甘い吐息
「今日は何人だった?」
「三人ですね」
「はあ……」
ネイベルとカドが、もう日課となっているやり取りをする。
――現在の日時は、1月10日だ。
金閣と銀閣を退けてから、もう二月弱が過ぎた。
あの事件は、ネイベル達に大きな変化をもたらしている。
「おぉい。もう下で待ってるぞ」
カルーダが宿の一階から声を張り上げている。相変わらず良く通る声だ。
「じゃあ行って来るわよ、ネイベル」
「留守番を任せる事になって、ごめんなさいね」
「ああ、怪我の無いようにね」
そう言ってネイベルは、ミネルヴァとリンを送り出した。
ボンを除くと、金級になれなかったのは、ミネルヴァただ一人だけだ。
戦闘技能になんて、欠片も興味のなかった彼女のことだ。
恐らく御神体として意識がはっきりと覚醒してから、初めて挫折という経験をしたのだろう。
カルーダの胸で泣き続けた彼女は、もはや人間そのものだった。
やがて涙も収まり、目を真っ赤に腫らした彼女は、そっとカルーダの頬へ口付けをした。
窓から差し込む光は、薪をくべた暖炉のような茜色で、二人を優しく照らしていたのを今でも覚えている。
その光景は、ネイベルの脳に鮮烈な衝撃を与え、体が痺れるほどであった。
リンだけではなく、カドすらも、うっすらと涙を流していたのには驚いた。
積み重ねた時間は、少しだけ、心の扉の鍵を緩くする。
翌日以降の彼女からは、驕り高ぶった態度が感じられなくなった。
そして宿の裏手にある場所で、リンやアルと一緒に、カルーダから指導を仰ぎはじめた。
その結果、彼女達のファンと呼ばれる存在が日に日に増えていき、ついには一緒に鍛錬をするようになってしまった。
事件の際に活躍した冒険者パーティも訪れるようになり、やがてカルーダの一声で、全員が共に鍛錬することになった。
リンとミネルヴァは、ボンを連れて、様々なパーティと一緒にダンジョンへ潜っている。当然カルーダが厳しく指導をしているのだろう。
ネイベルも数日に一度、後衛組を集めて魔法の指導をしている。
王女だとバレてしまったアルは、ロンメルと一緒に街の中で奉仕活動をしていて、隣街まで足を伸ばす事も増えてきた。
そしてネイベルの目の前には、三人の男が転がされている。
「何か吐いた?」
「いえ。自害する気概すらないようですから、そもそも三流以下ですね。素人です」
カドはわざと男達を煽っているのだろう。だが顔を真っ赤にしてしまっているあたり、やはり腕は知れているというものだ。
「はあ……誰の命令で、何の情報が欲しいのか。教えてくれたら、内容次第ではこっちも折れるって何度も言っているのに」
「ネイベル様は優しすぎるのです。吐かせても宜しいのでしたら、私が――」
「いや、いいんだ。そういう手段はあまり使いたくない」
つまり、こいつらは偵察部隊だ。
ネイベル達は、この街に入る姿を五人から補足されている。恐らくそのうちの一人がジャックで間違いない。
三人はポンコツだったのを覚えているので、残るのは一人なのだが、それが誰だか分からない。
「それじゃあ、いつも通り冒険者組合で手配書を調べて、見つからないようなら兵隊さんに引き渡そう」
冒険者組合を優先するのは、どうもイストの情勢があまり良くないだからだ。
ショウに目で合図をすると、彼はすぐに結んだ縄を持ち上げて、彼らを連れて行った。
「何かお話があるのですね」
カドが僅かに口角を上げて、ネイベルを優しく見つめる。
「ああそうだ」
少し気恥ずかしくなったネイベルは、おでこに残った傷跡を無意識にさする。
カドの笑顔がスッと消え、眉尻が下がる。
「私が不甲斐ないばかりに、ネイベル様にお怪我を……」
「いや、そんな事はないって。カドで駄目なら、カルーダでさえ防げなかったと俺は思ってるよ」
イッカクが吹き飛ばした岩の破片が、額に直撃していたらしい。ネイベルは、諸々の処理が終わるまで気がつかなかった。
カドが手を伸ばしてくる。
そっと傷跡に添えられた手は、恐ろしく冷えていて、ネイベルはキュッと心臓を撫でられたような気持ちがした。
カドの瞳が揺れている。
