第2章:寄生虫の主張「私が働かないのはお母さんのせい
昨日の昼下がり。
私がパートに出た後の静まり返った実家で、梨乃は一人、昼近くまで貪っていた眠りから覚め、リビングのソファで大きく伸びをした。
「ーあーあ、よく寝た。やっぱり実家は最高よね」
昨日の騒動を思い出し、梨乃の口元に薄ら笑いが浮かぶ。
窓を開けてご近所に泣き叫んで見せた後、母親は青ざめた顔で完全に押し黙ってしまった。あの後、自室に引きこもったきり、今朝も逃げるようにパートへ出かけていったのを、梨乃はベッドの中から鼻で笑って聞いていた。
(やっぱり、ちょっと脅せばすぐ黙るんだから。世間体を気にする古い人間は扱いやすくて助かるわ)
梨乃は手元のスマートフォンを引き寄せ、美しい海と高級リゾートホテルが並ぶウェブサイトを開いた。
離婚のストレスと、甲斐性なしの元夫のせいで傷ついた心身を癒やすには、最低でもこれくらいの「ご褒美」が必要だ。一週間のスパ・トリートメント付きプラン。料金はざっと三十万円だが、梨乃にとってそれは「親が支払うべき当然の慰謝料」であった。
問題は、手元の現金と、昨日送り付けられていた数百万の借金の督促状だ。
あの督促状の束を見ても母親がすぐに財布を出さなかったことには腹が立ったが、梨乃には次の手があった。
「どうせ一人娘なんだし、いずれこの家も私のものになるんだから」
梨乃はソファから立ち上がり、母親の寝室へと向かった。
古い畳の匂いと、亡き父親の仏壇の線香の香りが微かに漂う薄暗い部屋。壁際にある年代物の和箪笥を、梨乃は躊躇うことなく開け放った。
きちんと畳まれた地味な衣類を乱暴に掻き分け、奥へと手を伸ばす。
「あった」
指先が硬い桐の箱に触れた。
引きずり出して蓋を開けると、そこには黒水牛の実印と、古びた預金通帳、そして『重要書類』と書かれた分厚い茶封筒が入っていた。
中身を詳しく確認するまでもない。実家の権利書や契約書関連がまとめられているはずだ。
「これを担保にして、別のところでまとめ融資を受ければいいのよ。お母さんも、私の幸せのために役立てて本望でしょ? いざとなれば連帯保証人にでも何でもしてあげるんだから、感謝してほしいくらいだわ」
自分の身勝手な行動を「親孝行」とすら正当化し、梨乃は実印と通帳、封筒を乱雑にブランド物のバッグに突っ込んだ。
彼女は全く気づいていなかった。
その実印が、昨晩のうちに私が百円ショップで買ってきた三文判にすり替えられていることにも。
通帳が、すでに解約済みの古い口座のものであることにも。
そして茶封筒の中身が、古新聞の束と不要なチラシで分厚く偽装された「ダミー」であることにも。
完璧に親を屈服させたと信じ込んでいる梨乃は、鼻歌交じりに洗面所へ向かい、高級な化粧品をたっぷりと使って顔を作り始めた。
リゾートで着るための新しい服も買わなければならない。まとめ融資が下りたら、まずはあのセレクトショップに寄って……。
頭の中で優雅な凱旋パレードを再構築していた、まさにその時だった。
『ピンポーン』
玄関のチャイムが、無遠慮に鳴り響いた。
梨乃は眉をひそめ、リップブラシの手を止めた。
「もう、なによ。お母さんのネット通販? 受け取るの面倒くさいな……」
舌打ちをして玄関に向かう。
しかし、すりガラス越しに見える人影は、宅配業者のような爽やかなシルエットではなかった。
肩幅の広い、大柄な男が二人。玄関のドアを塞ぐように立っている。
『ドンドンドンッ!』
突然、チャイムだけでなく、ドアを直接叩く乱暴な音が響いた。
「吉田梨乃さん! ご在宅ですよね! 居留守使っても無駄ですよ!」
野太く、ドスの効いた声。
それは明らかに、日常の風景に属さない「取り立て」の響きだった。
梨乃の心臓が、ドクンと嫌な音を立てて跳ね上げた。
「開けてください! 話し合いに来たんですからね!」
ドアノブがガチャガチャと乱暴に回される。
梨乃は顔面を蒼白にさせ、ブランドバッグを握りしめたまま、玄関の土間で立ち尽くすことしかできなかった。




