裏の顔
「ネイベル?」
リンに声をかけられて、はっとする。
だめだ、集中出来ない。
「ごめん、話は聞いているんだけど、どうにも集中出来なくて」
「ちょっと休んでた方が良いんじゃねぇか」
カルーダの言葉に、全員が頷いている。
「いや、別に疲れているわけじゃないんだ」
ゴンタという男の言葉が、脳内を駆け巡っている。
ティセト、というのは氏族を示すものだ。そしてネイベルは、その意味をはっきりと思い出している。
どうして忘れていたんだろう。
ネイベルにとっての大恩人が、まさにティセト先生だった。
この世界を生き抜く為に、知識を授けてくれた。
両親を知らないネイベルに、愛情を注いでくれた。
忘れたくても忘れられない、とても大切な人だ。生きていれば、カルーダに近いくらいの年齢だろう。
この記憶が、もし意図的に封印されていた、としたら――。
いけない、とネイベルは思った。何か理由があるに違いない。
こめかみ辺りをグリグリと指で押しながら、思考を切り替える。
「まぁ、おめぇがそう言うなら別に良いんだけどよ」
「あぁ、本当に大丈夫だ。それより、早く話し合いを終わらせてしまおう」
ネイベルがそう言うと、カドが頷いて、再び口を開いた。
「というわけで、方法は分かりかねますが、とある情報が伏せられたまま、私の下へと報告されていた様です」
幾分、頭痛も取れてきたネイベルは、しっかりと話を聞けている。
「なるほど、それが幻梅香ってわけだね」
ネイベルがそう口にした途端、一瞬あたりが静まり返った。
「えっ!」
そしてその場にいた全員が、一斉に口を揃え、驚愕に染まった声をあげる。
「ちょっと、ネイベル。一体どういう事よ。あれは私が知りうる中でも、相当に卑劣な魔薬よ」
ミネルヴァが真剣な顔をして、強い口調で説明を求めている。
「俺はロンメルさんから聞いただけだよ。詳しくはカドから聞いて」
すると全員の視線がカドへと集中した。皆、事態の異常さを理解し始めている様だ。
「白梅香をとある物質と混ぜ、特殊な製法で限界まで濃縮したものが幻梅香です。その香りは気分を高揚させ、感情をひどく昂ぶらせます。中毒性が非常に高く、常用すると理性を失います」
ここまでは皆さんご存知ですよね、と言いながらカドは話を進める。
「どうやら王都とその周辺の街に出回り始めたらしく、経済を始めとした様々な分野が、大打撃を受ける直前のような状態です」
ショウがワナワナと震えているのが視界に入った。
「ちょっと、そんな冷静に話している場合じゃないわよ。あれはね、国を滅ぼす劇薬よ」
そういえばロンメルもそんな事を言っていた。ミネルヴァに関して言えば、もしかすると実際に見た事があるのかもしれない。
「理性を失う、という言い方はふさわしくない。あれは、理性を破壊された、というべき状態だ」
ショウが、らしくない口調でそう呟く。
それは身震いする程に冷たくて、血の気が引く程に憎悪が込められており、まるで積年の恨みが、ショウを依り代にして語りかけている様に聞こえた。
キャミィの隣に座るボンは、今日もおとなしい。
部屋の中では、ショウの呟きからいくらか時間が経つものの、口を開く者は誰一人としていない。
やがて彼が、自らその静寂を破った。
「人間は理性が破壊されると、原始的な欲求に忠実になります。傍目には奇行に見えるのに、本人には全く判断がつかなくなっているのです」
下を向いたままで、表情はうかがい知れない。
「カルーダさんや、冒険者の方々も見たはずです。倒れた後に起き上がってきた者達の目を――あれは理性を破壊され、催眠をかけられた人間の目です」
「ほぉ、そうかよ」
カルーダは真剣な表情でショウを見ている。
「理性を破壊されたまま催眠状態に陥ると、完全に意識を刈り取る事は不可能なのです」
「――それで起き上がるまでが早かったのね。つまり、無理やり意識を覚醒させられていた、と」
ミネルヴァがそう言うと、ショウはコクン、と頷いた。
「催眠をかけ直したら駄目なのかぃ?」
カルロスが、恐る恐るといった風に尋ねる。
「既に脳の一部が破壊された状態で、その上からさらに強い催眠をかけると、大抵の人間は廃人となる事が分かっています」
部屋の中では、時折、戸の揺れる音がするだけだ。
全員が、その恐ろしくて残酷な効力を聞き、絶句している。
