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境界線

 その後もネイベル達は、ミネルヴァの好奇心の赴くままに、居住区をはじめとして様々な場所を調べて回った。


 あたりはすっかり暗くなっている。


 このダンジョンの中には様々な光源があるのだが、昼夜を感じられる空間は割りと多い。今の所は、水路の様に、一定の明るさが常に続くような場所のほうが珍しいくらいだ。


 やかんに収納しておいた、大森林の木々を取り出す。カルーダが魔法で火を焚くと、全員で囲むように座って、肉が焼けるまで雑談をしていた。






「大体めぼしい所は見て回ったわね」


 ミネルヴァは相当満足したようだ。


 用を足す場所や湯浴みをする場所もあり、水が豊富だったと考えて間違いはなさそうだ。やはり中央や居住区周辺に点在する窪みは、水で満たされていたのだろう。


「大きな建物跡なんかには、土器や石像が結構あったね」


「そうね。それに隣の空間には食料と木材が調達できる大森林もあったし、ここもケト王国民の為にプシーラが整えた場所かもしれないわね」


 ネイベルの問いかけにミネルヴァはそう答えた。


「それに金属製の物も結構残っていたし、なかなか良い暮らしをしていたと思うのよ。だからこそ不思議なのよね。どうして誰もいなくなったのかしら」


 ここから移動する理由なんてないわよ、と彼女はおでこに右手を当てながら考え始めた。


「大方よ、仲違いでもしたんだろうさ。人間はどんな環境にいても、お互いを憎んだり妬んだりっていう事をやめられねぇ」


 しみじみと語るカルーダの顔を、揺れる炎が儚げに映し出す。平和に見えるガルガッドでも、内部では争いごとがあったと言っていた。


「そうね、悲しいけれど私もわかるわ」


 リンも俯きながら同調する。きっと彼女もカルーダと同じように……いや、それ以上に、人間の醜い部分を見てきたのだろう。


「ほんと馬鹿よね。幸せの価値なんて自分で決めるものなのに、他人を見ながら自分と比べてしまうなんてね」


 ミネルヴァは心底呆れている。


「そうはいうけどな、そうやって常に誰かと自分を比べていないと、人間ってのは自分自身の境界線が段々と曖昧になっちまうんだ」


「どういうこと?」


 ネイベルはカルーダの言ってる事がちょっと気になった。


「ん、そうだな――。水路で空気の層を纏っていたよな。あれなら境界線は水と空気の間にあるって、だれでも分かる。 だがな、こうやって地上に出ると、途端にどこが境目なのか分からなくなっちまう。そんで自分を見失うんだ」


 炎の中で、パチッと木が弾ける。


「人間ってのはよ、他人を物差しにしないと、自分を正しく認識出来ねぇやつが多いんだ。空気の外側に水があるのか、水の内側に空気があるのか。似ているようだけど全く違う。自分自身をはっきりと認識するってのはこの歳になっても難しい」


 ゆらゆらと揺れる炎からは、火の粉も飛んでいる。それを眺めながら、みんな思い思いにカルーダの言葉に耳を傾ける。


 とても不思議な気分がする。


 静寂が、不気味な程にネイベル達を包み込んでいたのか――。


「もう遅くなった。今日は俺が番をするから、おめぇらは寝てろ」


 カルーダがそう言って立ち上がると、影が後を追うように伸びていく。


 

 ――ん?



 ネイベルは、何か少し違和感を感じた。


 周囲を見渡すが特に異変はない。自分たち以外に誰もいないのだから、静かなのはいつも通りだ。このあたりの怪物も、カルーダが大体処理していた。


 気のせいだろうか。


「どうしたの? ネイベル」


 リンが心配そうな顔で覗き込んでくる。


「じじいの話なら気にする事ないわよ。あんたはしっかりと――」


 ネイベルは、彼女達の背後にあるべきものが見えない事に気が付いた。


 ミネルヴァの言葉が、左の耳から右の耳へと抜けて行く。


「――リンとミネルヴァって、影がない状態が普通なんだっけ……?」


 炎は静かに揺らいでいる。


「え?」


 二人は自分たちの足元を見渡す。


「おかしいわね」


 ミネルヴァが不思議そうな顔をしている。


「どういうことだ?」


 カルーダも眉を寄せている。


 その時、音も立てずに、いきなり背後から声が投げかけられた。



 ――こんばんは。



 ネイベルは一瞬で背筋が凍りついた。


 即座に振り向くと、そこには一人の男が立っていた。炎に照らされた顔はひどく青白いし、生気を感じさせない。


 頭には、円筒状の帽子をかぶっている。確かシルクハットといったか。黒いコートに白いシャツ、首には何か飾りつけをしている。炎の加減でわかりにくいが灰色だろうか。同じ色の縦縞のパンツをはいている。片眼鏡からのぞく目は、赤く充血していた。


