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貧民街

 手筈通りに深い川底を進んだネイベル達は、追っ手を振り切り、カドとアルの二人と合流する事が出来た。


 川から上がった時点ではまだ日が明けていなかったが、貧民街へと向かう途中で朝を迎える事になってしまった。


「しかし、なんというかな。もっとこう、違った想像をしていたんだが」


「ネイベルの言いたい事は分かるけどな、これはこれで悪くねえらしいぞ」


 今日はアルが先導してくれている。


 貧民街は、王都からやや離れた森の中にあった。目の前には粗末な木製の門が、生い茂る木々に埋もれる様に、ひっそりと佇んでいる。


「門を作る意味はあったのか、これ」


「一応周囲は川や切り立った崖なんかもあってな。まともな入り口はここだけなんだよ」


「何かあった時に逃げ道すらないって事じゃないか」


「ここの連中にとっては、そもそも逃げる意味を探すほうが難しいんだろうさ」


 アルは無表情を装った風に、そう言った。


 ネイベルは彼女の表情と、その言葉の意味を考えて、開きかけた口を閉じてしまう。


 きっとここ数ヶ月だけで、色々な光景を目にしてきたに違いない。






 貧民街の門をくぐると、やはりそこは森だった。深く緑が生い茂り、樹上からは何かの蔓が下りている。


 ただ、生命力溢れる景色とは裏腹に、時々、少しすえた臭いが鼻をつく気がする。


「なんだか不思議な場所ね」


「原始的、というのかしらね。カルーダにはお似合いかもしれないわ」


 リンとミネルヴァが楽しそうに雑談をしている。


「ほら、ネイベル。見てみろ、あそこだ」


 アルが指差す先では、大木の根元に洞穴が見える。中は暗くて、ここからでは様子をうかがえない。


「あと、そっちの上もだ」


 視線をずらしてそちらを見上げると、樹上に小さな小屋の様な物が見えた。人が二人程度は入れそうだ。


「ここは入り口付近だからな。ああやって監視のため、高い所や分かりにくい所に人が休める場所が用意されているんだ」


 なるほど、自然の要塞、という見方も出来るのかもしれない。


「オレも実際に見たのは今回の調査が初めてだけどな」


 そう言ってアルは少し笑っている。


「このあたりは、まだ開けていてマシなんだ。だから何かあればここに集まったりする事もあるらしい」


 周囲に視線をやると、森の奥の方は、確かにもっと木々が生い茂っている様に見える。


「ボロ布を組み合わせただけの、家とも呼べないような場所で生活してる奴もいるし、しっかりと組み上げた、木製の小屋で暮らしてる奴もいる。今日はその中でも、カドが良く使っていた場所まで歩くぞ」


