湖面に揺れる月
タイトルとあらすじがちょっと変わりました。
「へそが茶を沸かす七転八起の冒険譚 ~やかんに魅入られた俺と女神~」
個人的に気に入っていたタイトルではあったんですけど、色々あって変えてみました。
後書きに、改稿についての報告があります。読み飛ばしても話が分からなくなる事はありません。
興味がある方だけ目を通して下さいませ。
焚き火に使った木は、強引に魔法で乾燥させたものだ。燃え方はそれほど悪くない。
時折風にのってカビ臭い香りが鼻をつくのだが、とても懐かしく感じて、なぜか嫌な気持ちにならなかった。
ネイベルは、目の前で揺れる炎をずっと眺めている。
パチッと何かが弾ける様な音がして、火花が軽快に踊った。
「ここまで長かったわね」
リンも目の前の炎を見つめている。
揺ら揺らと照らされた彼女の横顔は、ネイベルの心を激しく掻き立てた。
透き通る様な白っぽい肌は、凍土で吐き出した息の様に儚くて、闇に良く映える。
「あっという間だったよ」
リンは僅かに口角を上げただけで、何も言わない。
膝の上にあごを乗せて、小さく丸まっている。
そんな彼女を見ながら、ここまでの道のりに思いを馳せる。
ネイベルは、時間の流れがひどく緩やかになっている様な気がした。
「初めは、もっと違う付き合い方をするつもりだったのよ」
嫌な女でしょ、と言って彼女は、スルーレの長い骨を火かき棒がわりに火の中にいれて、意味もなくいじっている。
「何度打ちのめされても、必死に起き上がるあなたを見ていたら、少しずつ私の気持ちも動いていったわ」
「いつだって、君は俺を導いてくれたじゃないか」
「それは……そうかもしれないけど」
リンは少しだけ笑顔になる。
「あなたは最初のウサギでさえ苦戦したわね」
「星兎かあ。今となっては懐かしい思い出だよ」
ネイベルの言葉を聞くと、それっきり彼女は再び黙ってしまう。
何か言葉を捜しているようで、ネイベルも黙ってそれを待っていた。
彼女が火をいじる度に、炎は気持ちよさそうに揺れた。
「ネイベル、それ……」
意を決したように、リンはネイベルの背後を指差す。
「ん? ああ、鞄か。こいつも旅の仲間みたいなものだよね」
「そうね――」
背後を探り始めたリンの顔は、影に隠れてしまった。
彼女は、やかんから何やら取り出し始める。
「これもね」
手の上には、ボロボロになった鎧の一部がのっている。
「ああ、スルーレと戦った時の鎖帷子だね。スタリーさんとルピスさん、元気にしてるかな」
カルーダの両親だ。かなり高齢だったので、少し不安になる。
リンの顔色は少し冴えない。
きっとネイベルと同じような不安に駆られているのだろう。彼女は、特にルピスさんと仲が良かった。
「魔法で何とかなれば良いんだけどなあ」
「そうね、魔法の可能性は無限だわ。地上にはそういった事が出来る人もいるのよ。一番大切なのは――」
「想像力でしょ? はやく地上に行って直せると良いんだけど」
彼女は真剣な表情でネイベルを見ている。
言葉を遮ってしまったのは、悪かっただろうか。
すると再び背後に向き直って、やかんを手にとった。
「このやかんも随分きれいになったわよね」
「毎日、丁寧に磨き続けているからね」
彼女はやかんに鎧をしまっている。
「初めは明かりとして使っていたのに、今では便利になったよなあ」
ピクッと手を止めた彼女は、鎧をしまい終わると、こちらをじっと見ている。
眉毛が元気なく下がっているし、気のせいか瞳には涙が溜まっている様な――。
「ネイベル、あなた何か隠している事がないかしら」
特に心当たりがなかったので、ネイベルは少し首をかしげる。
「たとえば、何か口ごもったり、言いたい言葉が出てこなかったり――そんな事はない?」
「それはあまり感じないなあ」
「そう……」
リンの言葉を受けて、ネイベルは色々と思い返す。
隠し事というほどではないが、ひとつだけ心当たりがあった。
しかし今の話とは関係が――。
「あなた、最近たまに顔をしかめて、どこかが痛むような顔をしているわよね」
不安そうにリンがそう聞いてくる。
ネイベルが今まさに話そうとしていた事だ。
「あ、ああ。黙っていたのは悪かったけど、たまに頭が痛むんだ。でも特に問題はないよ」
表情が変わるのなんて、ほんの一瞬だけのはずだ。
まさかリンにそれを見られていたとは……。ちょっと恥ずかしい。
「そう、そうなのね」
何か含みを感じる。
「どうしたの? 何か気になることでもあった?」
「スターラビット、チェーンメイル、イメージ、リュックサック、ランプ――」
彼女が聞きなれない言葉を重ねてくる。
その度に、ネイベルの頭に針が刺された様な痛みがする。
たまらず顔をしかめてしまった。
「や、やめて!」