「幻梅香を使って理性を破壊するのだって、適当な部屋に閉じ込めておけば良いだけです。時間が経った後に催眠をかけるだけで、命が枯れるまで愚直に戦い続ける兵士が生まれます」
ショウの目からは、ポタポタと涙が零れ落ちていた。
「一度そうなると……二度と……元には、戻れない、の、です――」
訥々と語る彼の姿を見て、ネイベルは、彼の過去に何があったのか、何となく察してしまった。
カドは口を真一文字に結び、両手を膝の上に添えて、正座をしている。
ロンメルとアルの顔色は、今まで見た事のない程、青白い様に感じた。
戦いの様子を遠目で見ていたロンメルでさえも、違和感を覚え、気づけたのだ。恐らく最前線にいたショウは、すぐに相手の様子を見て察しただろう。
カドが全員に詳細を報告するまで、その感情を抑え続けていたのか、と思うと、ネイベルも居た堪れない気持ちになった。
結局その場では、細かい確認などを少ししただけで、日が高いうちから休む事になった。
ここまで満足に休憩を取れていないので、冒険者組に疲労感が漂っている。
それに、全員がしっかりと気持ちを整理するため、少し時間が必要だという判断もあった。
「ネイベル様、少々お話が御座います」
ロンメルが、ネイベルを揺すっている。
「ん、ああ……ちょっと深く寝入り過ぎたかな」
「お疲れだったのでしょう」
窓が閉められているので、外の様子は確認出来ない。
ただ、寝入ったのはお昼過ぎだったので、とっくに日は落ちているだろう。
「みんな結構ぐっすり寝ているね」
大部屋での雑魚寝となったが、皆良く眠れている様だ。
「それじゃあ外で話そうか」
ロンメルが小さく頭を下げ、扉へと向かう。その背中を追うように、ネイベルもゆっくりと音を立てぬ様に付いていった。
その時、リンの視線が動いた事を確認できた人間はいない。
小屋から少し離れた森の中には、カドとショウとアルが先に居た。
そういえば、確かに人数が合わないな、と思っていた。あらかじめ外に出ていた様だ。
「こうやって呼び出すからには、きっと何か大変な話なんだろうね。なんだか怖いな」
少し気が重くなるが、仕方ないだろう。
周囲を見ながら、白い息をはぁーっと吐き出して、手を温める。
「昨日の今日で大変申し訳ありませんが――」
カドが話を切り出す。
そして彼女とショウとロンメルの三人が、膝を地面へと付いて、頭を垂れた。
アルはその横で、立ったまま申し訳なさそうな顔をしている。
「え、どうしたの? 何か謝罪が必要な事なんてあったかな……。情報がしっかりと把握できていなかった事?」
「それもあります。ただ、我々は、ずっと隠し続けていた事が御座います」
ネイベルは、起きたばかりで頭がうまく働かない。
もう一度、両手に白い息を吐きだしてやると、ゆっくり血が巡り始めていく感覚がある。
「情報に関しては、俺だって掴めていなかったから仕方ないよ。それに結局やる事は変わらない。国を正して、魔薬を根絶する。これが今やるべきことでしょ?」
それが終わってから、俺のやるべき事を進めるから良いよ、とネイベルは言った。
生い茂る木々が、ネイベルを鋭く見つめている様な気がする。
少し油断をすると、大地にそのまま飲み込まれてしまう様な静けさだ。
「もちろんネイベル様がそうおっしゃって下さるのは有難いのですが、どうしてもお話しておかなければならない事が御座います」
ロンメルがそう言うと、カドへと視線を送った。
何だろう、ものすごく凛とした空気で満ちているのに、この辺りだけが、張り詰めた弓の様な緊張感をも帯びている。
「我々は、アルプーリ王女直属の配下であると同時に、イストを安定させるために、独自に行っている仕事があります」
ネイベルには与り知らぬ事だが、国の運営ともなると、相当大変なんだろう。
「それで、それが話しておきたい事で良いの?」
全員が頷く。
やがてカドがゆっくりと話し始めた。
「ハリ一族は、イスト王国の裏の顔でもあるのです。そして先代のじぃから、現在は私がその座を受け継いで居ます」
「えっ」
ネイベルは思考が全く追いつかない。
「つまり、影法師のリーダーは私です」
カドは頭を上げると、凍てつく刃の様な瞳を浮かべて、そう言った。
ここの所、やや冗長な展開だったかも。後々改稿するかもしれません。