 そう言うと、アルは歩みを速めた。






「あ、なんだか良い匂いがする」


「おぅ、そういえば何だか腹が減ったな」


 匂いに釣られて、ネイベルとカルーダが、フラフラと列を離れ始める。


「ああ、飯屋だな。中に何が入ってるか分からねぇから――おい!」


 アルが止めるのも聞かずに、ネイベル達は飯屋へと近づいた。まだ早い時間だからだろうか、周囲に人は居ない。


「おぅ、これはいくらだ」


 カルーダがぶっきらぼうに、男へと尋ねる。


 男はボサボサの黒髪であり、手入れが不十分な無精ひげを生やしてはいたが、身なりはそれほど汚いわけでもない。


 瞳は赤茶色をしていて、目尻には深いしわが見える。ネイベルより少し年上だろうか。


「串焼きが一本銀貨一枚だ。汁物は一杯で銅貨七十枚。一緒に買うなら、銅貨二十枚分はまけてやるよ」


 男はそういって返事をよこした。


「貧民街という事を考えれば、結構な値段だな」


 ネイベルが少しいぶかしんで呟いた言葉を、男は拾って返してきた。


「別にふっかけてねぇぞ。最近はこれくらいが普通だ」


 しかし、これだけのお金を出せば、王都で晩御飯を食べてお酒を少し飲めるだろう。ネイベルは、背後に控えていたカドを見る。


「使われている肉の事でしょうか?」


「いや」


「では値段ですね。貧民街は現在、普段よりも物価が倍程度にまで上がっている様です」


「なるほど、助かるよ」


 的確な答えがすばやく帰ってきて、とても心地よい。こういう状態を、以心伝心というらしい。


 しかし、物価が倍になったとはひどい話だ、と思い、男の方へと視線を動かす。


「なんだ、どっかのお偉いさんじゃねぇのかよ。最近はずいぶんと景気が悪いんだ。せっかくだから大量に買って行って――」


 カドとネイベルの話に割り込んできた男は、ネイベルを見て目を丸くした。


「ん、なんだ。どうした」


「い、いや何でもねぇけどよ。ほら、今日使ってる肉はこの森で取れた獣だから、普段よりきっとうめぇぞ」


 男は、そういって串焼きをすすめてくる。


 ネイベルは、全員の顔を見ながら反応をうかがうが、冒険者組なんかは食べたそうな顔をしている様に見えた。


「全部で何本あるんだ」


「今日は三十本で終わりだな」


「なら串焼きを全部もらおう」


「おぉ! 気前が良いな、ありがとよ。銀貨二十八枚でいいぜ」


 ネイベルは懐から金貨を取り出すと、男に渡す。


「おぅ、本当に良いのか? 何だか悪いな。じゃあちょっと待っててくれよ」


 そう言うと、男は串を追加してから焼き始めた。






 香ばしい肉の焼ける匂いに釣られて、何人かの貧民街の住人が近寄ってきた。


 小奇麗な格好をしている者から、ずいぶんと原始的な格好をしている者まで、多様な人間が暮らしている様子がうかがえる。


 だが、ネイベル達を見ると、全員がきびすを返してしまう。


 そんな様子を見ながら、アルが彼らを擁護する。


「悪気はねぇみてぇだぜ。人付き合いがおっくうだったり、面倒な事に巻き込まれないようにってな。そうやって自衛して生きてんだとさ」


 そう言った彼女の横顔は、どこか少し寂しそうだ。


 貧民街にも、流儀はあるのだろう。それでも人と人との繋がりが、彼らの存在を、ぎりぎり人間として繋ぎとめているんじゃないだろうか。


 そんな事を考えていると、どうやら肉が焼けたらしい。


「ほらよ、出来たぜ」


 男はネイベル達の方へ、大きな葉で包まれた串焼きを持ってきた。


 それぞれに一本ずつ、たくさん食べたい奴には二、三本ずつを配る。


 全員が嬉しそうにかぶりつくのを見ながら、ネイベルも大きい肉の塊をかじった。


 塩味が相当薄いのを、香辛料だろうか、強烈な香りでごまかしている様だ。


 先ほどの会話からすると、普段は獣ではなく、何か別の肉を使っているらしいので、その臭いを隠すためかもしれない。


「買い食いっていうのかしら。こういうのは、背徳感があって良いわよね」


 そうやっていたずらっぽく笑うリンを見て、ネイベルも苦笑いを浮かべた。






「おぃ」


 ゆっくりと歩き出したネイベルの背後から、男が声をかけてきたので、何事かと振り返ってそちらを見る。


「ん、どうした。礼なら良いぞ。その金で他の人間にも食わせてやってくれ」


「いや、あぁ……それはそうだな、ありがてぇ。感謝するよ」


 男は何やら周囲をチラチラと見ながら、少し緊張をしている。


「ネイベルー! 遅れると迷子になるわよー!」


 リンの声が聞こえる。


「聞こえただろ? そういう事だ。何かあれば、なるべく早く――」


「ティセトだ」


「え?」


 ネイベルは、鈍器で頭を殴られた様な衝撃を感じた。


「いいな、もう一度言うぞ。ティセトだ、必ず探し出せ」


 頭がクラクラする。


「あと、俺の名前はゴンタだ。これも絶対に忘れるなよ」 


 









 ネイベルは、その後の事をあまり覚えていない。


 串焼きは木の根っこをかんでいる様だったし、森は七色に輝いて見えた。


 そして気づいたら、綺麗な部屋の中に、全員で車座になって座っていたのだった。


 リンが心配そうに、こちらを見つめている。


 蝋燭の炎が、室内を薄暗く照らしていた。


 カドは、ネイベルの背中をさすったりしながら、介抱してくれている。


「なんだよ、串焼きが当たったか?」


 カルーダも、気を使っている様な表情を浮かべていた。


「――いや、大丈夫だ」


 カドを戻らせて、ネイベルは心を落ち着かせる。


 記憶のふたが、確実に開いたという感覚がある。だが、今はそれを口に出すべきではないだろう。


「それじゃあ、今後の方針について話し合おう」


 カドとアルにお願いするね、と言って彼女達に進行を任せたネイベルは、報告されていく内容が、なかなか頭に入って来なかった。




意識は失わないし、視界も暗転しないで踏みとどまったネイベル。

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