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ニートと聖女

数日後。


降り続いていた雨は嘘のように止み、空には澄んだ青が広がっていた。


濡れた石畳は陽の光を受けて鈍く光り、屋根や葉に残った水滴が、きらりと反射する。


洗い流された空気はひんやりとしていて、どこか澄みきっている。


――それでも。


路地の隅や石畳の継ぎ目には、黒い汚れがわずかに残っていた。


まるで、何かだけが取り残されたように。


シルフィはそんな街の中を、昨日に引き続き歩いていた。


「あの瘴気の塊の原因はまだよくわからないけど……」


足を止め、視線を落とす。


「害があるのは確かか……浄化くらいはしておくか」

小さく呟き、指先を軽く振る。


淡い光が滲むように広がり、地面にこびりついていた瘴気の塊を静かに溶かしていく。

じわり、と音もなく消えていくそれを見つめながら、シルフィはわずかに眉を寄せた。


(……焼け石に水、か)


根本的な解決にならないことはわかっている。

それでも、見つけたものを放置する気にはなれなかった。


再び歩き出そうとした、そのとき。


前方の路地の奥から、足音が近づいてくる。


現れたのは、修道着を身に纏った一人の女性だった。


艶のある金色の長髪が陽光を受けて淡く輝き、整った顔立ちはどこか人形のように整然としている。

だが、その表情には不思議なぎこちなさがあった。


「ん……」


シルフィはわずかに目を細める。


――アウレリア・ルミナリア。

教会の聖女の立場に立つ存在である。


「うわ……」


思わず漏れた本音に、女性の眉がぴくりと動く。


「うわ……って、少し失礼じゃないですか……?」


ぎこちなく微笑みながらも、どこか困ったように言う。


「初めまして。私はアウレリア・ルミナリアと申します」


「私はシルフィ」


短く名乗る。


アウレリアは一呼吸置き、言葉を選ぶように続けた。


「あなた……王宮の結界を破った方、ですよね?」


「え?」


シルフィはわずかに眉をひそめる。


アウレリアは一瞬だけ迷い、それでも視線を逸らさずに続けた。


「公には不具合として処理されていますが……私は違うと思っています」


「……そうなんだ。」


興味なさげに相槌を打つ。


「理由は?」


「……あの時、微かに魔力の揺らぎが残っていました」


一拍。


「それが、あなたとよく似ているんです」


「……まぁ、いい…」


小さく息を吐く。


「……そうだよ。私がやった」


一瞬の沈黙。


アウレリアの目が、わずかに細まる。


「……やはり、そうでしたか」


確信に変わる声だった。


「あなた、一体何者なんですか?」


間。


ほんの一瞬の沈黙のあと――


「ニート」


即答だった。


「は?」


静寂が、路地裏に落ちる。


遠くで水滴が落ちる音だけが、やけに大きく響いた。


「あのですね……そういうことではなくて……」


アウレリアは困惑したように言葉を探す。


「強さの理由ですとか、所属ですとか……いえ、ニート……?」


「うん、ニート」


シルフィは迷いなく頷く。


一切の揺らぎもない肯定に、アウレリアは数秒、完全に思考を止めた。


やがて小さく息を吐き、


「……わかりました。そこは一旦、置いておきます」


半ば諦めたようにそう言う。


シルフィは気にした様子もなく、視線を地面へと戻した。


「それよりさ」


軽く顎で先ほどの場所を示す。


「君はどこまで知ってるの?この瘴気について」


アウレリアの表情が、すっと引き締まる。


「……あなたも瘴気ということは知ってるんですね。今はまだ大丈夫ですが…成長すると耐性のない者に害を為します…」


「ふーん…やっぱり王国は瘴気を認知はしてるんだ…」


シルフィは淡々と頷く。


「で、なんでそんなのが出てきたの?」


その問いに、アウレリアの言葉が止まる。


一瞬、視線が揺れた。


「それは……まだ……」


わずかに目を伏せる。


「……わかりません。」


静かな声だった。


シルフィはその様子を横目で見て、わずかに目を細める。


「とにかく」


アウレリアは小さく区切るように言った。


「私は、この瘴気の浄化に回っています」


「私もだよ」


シルフィはあっさりと返す。


