心の移ろい
ネイベルの目の前には、転がったボンがいる。
窓から差し込む光に照らされて、緋色の体が美しく輝いていた。頭には茶色い毛がびっしりと生えている。
「ボンさん!」
慌てて布を巻くが、どうやら手遅れだった様だ。
なかなか大きな音を出していたので、注目を集めていた。
「おい、あれ……」
「お前、見たか?」
「やだ、ちょっと大丈夫なの?」
「ボーンソルジャーだった様な……」
「でも、色が違ったぞ」
――だめだ、完全に見られてしまった。
組合の一階は、ガヤガヤとした喧騒に包まれている。
「ちょっと君達、こっちに来てくれるかな」
組合の偉い人だろうか、すぐさまネイベル達の所まで駆け寄って来た。
薄くなった白髪頭と、顔に刻まれた深いシワや傷は、どこかカルーダを思わせる。同じ位の年齢の様だ。
「違うんです、これには理由が――」
「話はあっちで聞くから、ね?」
ネイベルは、かなり強い力で腕を掴まれている。
後ろを振り返ると、その場に居た全員がこちらを見ていた。
カドとロンメルが、はっとした表情を浮かべた後に、こちらへ駆け寄って来る。
アルは、どうしようといった風に慌てている。
「大丈夫です、私達に任せて下さい」
ロンメルがそう言ってネイベルの肩に手を置く。
「は、はい。お願いします」
「あれ、あなたは……」
白髪頭の偉い人は、ロンメルを見ながら首を傾げている。
「まぁまぁ、あちらの部屋で細かい話をしましょう。それまで彼らにはここに居てもらう、という事で」
「まあ良いでしょう。それではカミラ君、彼らを見ておいて」
「かしこまりました」
受付の女性はカミラという名前らしい。
ネイベル達の方へ来ると「ここでしばらくお待ち下さい」と言って、近くにあった椅子に腰かけた。
「おい、大丈夫かよ」
「ロンメルとカドがうまくやってくれる事を祈るしかないわね」
ミネルヴァは冊子に目を通しながら、そう言った。
「そうは言ってもな、心配じゃねぇのかよ」
「考えてみなさい、二人の立場を。彼らで駄目なら、力ずくで出るまでよ」
だから特に心配は要らないわよ、と言って、ミネルヴァは冊子をめくる手を止めようとしない。
その言葉を聞いたカミラの視線が、一瞬鋭く彼女へ向けられた。
ネイベルは、そちらをちらりと見やりながら、カルーダに声をかける。
「とりあえず、二人が帰ってくるのを待とう」
確かに彼女の言い分も最もなのだ。あの二人は王女に付いていたくらいの立場にいたわけで、何とかしてくれそうな気もする。
「オレが動けたら良かったんだけどな」
ボソッとそう言った彼女は、随分と寂しそうな表情を浮かべていた。
「あの二人に色々と言われてるでしょ、仕方ないよ」
上手に励ます言葉が浮かばなかったネイベルは、ありきたりな事しか言ってあげられなかった。
彼女はずっと、目立たないように、と注意を受けているのだ。
しばらくすると、奥の通路からロンメルとカドが、ボンさんを連れて戻ってきた。
「いやぁネイベル殿、呪いを受けたという話が何とか証明出来ましたぞ」
ロンメルがそうやって、組合の中全体に響き渡る様な大声で呼びかけてきた。
カドも、何だかわざとらしい位に、こちらをチラチラを見ている。
「そ、そうですか! それは良かった。なんせ原因も分からないですからね、理解いただけて本当に良かったですよ!」
ネイベルは、ロンメルの咄嗟の機転であろう考えに、全力で乗っかった。
リンとミネルヴァが口を押さえている。
あとで絶対に笑われるだろう。
ネイベルだって、こういった嘘が上手なら、もっと商人として大成出来ていたに違いないのだ。
組合の偉い人がおでこを抑えながら、ペコペコとお辞儀をしている。
「こちらの勘違いで、どうもすみませんでした!」
これもまた、大きな声で響き渡る。
体も大きいし、昔は冒険者だったりしたのかもしれない。
カミラは少し眉毛を上げて、やや目を見開いている。
「そう、ですか。それでは――彼らは解放しても宜しいのですね?」
「ああ! もちろんだ! 彼らは仲間の呪いを解くために、ずっと旅を続けているのだそうだ!」
一体、奥の部屋でどんなやり取りをしたんだろう。
なんだかネイベルは心が少し痛む気がした。
カミラは小さく息を吐きだすと、こちらに振り返って挨拶をする。
「それでは皆様、これからも頑張って下さいね」
そのまま、ほら、行きますよ、と言って偉い人を連れて行った。
「何だか良く分からねぇが、ロンメルがうまくやってくれたんだな?」
そうみたいね、と言ってリンは話を続ける。
「でも、ずっと旅を続けているのに、ここで冒険者登録をしているのよ? 何だかおかしいわよね」
リンはそう言って、クスクス笑っている。
全員がそれを聞いて、苦笑いをしてしまった。
「とりあえず、私の身分が役に立ちました。ボンさんは、晴れて冒険者という身分を手に入れましたよ」
ロンメルがそういってボンさんの体を優しくなでる。
あわてて布で巻いたので、少し緩い気がする。
「オレが――」
「アル様」
カドがそっと彼女の肩に手を置く。
「皆、お気持ちは理解しております。ただ、ここで悪目立ちするわけにはいかないでしょう。それに、念願だった冒険者証も取れたではないですか」
「それは……そうだけど」
アルは不甲斐ない気持ちがあるのかもしれない。マリー組の行動を見て、思う所があってもおかしくはない。
「登録名をアルにして頂いた理由も、納得されたはずですよ」
「分かってるって。迷惑をかけるのは本望じゃないよ」
