風に乗る想い
ネイベルの見つめる先では、マトージュと呼ばれた男が、不思議な表情を浮かべている。
「ん? どういう事だ」
彼は眉間にシワを寄せながらそう言った。
「なんだ、やりたい事は終わったのか?」
ネイベルは、心底落ち着いた気持ちでそう尋ねた。
「貴様、なぜ普通にしていられる」
「そんな事、俺に聞かれてもな」
男はやがて、どうでも良いといった風にして元の調子に戻っていった。
「まぁ良い。後は適当に自分たちで殺しあってくれたまえ」
そう言って右手を複雑に動かしながら、カルーダへと向けた。
「ん、んんん」
カルーダは何かに抵抗しようと試みているようだが、全くうまくいかないようだ。
「駄目だ、ネイベル! うまくよけろよ!」
剣を鋭く振り抜いては縦横無尽に動き続けている。
ネイベルは、慌てて棍棒を両手に持つと、カルーダの相手をしながらもマトージュを横目でしっかりと見やった。
彼は、リンとミネルヴァの首筋まで鼻を近づけて、すぅぅっと大きく息を吸い込んでいる。
「はぁぁ。たまらない。この香り! 最高だ! 素晴らしい! 至福の時だ――」
そして恍惚とした表情を浮かべた後に、両手で彼女達を抱えると、すぅっと闇に溶け込む様に、姿が見えなくなった。
――くそっ! 逃がしたか。
目の前のカルーダは、簡単には振り切れない。
風に煽られ、炎は激しく揺らめいた。
「すまねぇ、体が言う事をきかねぇ」
カルーダの戦闘技術は、ここの所いよいよ冴え渡っている。陽動を織り込みながらも繰り出される攻撃、合間に打ち込まれる魔法、反撃を許さない間合いの取り方、どれを取っても素晴らしい技術だ。
そしてその魔法自体も、これだけ継続して使えるとなれば、本来ならネイベルなぞ近接戦闘では相手にならない。
右から、左から、鋭い斬撃が繰り出されている。魔力を纏った一撃は、敵に回すとどれほど恐ろしい事か。ネイベルは改めてそう思ったのだが――。
「あぁ、これくらいなら問題ない」
――キィン
ネイベルは、カルーダの剣を弾き飛ばすと、思いっきり腹部へと棍棒を叩き込んだ。
「んぐっ」
カルーダは、たまらず腰を折りそうになる。
今のネイベルは、心がぶれた一瞬を見逃すほど愚かではなかった。カルーダの瞳を鋭く射抜く。
――お前の敵は俺じゃない。
「んんうっ――」
すると、喉にかかるような声を上げながら、カルーダの動きが止まった。
腹部への強烈な一撃と、高い耐性を貫くほどの深い催眠魔法を受けたのだ、カルーダはその場にうずくまるしかなかった。
やがて勢い良く胃の中にある物を地面へとぶちまけると、だんだんと顔色が良くなっていった。
「ふぅ……助かったぜ」
カルーダは口元を拭いながら、ネイベルに礼を言う。
炎は未だ燃え盛っている。
「いや、良いんだ。それより大丈夫だったか? いくらなんでも手加減までは出来なかったからな。相当良い一撃が入ったはずだ」
「あぁ、芯まで堪えたぜ。次はもうちょっと加減してくれや」
口元をにやつかせながら、何だか少し嬉しそうにそう言った。
「はぁ、カルーダ。その表情は何だよ」
「いや、おめぇの成長がはっきりと確認出来てな。何だか嬉しくなっちまった」
ネイベルは思わず、ふっと笑ってしまう。
「動きはね、いつも通りのカルーダだったんだけど。殺気とか、そういった物は全く感じなかったから……何も恐れる事なんてなかったよ」
「あぁ、そうみてぇだな。上手に力を抜きながら、一瞬の隙をつけるだけの余裕があったように見えたぜ」
「そんな大層なものでもないと思うけどね」
ネイベルも、カルーダに褒められればやっぱり嬉しい。少し口元をほころばせながら言葉を続ける。
「ところで、理由は分からないけど、マトージュとかいうやつに操られていたみたいだね」
「あぁ、意識に混濁はなかったが、体は全く言う事を聞かねぇ状態だった。ありゃ何の魔法だろうな」
いや、と言いながらネイベルは否定する。
「あれは恐らく……予測でしかないが、魔法ではないと思うな」
「何?」
カルーダは当てが外れて、驚いたような声をあげた。
「俺には何故か効かなかったけど、魔力を吸収出来る様に準備だけはしてあったんだ。でも反応がなかった」
「なるほどな――」
暗闇と静寂の中に響くのは二人のやりとりだけだ。時折、気持ち良さそうに木の弾ける軽快な音が耳まで届いてくる。
「だけどあの二人はよぉ……」
カルーダはやや表情が険しくなる。
「リンとミネルヴァは心配ないと思う。連れて行かれたけど、行き先はあの城だと分かっている。焦る必要はないさ」
「でもよ、なにかされたりは――」
カルーダはとても心配している。自分の責任だとでも思っているのだろう。
「命を奪うなら、もうとっくにやっているって。それに俺だって相当頭に来てる。でも冷静な自分が、落ち着くべきだって脳内で囁き続けるんだ」
とても心地よい気分なんだよ、とネイベルは言った。
