雨に沈む都市
「ただいま……」
扉を押して中に入ると、乾いた薬草の香りが鼻をくすぐった。
「おかえりなさい、シルフィさん」
リリィは手を止めず、すり鉢に向かったまま答える。
規則的な音だけが、静かに室内へ響いていた。
「調査はどうでした?」
「……王都に行った」
ぴたり、と音が止まる。
「王都まで行ったんですか!?」
勢いよく顔を上げるリリィ。
「うん」
シルフィは軽く頷く。
「ちょっと危なかった。」
あまりにも淡々とした口調。
その内容とのズレに、リリィの表情が固まる。
「なんで瘴気の調査でそんなとこまで行ったんですか…?」
シルフィは少しだけ視線を上に向けた。
「いや、都市全部回ってもわからなくてさ」
「……はい」
「だから王都なら何かわかるかなって」
「……はい」
一拍。
「王宮、ちょっと見た」
「見たんですか」
「うん。入ろうとしたら結界がバカみたいに強くて弾かれた」
「……」
「ついでに、たぶんバレた」
沈黙。
リリィの手が止まる。
「……それ、めちゃくちゃまずいやつじゃないですか?」
「うん。ちょっと増えたね、問題」
「呑気すぎますッ!!」
シルフィは静かに部屋へ戻り、扉を閉めた。
外の雨音が、少しだけ遠のく。
「はぁ……」
短く息を吐き、壁にもたれかかる。
先ほどの光景が、頭の中で何度も再生されていた。
緑色の光線。
一切の猶予もない迎撃。
力で押し通るのは簡単だ。
だが、それをやれば確実に面倒なことになる。
――近衛兵団。
「……あいつら、面倒なんだよな…」
小さく眉をひそめる。
排除を優先する連中だ。
周囲の被害など、二の次にされる可能性もある。
「さすがに、それは後味悪い」
ぼそっと呟く。
椅子に腰を下ろし、天井を見上げる。
しばらくの沈黙。
思考だけが、静かに巡っていく。
「……うーん」
一度、目を閉じる。
シルフィは小さく肩を震わせた。
「くしゅ……」
濡れた髪先から、ぽたりと雫が落ちる。
服は雨を吸い、重く肌に張り付いていた。
あのまま外にいたのだから、無理もない。
「……お風呂、入ろ」
気の抜けた声で呟き、シルフィはゆっくりと浴室へ向かう。
衣服を脱ぎ捨て、湯気の立ちこめる空間へ足を踏み入れる。
桶で湯をすくい、肩へとかけると、冷え切っていた体がじんわりと緩んだ。
湯船に身を沈める。
「……ふぅ……」
小さく息を吐く。
張り詰めていたものが、ようやくほどけていくようだった。
静かな水音だけが、浴室に満ちる。
「……あんなに王宮の警備が厳重だとは、思ってなかったな……」
ぼんやりと天井を見上げながら、呟く。
脳裏に浮かぶのは、あの異様な光景。
「……瘴気……」
言葉にすると、わずかに眉が寄る。
「魔物絡みってことくらいしか、わかってないし……」
指先で湯面をなぞる。
波紋が広がり、すぐに消える。
「……とりあえず、浄化はしてるけど……」
確証はない。
ただ、あの気配――あれは、普通じゃない。
湯気の向こうで、思考がゆらゆらと揺れる。
やがてシルフィは目を閉じた。
「……めんどくさいな」
ぽつりと落ちた一言は、湯気の中に溶けて消えた。
情報が足りない。
「王宮…下手に刺激するのも面倒だし」
軽く肩を回す。
「……まずは、できることからやっていくか。」
シルフィはお風呂から上がった。
「ふぅ、スッキリ。」
髪を軽く拭きながら、何事もなかったように息を吐く。
「あの……シルフィさん。」
「ん、なに?」
いつも通りの軽い口調。
その声を聞いて、リリィは少しだけ肩の力を抜いた。
「あ、いえ……大したことじゃないんですけど……」
一度言葉を切る。
それでも、少しだけ不安が残る。
「少し不安で……」
シルフィはタオルを肩にかけたまま、軽く笑った。
「大丈夫だよ」
迷いのない声。
「王宮の結界ほど派手じゃないけど、私のもそこそこ性能いいから」
さらっと言う。
「そこそこ?」
リリィが思わず聞き返す。
「うん。あれよりは静かで地味だけど、まぁ……壊れる前提で作ってないし」
何でもないことのように続ける。
「瘴気くらいなら勝手に弾く。もし想定超えてきても、その時は適当に遠くに君を飛ばすから」
「飛ばす……?」
「うん。ここで処理する方が面倒だから」
さらっと言い切る。
リリィは一瞬言葉を失う。
「シルフィさん……」
少し困ったように、でもどこか安心したように名前を呼ぶ。
シルフィはタオルをひらひらさせた。
「そんな顔しなくていいって。私、こう見えて結構合理的なんだよ」
軽く笑う。
その笑い方は優しいのに、どこか人間味が薄かった。




