこの部屋で足に石灰を付けて踊ってみてくれないか」
「かしこまりました」
「タンタンタンタン、タンタタンタンタタンタタン……」
エーリュシエルが見事に踊ります。
そしてそのあとに黒い木の床の上にはステップ通りの白い足跡が残っています。
「さあ、ピピル。
これを持って」
お兄様から一塊の鎖で出来た何かを渡されました。
「お兄様、これは?」
「ピピルがうまく踊れるようになるお守りだよ」
それは小さな、本当に小さな剣のぶら下がったブレスレットでした。
「それを利き腕につけてね、剣術の歩法をなぞるつもりでやってごらん」
「はい!わかりました」
「ではエーリュシエル。
拍子をお願いするよ」
「かしこまりました殿下」
エーリュシエルが手拍子の準備をします。
「ではパ-トナーは僕が努めよう。
ピピル、間違えてもいいからリズムに乗って踊ってごらん」
優しい手がわたくしの手を包みます。
あぁいつもお兄様の手は優しくて暖かい……
「姫様よろしゅうございますわね。
では参ります」
うっとりして状況を忘れそうになりました。
頭の上でお兄様が頷く気配がありました。
「タンタンタンタン、タンタタンタンタタンタタン……」
踊りやすい!お兄様がパートナーだとなんて踊りやすいのかしら!
そして手にあるこの剣!
指一本に満たない小さな剣であるのに、足跡をたどる足の運びが合理的に感じますわ。
「タンタンターンタタンタンターン……」
「これで終わりですわ。
姫様お見事です」
踊り終わったわたくしたち。
息ひとつ切らさないお兄様と息が乱れてしまったわたくし。
「どうだった、ピピル」
お兄様が微笑みながら話しかけてくれます。
「はいとても踊りやすかったです。
それにとても楽しい」
お兄様はわたくし以上にうれしそうな顔をすると
「それはよかった。
ではこの感覚を忘れないようにもう一回練習しようか」
意外とお兄様も訓練マニアだったのを忘れていました
「え?はい!お兄様!」
にっこりと?ひきつっていませんわよね?
笑って答え、夕食の時間までダンスの練習を続けるのでした。
◇◇◇◇
次の週の社交ダンス初級の講義、そこには美しいステップで踊る黒豚令嬢の姿があり、担当教員が悔し気な、しかし厄介払いができたと安堵するような複雑な表情を浮かべて、年次出席免除を言い渡すのでした。
ダンスの歩法を剣術に生かすのも悪くありませんわね……
自習で他の曲も踊れるように練習しようかしら。