「そうかよ。なんか一皮むけたって感じがすんな」
「そんな大層なものでもないと思うけどね――」
二人は現在、対策を練りながら城に向かって歩いている。
「さっきも言った通り、今のカルーダは俺の催眠魔法にかかっている状態だ。言ってみれば、マトージュの不思議な力を無理やり上から押さえつけているようなものなんだよ」
「へぇ、そんな事が出来るのかよ」
「あんまり仲間にかけたい魔法じゃないけどね。だから、催眠がとけないように、意識をあいつに持っていかれないように注意してくれ。それだけ出来ていれば多分大丈夫だ」
「あぁ、分かったぜ」
「それに地図を確認してみたけど、印が表示されないんだ。確かに付けたはずなのにね」
「どういう意味だ?」
「あいつは人間じゃないってことさ」
リンとミネルヴァにも印が付かなかったろ? と言ってネイベルはカルーダに視線を投げかけた。
頬に刺さる夜風が少し冷たい。
カルーダは、なるほどな、と言ってうなずいている。しっかりと理解が追いついているようだ。
「それに、姿が見えなくなった事についても、少し考えがある。たぶん闇に溶け込んで姿をくらませても、次からは場所を確定させる事が可能だ」
「ほぉ」
「カルーダはいつも通り、ただ斬るだけでいい」
「はっ! 良いぜ、そういうの。分かりやすいのが一番だ」
カルーダは、あいつらには申し訳ねぇ醜態を見せちまったからな、と言って気合を入れなおしている。
「それにね、あいつからは怖さを全く感じないんだ」
「あぁ、おめぇはいつにも増して落ち着いているように見えるよ」
「スルーレは、やっぱりとんでもなく強かったんだな」
「まぁ、そういうこった。あんな化け物、そうそうお目にかかれねぇよ」
闇にすっかりと目が慣れた二人は、市街地を順調に抜けて、城へと向かっていった。
目の前には、ガルガッドの城よりもだいぶそれらしい城がそびえている。百人規模とまではいかずとも、数十人くらいはここで働いていたかもしれない。
全面が白っぽい石で出来ているが、所々が崩れている。ミネルヴァが見つけた、火炎土器や水煙土器のような模様も随所に施されていて、まだ何とかその模様を保っている。近くで見ると中々に美しい。
大きく窪んでいる地面は干乾びており、幸いにも歩いて渡れる。入り口はネイベルの背丈の倍ほどはあり、扉は存在していなかった。上を見上げると、さらに高い所に窓だったのだろうか、穴があいている所がある。
それに魔法だろうか、外壁に等間隔で青白い光が灯っており、暗闇に映るその姿は、何か心に訴えかけてくるような不気味さを漂わせていた。
「大昔は、そりゃもう立派な城だったんだろうな」
「ああ、そんな印象を受けるね」
「高さからすれば三階建てって所か」
「最上階にいるんじゃないかな。穴のあいている所と、しっかり塞がれている所が見える」
「あぁ、あそこだな」
最上階付近の中央にある、穴の塞がった様な跡を確認すると、二人は中へと入っていった。
玄関ホールはかなり広く作られていた。天井からは、外壁と似たような青白い炎が、ネイベル達を仄かに照らしている。
「さて、どうするよ。一応調べてから行くか?」
「いや、そのまま行こう。焦る必要はないけど、急ぐ必要はあるかもしれない」
「それもそうか」
あんまり待たせるのも悪いしな、と言ってカルーダは前に進み始めた。
中の様子は、朽ち果てた木造部分の跡、風化している石造部分、錆び切っている金属部分、といった感じで、正直いつ崩れてもおかしくない気がする。
階段はマトージュが作り直したのかもしれない。石造りのそれは、周りに比べればまだ随分とマシだった。
「なんだか外側より内側の方が、より傷んでる気がするな」
ネイベルは呟きながらも階段を上る。
廊下や階段にもしっかりと炎は灯っていた。近くで見ると、ますます不気味さを感じる。
「何か争い事でもあったのか、それとも他の理由があったのか。俺達が知る由もねぇ」
「それもそうだ。先を急ごう」
入り口からまっすぐ歩いた先の階段を上ると、そのまま背面側に三階へと上る階段があった。
「階段だけは少し新しい所を見ると、やっぱりこの先か?」
「どちらにしろ他に選べる道はないよ。居なければ総当りで調べるまでさ」
「ちげぇねぇ」
穴のあいた廊下の窓の跡からは、不気味な音を立てながら風が吹き込んでくる。
「何かよ、人の怨念が篭ってるような音に聞こえるんだよな、こういうのってよ」
それになんだか不気味な薄暗さだしよ、とカルーダは呟く。
ネイベルは少し分かる気がする。
「この地で命を散らしていった人々の想いが、風に乗っているのかもしれないね」
「俺には、そう美しいもんには聞こえねぇけどな」
――嘆き声にしか聞こえねぇよ。
カルーダが何気なく呟いた言葉は、妙に生々しく、ネイベルの耳へもたれかかる様に響いた。
隙間風の音ってちょっと不気味




