幻梅香
ネイベル達が外へ出ると、かなり近くまで敵が押し寄せているのが視界に入った。
少し離れた所に松明の明かりが見える。三桁程度の人数がいるようだ。
相手は燦々会だろうか。だが単純に背後に控えているだけで、別の勢力をぶつけて来たりする可能性も考えられる。
「じゃあ話し合いの通りに動いてくれ!」
ひとまず相手の出方をうかがってみる、という方針は変わらない。それぞれが事前に決められた場所へと駆け足で向かう。
今回、最前線はカルーダとショウだ。討ち漏らしや左右からの挟撃に備えて、英雄の一撃がカルーダ側の背後に、希望の灯火がショウ側の背後に、それぞれ控えている。
こちらは明かりを点けずに戦う予定だ。暗闇での戦闘は、ダンジョンの後半でしっかりと積んできている。
冒険者組を後ろに下げているのは、視界のない戦闘に慣れていないだろう、とネイベルが判断したからだ。
戦いを間近で見学して勉強するために、ミネルヴァは彼らの背後に置いた。本人たっての希望でもある。
そこから離れた場所に、リンも含めた後衛組が陣取り、回復魔法や補助魔法をかけ続ける。
「ふむ……」
ロンメルが何やら思案している。
一番後方には、キャミィとつながれているボンと、ネイベルとロンメルがいる。
「何か気になることでもあった?」
ネイベルは背後を振り返りつつ、ロンメルに尋ねる。
最後尾である彼らの背後には、建物しかない。そこから先は荒野となっており、太い川が流れている。
敵が川を渡り背後を突けば、簡単にネイベルまで届くことになるのだが、それはそれで好都合であるので、この様な布陣となった。
「万が一背後から敵が来ても、一応、対応出来る様な陣形を考えたんだけど」
ネイベルが全力で魔法を行使する場合、味方が目の前に居ない方が、色々と都合が良いのだ。
「ええ、それは一切心配しておりません。ただ、何やら胸騒ぎがしましてな」
そういえば、ショウも似たような事を言っていたな、とネイベルは思った。
「来たぞ!」
カルーダが全員に響く声で叫んだ。
ネイベルも魔力を目に集中しながら戦局を見つめる。
今回彼らには、敵の命を刈り取らない様に頼んである。
武器に雷魔法を込めながら、一撃で意識を刈り取っているのが、ここからでも確認できた。
「見事なものです」
ロンメルが呟くの聞いて、ネイベルも頷かざるを得なかった。全て指示した通りだ。
あくびをしながら、上手に敵を背後に漏らしている。
冒険者達が戦闘経験を積む横で、ミネルヴァも頑張っているようだ。
結局、数十人は地に伏しただろうか、やがて飛び込んでくる敵はいなくなった。
「さすがに、これで終わりって事はないよね」
「ええ、段々と狙いが見えてきましたな」
ロンメルの見つめる先では、本隊がゆっくりと前進している様だ。松明の火が、揺ら揺らとうごめいている。
――ひょおぅぅおぅぅ
「ん、今のは何の音だ?」
「鏑矢に御座いますね。何かの合図でしょう。そろそろ左右から、弓矢や魔法での攻撃が来るやもしれませんぞ」
なるほど、ネイベルは初めて聞いたが、まるで闇夜に紛れて鳥が鳴いている様だ。
「第二陣、来るぞ!」
残った敵の大部分が、松明を持ったまま、陣形を保ってこちらへ歩いてくる。
その時、ネイベル達の上空に、大量の矢が降り注いでくるのが見えた。
「そのまま予定通り前線集中!」
ネイベルが大声で叫ぶ。
狭い陸地に密集しているのだ。当然そこに遠距離攻撃を叩きこむのは常道だろう。
あらかじめ上空一帯には、強烈な風魔法を展開している。
だが――。
「ネイベル! 油だ!」
カルーダの声が聞こえる。前線はまだお互いの間合いに入らず、お見合いをしている状況だ。
「どうやら、矢に油壺でも下げていた様ですな」
当然相手も、こちらが何かしらの対策をする、と踏んだ上での攻撃なのだろう。
「しかし、結構な量だな」
油ごと矢を弾き飛ばした結果、ネイベル達の周囲には、テカテカと光る雑草が広がる事になった。
「つまり、あの松明はそういう事でしょうな」
ロンメルの言う通りだろう。
おまけに、土魔法で丁寧に形成された壷が、こちらへと飛んでくる。中には、なみなみと油が込められているに違いない。
戦場は、燃え盛る火炎に囲まれている。
かなり広い範囲を風魔法で覆っていたので、直接の被害は出ていないが、吹き飛ばされないように注意が必要かもしれない。
「ネイベル様、アレをご覧ください」
ロンメルの示す先では、なんと地面へ転がっていた者達が、起き上がり始めている。
熱に浮かされたわけでもないだろうに、一体どういう事だろう。
意識を失ってから、回復するまでが早すぎる。
「回復術士がいたのかな」
「いえ、理由は別にありそうです。少々驚きましたが、なるほど、周囲の街々が荒れていたわけも見当がつきました」
ロンメルはそういって頷いている。
カルーダとショウは、起き上がってきた者達と、遅れて突っ込んできた者達を、一度に相手取っていた。
処理にもたついている様に見える。
「街が荒れていた理由が分かったって、どういう事?」
