カドの想い
ネイベルはベッドへと腰を下ろしている。
それでは私の調べたことを報告しますね、といってカドは話を続けた。
「ウロ様の御容態は優れません。むしろここ最近は悪化の一途だという事です」
イストの国王は、現在アルプーリの父親でもある、ウロ・センが務めている。
これはロンメル達と初めて会った時に知ったことだ。
「ビソウ第一王子とイザヨイ第二王子が、国王の座を巡って争っており、王都は混迷しているようです」
アルには兄が二人いるとは聞いていたけど、名前は初めて聞いたな、とネイベルは思った。
そして、ウロ・センという名前に違和感を感じる。
「王国民を無視し、無駄な争いを続けて、本当に情けないですよ」
カドは、がっかりした表情を浮かべている。
「実はね、カド。どうやらその争いの最中、あの絵巻物を宝物庫から持ち出して、売り捌いた奴が居たらしいんだよ」
「んなっ! 本当ですか? ――信じられない阿呆ですね」
カドは、凄まじく大きなため息をついた。心底呆れている。
「俺もそう思うよ。歴史の重みを知らないんだ。ミネルヴァが知ったら、激怒どころじゃ済まないよ」
カドはその様子を想像したのだろう、ふふっと笑う。
「誰が売ったか、までは分からなかったらしいけどね。カミラさんが偶然見つけて、大慌てで買い戻して、冒険者組合が保管していたんだってさ」
「そうですか。それでネイベル様は、それをどうするおつもりですか?」
「そりゃ当然、イストの宝物庫に戻すよ――全部、記録を取らせてもらったからね」
そういって顔を見合わせると、カドとネイベルは少し笑った。
今、宿の部屋の中には、カドとネイベルしかいない。
ショウが帰ってくるまでは、まだ時間があるだろう。
それにカルーダ達は、いつも夜まで帰ってこない。
ここまでの冒険を振り返って、色々な可能性を考えたネイベルだったが、自身に起きた変化を話すべきか迷っていた。
どこか決まりの悪い空気が広がっている。
「あの、ネイベル様――」
「あの、カド――」
ふたりで同時に話しかけてしまい、一瞬の間があって、ぷっと噴き出す。
「カドから話してよ」
「いえ、私の話は後からでも大丈夫です。ネイベル様の話を聞きたいです」
思いつめてらっしゃったので、と彼女は柔らかい笑顔で言った。
「そう、そうだね」
ネイベルはカドの事を心から信頼している。なので、思い切って相談してみることにした。
「驚かないで聞いて欲しい。多分……いや、確実に、と言った方が正しいかもしれない」
彼女は佇まいを直して、しっかりとこちらを見ている。
「俺は記憶が欠けていると思う。もしくは混濁しているのかもしれない」
驚いた顔をするだろう、と思ったネイベルだったが、カドは眉を寄せて何やら思案している。
「――もしかして、リンやミネルヴァから聞いていた?」
目を瞑り、少し考えるそぶりを見せた後、彼女は静かに首を縦に振った。
「地上への生還を果たした日です。お酒も入っていた私達は、部屋に戻ってからも全員で語り合っていました」
確かに仲良く話をしている姿は目撃していた。だが、部屋に戻ってからも、それを続けていたとは思わなかった。
「そしてミネルヴァ様は、少し興味深い話をして下さいました」
本当はここで話すべきではないのかもしれませんが、と言ってカドは俯いてしまった。
「そう、そうか。それで彼女は何て言っていたの?」
するとカドは、その時の話をゆっくりとしてくれた。
『ネイベル様は、少し古めかしい言葉使いをされますよね』
『ああ、マリーにはそう聞こえるのね。――あれはね、記憶が欠けたせいよ。それに封印もされているでしょうね』
『えっ! 本当ですか? 記憶操作の魔法なんて、今の時代では裏社会でも珍しいですよ?』
『そうみたいね。でも間違いないと思うわよ。昏倒を繰り返して、その度に記憶が欠落していったんでしょうね。ある時を境に、急に変化があったから、そこで記憶がある程度補完されたんじゃないかしら』
『補完って……誰かが欠けた記憶を無理やり埋めた……という事ですか?』
『自分で思い出しただけっていう可能性も当然あるわよ。でも、何だか少しチグハグな感じがするのよね。アレは記憶操作をされた人間に良く見られる現象だから』
『封印っていうのはどういう事だ?』