「根本がわからない以上、それしかないからね」


二人の間に、短い沈黙が落ちる。


先ほどまでの軽さとは違う、

少しだけ現実に触れたような、重さを含んだ静けさだった。


「よくわからないけど、国は認知してて王都優先。で、地方は後回しってこと?」


シルフィが軽く言う。


「だから君が派遣されたとか。」


アウレリアは一瞬言葉に詰まる。


「……はい。そうです」


短く頷く。


「それでも、高位の浄化魔法でないと完全には消せなくて……人手も足りなくて……」


言いながら、視線が少し落ちる。


「それに、公言すれば混乱が起きますし……王国の信頼にも関わりますので……」


最後は、ほとんど言い訳のようだった。


シルフィはふーん、とだけ返す。


「つまり、詰んでると」


「……否定はできません」


沈黙。


シルフィは肩をすくめた。


「先延ばしってさ、だいたい悪化するやつだよね」


軽い口調。


だが目は少しだけ冷たい。


アウレリアは小さく息を吐く。


「……分かっています」


アウレリアの声は落ち着いていたが、その奥には焦りが滲んでいた。


「とりあえず……うーん……」


シルフィは顎に手を当て、少しだけ考える素振りを見せる。


「まぁ、諦めよう。終わりだね」


「ちょ、ちょっと……!」


即座に声を上げるアウレリア。


「まだ話があるんです……!」


「何?」


振り返りもせず、軽く返す。


その温度差に一瞬言葉を詰まらせながらも、アウレリアは続けた。


「この瘴気についてなんですけど……下水道に関係している可能性があって……」


シルフィの足が止まる。


「……なんで?」


ゆっくりと振り返る。


「どうしてそう思うの?」


アウレリアは一瞬、言葉を選ぶように視線を伏せた。


「各地に散った瘴気を鑑定して、発生源を割り出しました」


低く落ち着いた声が、路地裏に静かに溶ける。


「へぇ……器用なことするね、君」


壁にもたれたまま、シルフィは興味なさげに肩をすくめた。視線すら、こちらにきちんとは向けない。


それでも――構わず、一歩踏み出す。


「お願いがあります。あなたに、協力してほしいんです」


まっすぐに、その横顔を見据える。


わずかに流れ込む風が、張りつめた沈黙を揺らした。


「正直に言います。この事件の瘴気は……異質です」


言葉を選びながらも、声はわずかに硬い。


「原因がわかっても、対処できない可能性があります」


自嘲が、ほんのわずかに滲む。


自分の無力を、すでに理解している声だった。


「ですが……あなたなら、違うはずです」


シルフィは何も言わない。


ただ、沈黙のまま聞いている。


その無関心とも取れる態度が、かえって逃げ場をなくす。


「このまま放置すれば、いずれ……取り返しのつかないことになります」


さらに一歩、距離を詰める。


靴音が、小さく乾いた音を立てた。


「だから――」


息を吸う。


覚悟ごと、言葉に乗せるように。


「力を貸してほしいんです」


路地裏に、静かな決意が落ちた。


風が止み、世界が一瞬だけ息を潜める。


ややあって、シルフィが口を開く。


「……騎士団に報告すればいいんじゃないの?」


淡々とした声音。


「君、聖女なんだし発言力くらいあるでしょ?」


「それは……」


言葉が、詰まる。


視線が揺れる。


答えはあるのに、口に出せない。


あるいは――答えそのものが、弱さだから。


沈黙が、二人の間に落ちた。


逃げ場のない、静かな沈黙が。


シルフィは口を開く。


「これ以上問い詰めるのは野暮か…」


シルフィは視線を外し、地面の黒い跡を見下ろす。


「……下水道、ね」


ぽつりと呟く。


立ち上がり、軽く手を払う。


「いいよ」


あっさりと言った。


「付き合ってあげる」


アウレリアの目がわずかに見開かれる。


「ただし」


シルフィは指を一本立てる。


「危なくなったら、私は逃げるから」


「……え?」


「普通に死にたくないから」


真顔だった。


数秒の沈黙。


アウレリアは、ほんの少しだけ困ったように笑う。


「……それでも構いません」


「そう。」


シルフィは踵を返す。


「で、入口どこ?」

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