「起き上がった者達の目を良くご覧下さい」
そう言われて確認すると、目が赤く充血している……様な気がする。
「血走った様な目をしているね」
「ええ、試しに妨害魔法をかけてみると、分かるかと思います」
何か腑に落ちないが、転がっている人間に向かって、強めに催眠魔法をかけてみた。
――そこで寝ていろ。
すると、一瞬だけ体がビクッと動いた。
しかし、そのまま何事も無かったかの様に、妨害を続けている。
「なるほど、催眠に落とすまで強めにかけてみたけど、効果がないみたいだ」
「スルーレの子供との戦いで、妨害系統の魔法が一切効かない状態があった、という話をして下さいましたよね。恐らく、似たような状況だと思います」
ネイベルは、はっとして思い出した。確かに、幼龍の感情が振り切れた時には、瞳孔が縦に細く割れ、妨害系統は一切通用しなかった。
「という事は、敵は俺の得意魔法を知っているって事かな」
「そうなりますな」
ロンメルとの会話の後も、ネイベルは頭を働かせながら、敵の様子をうかがっていた。
この戦いでネイベルが最前線に立たないのは、ネイベル自身の能力が、まだ地上ではほとんど知れ渡っていないからだ。秘匿できるなら、そうしたい。
それなのに、相手はしっかりとこちらの情報を掴んでいる。恐ろしい情報収集能力だとネイベルは思った。
「ショウとカルーダ殿の見極めはもう十分だ、という事なのでしょうか」
ロンメルの呟きを耳が拾った。そのまま視線を動かすと、敵の前線がどんどんと引いていく。
「最初に突っ込んできた人達は動かないんだね」
「あの者達は、幻梅香という魔薬を使用しているのです……。今では製造どころか、所持まで固く禁じられている劇薬です」
「魔薬だって? そりゃあひどい……ああ、さっきロンメルさんが言ってた事はつまり――」
「ええ、どうやら私共のいない間に、王都に魔薬が蔓延しつつある様ですね。今から考えれば、周辺の街にまで影響が及んでいたのでしょう」
王都に来る途中に寄った街々は、異様に活気が無かったのをネイベルも思い出している。
「それで、幻梅香の効果はどういった物なの?」
「分かりやすい特徴は、仄かに甘い香りがする事です。嗅ぎ続けると、精神をひどく高揚させ、常用すれば、やがて理性が吹き飛びます。そういった者達を催眠にかけるだけで、あのような狂人へと仕立てられる、という寸法です」
「なんて惨い……」
「死人とも死兵とも言いますね。ご覧の通り、完全に息の根を止めるまで、指示されたことを愚直に繰り返すのです」
カルーダとショウのいる最前線では、前線が引いた後に、攻撃魔法が連続で叩きこまれている。
当然、狂人となった彼らを道連れにするつもりだろう。まったく容赦がない。
「こんなやり方、あんまりだ」
「ええ。ですので大陸中で製造、所持が固く禁じられているのです」
ロンメルの声も、いくらか暗い感じがする。
「そろそろあの二人でも、止めを刺しかねない状況だね」
「ええ、頃合でしょうね」
ネイベルとロンメルは、顔を見合わせ、頷いた。
事前に打ち合わせていた案を実行するのだ。
『はぁ? わざと苦戦しながら、敵の命を刈り取らず、あまつさえ撤退するだと?』
『ああそうだ。まず、俺の情報はなるべく渡したくない。それに、リンとミネルヴァも、戦闘が苦手な後衛だと勘違いしてほしい。カルーダが引っ張るだけのパーティで、リーダーは間抜けだと思われる様にしたいんだ』
『得たいのが情報のみなら、相手を丸ごと捕らえてしまえば良いじゃないかぃ』
『恐らく、ダジという男が戦場に来て、首尾よく捕らえたとしても、上層部にはつながらないと踏んでいる。いつでも切り捨てられる駒でしかないはずだ』
『へぇ、そうかよ。だからって舐められるのは納得いかねぇぞ』
『燦々会が国の中枢にまで食い込んでいるなら、俺達は国民全員を人質に取られている様なもんだ。安易な行動は取れないんだよ。どうでも良いと思われている方が、対応はずっと楽になるはずだからね』
『ネイベルがどうしてもって言うなら、わざと殴られてやっても良いぞ!』
『ソーマはちょっと黙ってなさい。それでネイベル、逃げる先に当てはあるのね? 貧民街かしら』
『カド達と落ち合う手筈になっているよ』
「全員、撤退だ! 走れ!」
ネイベルが大声で指示を出すと、全員が予定通りに引き上げて来た。
燃え盛る炎を無視して走れる者だけではないので、先頭のネイベルが全て消火している。
「水路での経験は、得難い物だったなあ」
「本当ね」
リンが久しぶりに見せる笑顔の横で、ネイベルは全員がまとめて行動出来るだけの空気の層を作り出した。
「カルロスとソーマは仲間をしっかりと連れてきて! キャミィはボンさんを任せるよ! 全員、川の中へ駆け込め!」
空から矢の雨が降り注ぐ中、ネイベル達は真っ暗闇の水中へと駆け込んだ。
その時、ふと目にしたショウの横顔は、珍しく焦燥した風であり、瞳には涙が浮かんでいる様だった。
ボンさんはキャミィが必死に抑えていました。