 ネイベルは一目見て異様な雰囲気を感じ、即座に誰何した。


「誰だ」


 男は、右手で帽子を取って胸に抱え、左手を外へと広げて腰を折り、非常に慇懃無礼な態度でお辞儀をしてきた。


 そのまま体を起こすと、口を閉じたままゆっくりと深い笑みを浮かべている。


「おい、聞こえなかったのかよ。おめぇは誰だ。こんな所に人間がいるわけがねぇ。斬られる前に正体を言え」


 カルーダは既に剣を抜いている。


「おや、君たちが回したのではないのかね」


 男は不思議そうに、そう尋ねてきた。


「何を言ってやがる」


「ふむ……まぁ良い。それならば、名乗る名などない。嘆きの牢獄に来た――」


「マトージュよ」


 ミネルヴァがそう断言する。


「という事――何?」


 マトージュと呼ばれた男は、ゆっくりと振り返る。


「こいつの名前はマトージュ。別め……んんんっぐっ」


 ミネルヴァは、自分の口を自分の手で塞いでいる。


「フン、確かに私の名前はマトージュだ。どうしてこの小娘が知っているのかは疑問だが、あとで問いただすとしよう」


「嘆きの牢獄……?」


 カルーダが首をかしげている。


「さて、お前らは要するに貢物か」


「わけの分かんねぇ事ばっかり言いやがって」


 ネイベルもさっぱり意味が分からない。ここが牢獄……? どう考えても市街地だ。


「お前は少し、口を閉じていろ」


 男は、聞き慣れない言葉を口にしながら、左手を横へ一気に払った。


「んんんっ!」


 カルーダの口は縫い付けられたように開かなくなっている。


「んーんー!」


 ミネルヴァと二人で何を言っているのかさっぱり分からない。


「静かになった所でいくつか質問に答えろ」


「素直に答えるとでも思っているのか?」


 ネイベルはそれでも冷静に相手を観察する事を忘れない。すでに地図へチェックは入れてある。


「なるほど……確かに貴様の目には、まだ何とでもなる様に映っているのかもしれないな」


 では、これでどうだ? と言って、男は聞き慣れない言葉と同時に、右手を前に出して上に向け、指を手前に引くように動かした。


「えっ……何!? いやっ!」


「んんんん!」


 リンとミネルヴァが、急に男へ向かって駆け出した。そして胸の中におさまる。


「リン! ミネルヴァ! どうしちゃったんだよ!」


「分からないわ、ねいべ……んんん」


 にたりと笑った男は、両手にリンとミネルヴァを抱きながら、ネイベル達のことをしげしげと観察していた。


「この二人は貴様らにとって大切な存在のようだな」


 ますます男は笑みを深めていく。口が裂けそうだ。


「私も久しぶりに目が覚めた所でな、少々退屈していたのだ。特別に貴様らに選択の機会をやろう。私を追って城まで来るか、ふたりで尻尾を巻いて逃げ隠れるかだ。城にまで来ないのなら、命までは取らぬと約束しようじゃないか」

 

 こんなに気前が良い事なんて、二度とないぞ! と言って男は気持ちの悪い声で笑った。


「残念だが、彼女たちを諦めるという選択なんて、最初からするつもりはない。とてもじゃないが交渉になんてならないな」


 ネイベルは不敵な笑みを浮かべていった。


「ところで、俺にも良い案があるんだ。ここでお前の事は見逃してあげるから、二人を置いてどこかへ行くんだ。彼女達にかけた魔法を解くのなら、命までは取らないでやるぞ」


 ネイベルも、彼女達の姿をみて少々頭に来ているようだ、普段よりも言葉が少し乱暴になり、態度も悪くなっている自覚がある。でも止まらなかった。


「馬鹿馬鹿しい! 貴様は自分の立場というものを、一切理解できていないようだな。良いだろう」


 ネイベルの言葉を聞いて逆上している男は、そう言って右手を正面に突き出し、今度は手のひらを空へと掲げながら、意味の分からない言葉をブツブツと呟き始めた。


 なぜだろう。ネイベルには不安など一切なかった。気持ちが昂っているのは理解している。ただ、それ以外の部分は信じられないほど冷静だった。初めてやかんの光に触れたときもこんな感覚だったな、とネイベルは思った。


 やがて男は、空へと掲げた右手に魔力を込めると、大きく目を開き、手を握った。

 

 こちらの様子を笑いながら見ている。


 ネイベルは、彼の一連の所作を、どこか冷めた目で見つめていた。



 

自分自身を強く信じ続けられる人ってすごいですよね。プロのアスリートとかに多そう。

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