「カド……?」
「――ぁ」
はっとしてカドの目が座る。
「いや、いいんだ」
カドは下唇をかみ締めて、何かに耐えているようだ。
「それより、本題に入ろう」
カドを椅子に座らせて、ネイベルは話し始めた。
「この二ヶ月、全員がやることを自分で考えて実行してきたね」
「えぇ、そうですね。ミネルヴァ様に触発されたのでしょう。アル様も自覚を持たれており、良い傾向です」
カドの笑顔はどこまでも澄んでいる。
「じゃあ、まずは僕の方から。冒険者組合に、スルーレの骨を二本売却したよ。合わせて白金貨千枚だ」
驚いたろう? とカドの方を見るが、やや不満顔だ。
「男性の足ほどの長さはありましたので、一本あれば国宝級の武器や防具がいくつか作れるでしょう。一本で千枚は取れそうですが」
「まあ、俺もそう思ったんだけどね。そもそも、ここの冒険者組合の金庫を空にして、ようやく千枚程度だったんだよね。だから恩を売った事にして、不足分は情報をしっかり分けてもらったんだ」
ネイベルはちょっと嫌らしい笑みを浮かべている。
「本当は、売り捌きたいのはこっちなのに、もったいぶった演技をしたんだ。商人になった気分だったよ」
「元から商人だったではないですか」
ネイベルの冗談に、カドは笑ってくれた。
「現在のイストの情勢、王都の冒険者組合の情報、要注意人物、他国の情勢、この辺りの情報は根こそぎ出してもらった。カミラさんの凍てつく視線が怖かったよ」
ネイベルは苦笑いをしつつ、懐から数冊の本を取り出した。
「そして、最後はこれ」
カドは机の上に出されたものをまじまじと見つめる。
「……絵巻物、でしょうか?」
「ああ、そうだ。古くから伝わる伝承や神話なんかを、羊皮紙に纏めたものらしい。風化しない様に魔法が掛けられているんだ」
その中の一つを広げてみせる。
「少し難解な文字が多いけど、意味は分かる。これは海から現れた龍が、街で大暴れした話だ」
カドは椅子を立ち上がり、ネイベルのそばまで歩いて来た。
ふわっと良い匂いが鼻を掠める。赤茶色の髪を耳にかける仕草が、妙に艶かしい。
いつもより大分距離が近い気がする。彼女の腕が、ネイベルに当たっている。とても柔らかい。
そして特に気にした風もなく、中身に目を通し始めた。
「龍は……水の様で……子供を産み……為す術もなく……王都の被害が甚大、という感じでしょうか」
「う、うん。そしてこれは、スルーレの事で間違いないと思う。絵も確かに似ていると言えば似ているし」
カドは見た事がないので、分からないかもしれない。
「他にも色々あるんだけど、これが一番大事だ」
そういってネイベルが広げた巻物は、普通の物より幅が広い。縦と横の長さは同じ位に思える。
「ここを見てくれ。中央の台座の上にあるこれは、明らかにこのやかんだろう。それに、注ぎ口からは、例の紋章と同じ模様が溢れ出している。台座の下には炎が、空には月が、周囲では人々が祈りを捧げている……のかなあ」
「はい、確かにその様に見えます。ただ、絵だけ、なのですね」
「ああ。残念だけど、文字はないんだ。良く分からない絵が、文字の可能性はあるけどね」
そう言ってネイベルは、巻物を懐へしまった。
巻物を追って視線の上がった彼女と目が合う。潤んでいて、熱っぽさを帯びている。
そして目と鼻の先には、少し薄めの唇が見える。
微かに開いているようで、ネイベルの鼻腔には甘い香りが運ばれて来る。
――いけない。
ネイベルは、目を瞑って、小さく咳払いをした。
わざわざ巻物をやかんにしまう振りをしながら、カドと距離を取ると、彼女は背中から話しかけてきた。
「しかし……何故その様に大事な物が、冒険者組合にあるのでしょう」
「それは、カドに頼んでおいた調査が原因なんだよ」
彼女は、はっとして、なるほど、と頷いた。
追いかけて下さっている方、いつもありがとうございます。
現在の状況は、完結までの大雑把な流れをひたすら練りこんでいる所です。
地上編はテンポ良く、かつ丁寧に、頑張って一話一話進めていこうと思っています。
これからもよろしくお願いします。




