表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

第1章:「愛の力」で結婚した娘の、高すぎる凱旋パレード


パート上がりで鉛のように重い体を引きずり、玄関の扉を開けた瞬間。


ツンとしたトリュフオイルの強い匂いが、狭い建売住宅の廊下に漂ってきた。


「……また、出前?」


私がリビングの扉を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。


ソファに寝そべったままスマートフォンをいじっているのは、つい一ヶ月前に「性格の不一致」とやらで離婚し、実家に出戻ってきた娘の梨乃(28歳)。


ローテーブルの上には、駅前の高級レストランが提供している黒毛和牛のローストビーフ丼の空き箱と、タピオカドリンクの飲み殻が無造作に転がっている。


「あ、お帰り。パート、遅かったじゃない。お腹空きすぎて死ぬかと思ったわ」


画面から目を離そうともせず、梨乃は気怠げに言った。


私は溜息を飲み込み、自分のバッグに目を向ける。今朝、食費のために下ろしておいたはずの一万円札が、財布から消えていることを思い出したのだ。


「梨乃。まさかとは思うけど、また私のお財布から勝手にお金を持っていったの?」


「勝手にって人聞きが悪いなあ。事後報告しようと思ってたのに」


悪びれる様子など微塵もなく、梨乃はゴロンと寝返りを打った。


「そもそも、傷ついてボロボロになって帰ってきた実の娘を癒やすのは、親の義務でしょ? 『愛があればお金なんて関係ない』って結婚したのに、あいつ全然稼げない甲斐性なしだったんだから。私の青春、全部台無し! 慰謝料代わりに、実家でたっぷり甘えさせてもらう権利が私にはあるのよ」


開いた口が塞がらなかった。


三年前に私がどれだけ反対しても、「お母さんには真実の愛がわからないんだ!」と罵倒して家を飛び出したのは梨乃自身だ。それなのに、すべての責任を他人に押し付け、悲劇のヒロインを気取っている。


「……お夕飯、作ってあるのよ。冷蔵庫の肉じゃが、温めればすぐに食べられたのに」


私がキッチンに目を向けると、信じられないことに、昨日私が丹精込めて作った肉じゃがが、タッパーごとゴミ箱に放り捨てられていた。


蓋が開いており、甘辛い匂いが無残に生ゴミと混ざり合っている。


「ちょっと! なんで捨てるのよ!」


思わず声を荒げた私に対し、梨乃はうるさそうに耳を塞ぐふりをした。


「お母さんの安っぽいご飯じゃ、私の繊細なトラウマは癒やせないの。あんな貧乏くさい料理見たら、貧乏だった結婚生活を思い出しちゃうじゃない。親なら、もっと気の利いたケアしてよね?」


ドクン、と。


胸の奥で、長年「娘だから」と蓋をしてきた何かが、音を立ててひび割れるのを感じた。


夫を早くに亡くし、女手一つで育ててきた。寂しい思いをさせている負い目から、この子のワガママを許しすぎた結果が、これだ。


「……もう、いいわ」


これ以上言葉を交わしても、私の心がすり減るだけだ。


頭を冷やそうと、私は無言でリビングを後にし、外の空気を吸うために玄関先の郵便受けへと向かった。


ガチャリとダイヤルを回し、ポストの蓋を開ける。


チラシに混じって、数通の圧着ハガキや封筒が乱雑に放り込まれていた。


宛名はすべて『吉田 梨乃』。


しかし、その差出人の欄を見た瞬間、私の全身の血の気がサッと引いた。


『キャッシング〇〇』


『株式会社△△ファイナンス 督促部』


『【重要】お支払いのお願い』


毒々しい赤や黒の文字で印字された封筒の束。


それは、娘が抱え込んだ底なしの闇が、この家にまで侵食してきた動かぬ証拠だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