『そうね、アルが分かるように例えるなら、お酒の入った樽を思い浮かべてみなさい。そして樽底に穴を開けて、その穴から急いで樽の中へ、木の実を入れて蓋をする事。これが近いわね』
『樽の中のお酒が、欠けていた記憶ってことですよね? そして木の実が、封印したい記憶だと』
『マリーの言う通りよ。封印する時に漏れる記憶と、封印されて失われた記憶と、隙間からジワジワと漏れ出す記憶が、混濁を招くのよ』
『分かった様な、分からない様な』
『どの道、禁止されている魔法だから、あまり気にする事ないわよ』
『私は――知らない方が幸せな事も、きっとあると思うわ』
『あら、リンは酷い事を言うのね』
『そうかしら』
『それとも、あなたが記憶を取り戻しつつある事と、何か関係があるのかしら』
『それは――もう遅くなってしまったわね。先に休むわ』
『……そうね、私も少し話し疲れてしまったわ。今夜はここまでにしておきましょう』
「リン様が退出されると、そのままお開きとなりました」
「なるほど。それじゃあリンはついに、記憶を取り戻したんだね」
さすがにネイベルでも、リンが記憶を失っているのだろうという事は分かっていた。
ただ、今の関係が壊れてしまう気がして、怖くて聞けなかっただけだ。
「それにしても、記憶を封印する魔法なんてあったんだね。初めて聞いたよ」
「狙った記憶以外にも影響が広がってしまうので、運用は慎重に行わないといけない魔法です。大昔に禁止されて、現在ではほとんど使われません。表向きは、ですが」
ネイベルはカドの話を聞きながら、違和感が徐々に解消していくのが分かった。
頭の中を必死に整理していく。
すると、体に何か重みを感じた。
「カ、カド? どうしたんだよ」
彼女はネイベルの隣に腰をかけて、肩にもたれかかってきた。
「今のお話を聞けば、大体の流れは理解できたはずです」
「あ、ああ。それは助かったよ」
「それでもネイベル様は、ご自身の事よりも、リン様の事が先に頭へ浮かぶのですね」
そう言ってカドは目を瞑り、ネイベルの手の上に、自身の手をそっと添えた。
「カド……」
「私はずるい女です。こうしてリン様がいらっしゃらない時に、こんな話をして」
「いや、それは俺が聞いたからだろう」
「いいえ、聞かれずとも、いつか私は告げ口をするように、きっとネイベル様へ話をしたでしょう」
彼女の息遣いが耳のそばで聞こえる。
ネイベルは、とてもそちらへ顔を向けられなかった。
「もうお分かりでしょう? ネイベル様の記憶を封印されたのは、きっとリン様です」
「それは、いやしかし――」
ネイベルは必死に考えを巡らせている。
状況的にリンが記憶の封印を行った可能性は高いのだろうが、理由がさっぱり分からない。
それに彼女は記憶を取り戻しつつあるという。それなら、どうして自分にその話をしてくれないのだろうか。
「またリン様の事を考えてらっしゃいますね」
カドの悲しそうな声がすぐ近くで響く。
柔らかい体からは、直に鼓動が伝わってくる。
ネイベルは、そっと手を払うと、ゆっくり立ち上がった。
「そろそろショウが帰ってくるよ」
「私の話がまだ済んでいません」
「ああ、ごめん。そうだった――」
そう言いながら、彼女の方へ振り向く。
するとネイベルの口に、柔らかいものが触れた。
熱が直接伝わってくる。
背中へ両手を回されて、強く抱きしめられた。
彼女の瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
椿油の、優しくて仄かに甘い香りが、ふわっと鼻をくすぐった。
どれほど時間が経っただろうか。
一瞬が永遠にも感じられる。
遠くから、こちらへ近づく足音が聞こえてきた。
「ん……」
カドは名残惜しそうに、そっと離れた。
背中に回された両手からも、力が抜けていく。
そしてネイベルを見つめながら、震える声で言った。
「ネイベル様――お慕い申しております」
ネイベルの鼓動が早鐘を打つ。
まさかカドがそんな感情を持ち合わせているとは、まったく思わなかった。
彼女は目元をそっと拭い、小走りで部屋を出て行く。
その姿を目で追いかけながらも、ネイベルは何も言葉を掛ける事が出来なかった。
一つ前の話と合わせると長すぎたので、分割しました。