最近、アルは少し口調が柔らかくなってきた。
彼女自身それほど口数が多い人間ではないが、自分の内面と向き合う時間が、成長をもたらしているのだろう。
「とりあえず、宿に戻って今後の事を考えよう」
ネイベルは話題を変えようと思い、全員に提案をする。
「ああ、それが良い。酒も飲みてぇからな」
カルーダが乗ってくれた。
「いい加減にしないと怒るわよ」
「何だよ、やけに突っかかるじゃねぇか」
「そりゃあんた、酒に溺れて命が……そうね、さっさと天に召されると良いわ」
「はぁ? なんだそりゃ」
「うるさいわね。大体――」
また始まった、という雰囲気が漂う。
そのまま二人は放置して、全員で宿へと戻った。
「それじゃ、色々仕事なんかをこなしていれば、冒険者証の色が変わっていくわけだな?」
現在、宿ではカドによる冒険者講座が行われている。
彼女は仕事で必要だった為に、既に冒険者証を取得済みであった。
「お金を払えば誰でも銅級になれます。みなさんの冒険者証がそうですね。銀級に上がると一人前扱いされます。その上が金級、そして真銀級、神金級、と言った具合になりますね」
私の階級が金級になります、と言ってカドは自分の冒険者証を見せてくれた。
ネイベル達のものと違って、見事な金色に輝いている。
「金級くらいになると、色々便利だっていう事で良いんだね?」
そうですね、と言ってロンメルも頷いている。
「今後のみなさんの行動を考えますと、金級の冒険者証というものは、大いに役立つと思います」
「急がば回れ、というしね」
「なんだそりゃ」
カルーダが首をひねる。
「急いでいる時こそ、地道な行動を取った方が良いって意味だよ。結果的にその方が、早く目的を達成できるっていう話だ」
「へぇ、そうかよ。まぁあんまり考えても仕方ねぇな。さっさと金級ってやつになってよ、王都に行こうぜ」
「まあ、そうなんだけどさ」
ネイベルの心には、ジャックという男の正体がひっかかっている。
「なんだよ、何かあんのか」
「いや、問題ないよ。カドの指示に従おう。ショウとアルもまだ銅級だしね」
「はい、この機会に一緒にやっておけ、とじぃに言われました」
アルも頷いている。
ひとまず、あの男の事は忘れる事にした。地道な活動がいずれ実を結ぶはずだ。
「というわけで、カドの指示に従ってやろう」
「はい。初めは怪物や魔獣の素材を上手に解体して分別する技術からですね」
「それじゃあ、あの倉庫みたいな所に行こうか」
「それが良いかと思います」
カドは笑顔でそう言った。
現在ネイベル達は、毎日カドの指示に従いながら、昇級に必要な怪物や魔獣の知識を覚えている。
生息地や、特性、重要な素材となる部位やその活用方法などが主だったものだ。昇級試験に必要らしい。
それに加えて、解体技術なども交代で学んでいる。こちらも金級になるためには必須技能らしい。
「それにしても、カルーダが真面目に取り組むとは思わなかったわ」
ミネルヴァが、隣で黙々と知識を詰め込んでいる様子のカルーダを見て、心底驚いている。
「こういう情報がな、人の命を救う事もあるんだ。文武両道っていったか? つまりそういう事だ」
ピスソ陛下も常におっしゃっていた、と言いながら、再び図鑑に目を通している。
「そう、そうよね。あなたのそういう所は、とても素敵だと思うわ」
ミネルヴァの呟きにすらカルーダは反応しない。すさまじい集中力だ。
彼女はそんなカルーダを見て、少し微笑んだ。
「余所見していると、ネイベルだけ落第するわよ」
リンがいたずらっぽく笑いながら、ネイベルの頬を指でつつく。
「俺だって、やるときはやるんだ」
ネイベルも、慌てて知識を詰め込んでいく。
その傍らでは、ロンメルとカドが、昇級に必要な仕事を選んで持ってきてくれている。
毎日解体した素材を、ひたすら納入しているのだ。
ちなみに、ボンさんも一緒に図鑑へ目を通している。
――内容を理解しているかどうかは、誰にも分からない。
「よし、こんなもんだろう」
――現在の日時は、11月20日8時30分だ。
「素材を納入する分と解体技術に関しては、もう問題ないでしょう。あとは知識を問われる試験と、戦闘技能の試験を通過すれば金級になれると思います」
「銅級から一度に上がれるのが金級までなんだよね?」
「ええ、そうです。金級から先が大変なのです。銀級で一人前、金級で一流とみなされます」
登録後に一月で金級へ挑戦出来るのは、多分異例……なんだろう。頭にいれておかないといけない。
「ミネルヴァ、おめぇは戦闘技能試験、大丈夫なのかよ」
カルーダは彼女を心配そうに見た。
「リンと一緒に、ボンさんやアルに相手をしてもらったわ! それにダンジョンの中でも頑張ったし、何事も挑戦よ!」
なんだかミネルヴァらしからぬ事を言っている。
「ほぉ、良い事言うじゃねぇか。まぁ頑張れや」
カルーダは嬉しそうに笑いながら、ミネルヴァに声をかけた。ネイベルも笑顔で頷いてやる。
彼女は少し照れている様だ。視線をはずしながら、豪奢な金髪を片手でいじっている。
実際、ミネルヴァの発言と行動は、出会った頃とは完全に変わった。
その横では、影響を与えた張本人が、両手を握り締めて、よしっよしっと自分を鼓舞していた。
かわいいにも程があるだろう、とネイベルは思った。
「それでは行きましょうか」
ロンメルの声を合図に、全員で冒険者組合へと向かった。
冒険を通じてミネルヴァの気持ちも大きく傾いています。