不気味なほどの静けさが、心の中に入り込んできて、そっと心臓を撫でていく。
リンがこちらを見ている。
「やっぱり……ネイベル、あなた――」
彼女の瞳からは、ついに涙が流れ始めた。
「記憶が欠け始めているんじゃないかしら」
――記憶が欠け始めているんじゃないかしら。
ネイベルの頭の中で、リンの言葉が何度も響いていた。
リンの言葉を何とか飲み込んだ後、彼女と同じように小さく丸まって、揺れる炎をじっと眺めている。
彼女もそれきり何をいう事もなく、ネイベルと同じ様に、じっと炎を眺めていた。
先ほど聞いた単語は、言われてみれば、覚えがある単語だった気がする。
一つ一つ確認しようとすると、やっぱり頭が痛む。
その度に、顔をほんの少しだけしかめる。
時折、ちらっと彼女がこちらに視線を向けているのを感じる。
地上の事を思い出そうとしても、頭が痛くなるばかりだ。
大事な人を、忘れてしまっているような気がする。
とても大切な人を――。
一際大きく、バチッと音がした。
それにしても、少し妙な気がする。
顔をしかめるだけで、ここまでの考えに至るというのは、どこか不自然だ。
本人が経験した事でもない限りは――。
ネイベルは、はっとしてリンの方に振り向く。
「もしかして、リンも――」
そう言い掛けて、言葉が続かなかった。
ネイベルの視界に映った彼女の表情は、ネイベルの命を握りつぶすような衝撃を与えた。
顔をぐちゃぐちゃに歪ませて、涙をボロボロと流しながら、鼻水でドロドロになっている。
言葉に出せない慟哭が、形となって表に出てきている様だ。
「リン、気が付かなくて本当にごめん……」
「違う、違うのよ。私は――」
それだけ言うと、彼女は、ううぅっと声をあげながら、膝に突っ伏してしまった。
二人の距離はこんなにも近いのに……。
まるで湖面に揺れる月へと手を伸ばすような、そんな距離感を感じている。
「ネイベル、本当にごめんなさい」
心が落ち着いたのだろう。彼女が話しかけてきた。
「俺の方こそごめん。君の苦しみを理解できな――」
「違うの」
リンは言葉をかぶせてきた。
「あなたの記憶が欠け始めたのは、たぶん昏倒してからだと思うわ。だから、私が……」
言われてみれば、意識を失って目覚める度に、少しずつ頭が痛むようになった気がする。
ただ、顔をしかめるような痛みは最近になってからだ。
「どちらにしても、リンの事を恨んだりなんてしないよ」
彼女は泣き腫らした瞳で、ネイベルの事を不安そうに見つめてくる。
安心させる様に、笑顔を向ける。
「それに、リンだって大変じゃないか。顕現する時に犠牲を払ったって言っていたのは、もしかして……」
彼女はしずしずと頷いた。
「そうよ。大昔から紡がれた記憶を献上して、封印する事が条件になっていたわ」
少し分からない部分もあるが、おそらく聞いてはいけない所だろう。
それに、何だかすっきりした。
「記憶を献上した、と言う記憶はあるのよ。それ以外の条件も覚えているの。だから、思い出そうとすると痛みが走るけれど、今は慣れてしまったわ」
「それで、僕の様子を見てすぐに気が付いたんだね」
ええ、と言ってリンはまた申し訳なさそうな顔をする。
「二度と君を不安にさせないって約束したろ。もう昏倒するような情けない真似はしないよ」
そう言って、そっとリンの肩を抱き、手を重ねる。
彼女の肩は、ブルブルと震えていた。
二人の影が、一つに重なった。
彼女の顔が色付いた様に見えるのは、妖しいやかんのせいだろうか。
彼女の瞳が左右に振れているのは、揺れる炎のせいだろうか。
二人の間に流れる空気は、生暖かくて、少し湿っている。
パチパチッと火花が舞い上がった。
暖かい光が辺りを包み込んでいる。
重なり合った影の先端が二本、細長く伸びている。
やかんは妖しく光り続けていた。
「リン」
「ネイベル……」
やがて影の先端も、ゆっくりと重なっていく。
そして一つになった。
ネイベルは視界が暗転した。ネイベルは意識を失った。
「うっ……うっ……ごめんなさい、ネイベル――」
リンの涙が、静かにネイベルの頬を打っていた。
どうしても必要だったので、一話分だけお話が止まりました。
ネイベルとリンの距離感は難しいですね。
以前の一章と二章は合わさって、新しく一章となりました。
現在、二章まで改稿が完了しています。
今後、三章以降も改稿を進めて行く予定です。
要らない描写や説明文のカット、足らない描写を追加、整合性のチェックなどを中心にしています。
現在追いかけて下さっている皆様は、そのまま読んで頂いて問題ない様になってます。
伏線を消したり追加したりといった事はありません。
※なにか変更がある場合は報告をいれさせて頂きます。
これからも完結に向けて、毎日少しずつ全力投球で頑張ります。
宜しくお願いします!




