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プロのニートは朝が早い

シルフィが居候になってから、数日が過ぎた。


「おはよう、リリィ」


「……え?」


振り返ったリリィの動きが、ぴたりと止まる。

手にしていた布巾を落としかけ、慌てて掴み直した。


「シルフィさん……?」


まだ外は薄暗い。

窓の向こうでは、空がようやく白み始めたばかりだった。

普段ならシルフィが毛布にくるまり、幸福そうに眠っている時間である。


そんな中、当の本人はきちんと起き、なぜか妙に清々しい顔で立っていた。


「どうしたんですか。そんな早く起きるなんて」


リリィは怪訝そうに目を細める。

体調でも崩したのかと一瞬心配したが、顔色はやたら良い。むしろ腹立たしいほど健康そうだった。


「決めたんだよ」


シルフィは胸の前で腕を組み、真顔になる。

どこか偉人めいた間の取り方だった。


「私は今日から、健康意識高い系ニートになる」


「朝から意味不明ですね」


即答だった。

リリィの声に一切の迷いはない。


シルフィは気にした様子もなく、人差し指を立てる。


「まず早起き」


さらに二本目。


「次に散歩」


三本目。


「そして朝食を食べる」


「働くが抜けてます」


リリィは真顔のまま言った。


「それは上級者向け」


シルフィは遠い目をした。

まるで今の自分にはまだ早い高みを語るかのような口調だった。


「一生初心者ですね」


リリィはため息をつきながら、台所へ戻る。


しかしシルフィは妙に満足げだった。

うんうんと何度も頷き、自分の理論に深く納得しているらしい。


「いい朝だ……人として一段階進んだ気がする」


「起きただけですよ」


「起きるってすごいことなんだよ?」


「普通の人は毎日やってます」


「才能あるなぁ、みんな」


「基準が低すぎます」


シルフィは感心したように窓の外を見る。

朝靄の残る通りに、少しだけ朝日が差し込み始めていた。


「じゃ、散歩行ってくる。朝ごはんよろしく」


軽い調子でそう言って、さっさと扉へ向かう。


「図々しさだけは一流です」


リリィが呆れ顔で言うと、シルフィは振り返り、にやりと笑った。


「長所って言って」


「欠点です」


「厳しいなぁ」


そう言いながらも、どこか楽しそうにシルフィは外へ出ていく。


扉が閉まり、朝の冷たい空気が少しだけ室内に流れ込んだ。


リリィはしばらくその扉を見つめ――やがて深く息をつく。


「……朝から疲れる人ですね、本当に」


シルフィは家を出て、石畳の道を軽く駆ける。


朝の空気は冷たく、眠気が少しだけ飛んだ。


「……健康って感じする」


誰に言うでもなく呟く。


薄い霧の残る通りを進んでいた、その時だった。


「ん?」


ふと足を止める。


石畳の隙間に、黒い筋のようなものが伸びていた。


しゃがみ込み、指先で軽く触れる。

べたり、と嫌な感触が残る。


「うわっ……なにこれ」


鼻先に寄せた瞬間、顔をしかめた。


「くっさ……」


少し黙る。


視線だけで、その跡が続く先を追う。


そして、ものすごく嫌そうな顔をした。


「……見つけちゃったなら、対処しないとダメなやつでは?」


数秒考える。


「いやでも、今は朝だし」


さらに考える。


「朝から重い案件はよくない」


うんうんと一人で頷く。


「明日の私に託そう」


綺麗に責任転嫁して立ち上がった。


シルフィは家へ戻っていった。


足音だけが、静かな朝に小さく残った。


「たっだいま〜」


シルフィは扉を開けて、家に入る。


「おかえりなさい、シルフィさん。ご飯ちょうどできましたよ。」


「ありがとう、薬師。」


「リリィです。」


即答する。


シルフィは手洗いをした後、席に着く。


朝ごはんは麦パン、シチュー、サラダだった。


湯気の立つ器から、やわらかな香りが静かに広がっている。

外の冷たい空気とは対照的に、食卓のまわりだけがわずかに温かい。


「おぉ、朝ごはんだ…」


「なんでそんな珍しいイベントみたいな態度なんですか」


「いつも昼起きだから」


「終わってますね。生活。」


「いただきます。」


小さく手を合わせ、スプーンを取る。

シチューをひと口すくうと、表面に揺れた白がゆっくりと戻っていった。


リリィはシルフィを一瞥した後、何も言わずに踵を返し、奥の部屋へと入っていく。


扉が閉まる音は控えめで、すぐに空気に溶けた。


それからは、しばらく静かな時間が続く。


器に触れるスプーンの音。

パンをちぎる、かすかな気配。


そして――時計の針だけが、やけに大きく響いていた。


やがて、最後のひと口を飲み込み、

シルフィは小さく息を吐く。


「んっ……ふぅ」


背もたれに体重を預け、そのまま天井を見る。


「朝ごはんって、食べると元気出るんだね」


「当たり前です」


リリィは呆れた顔で食器を片付ける。


「今まで何で生きてきたんですか」


「惰性」


「説得力しかないですね……」


シルフィは椅子の上でだらりと伸びをした。


「さて、今日も一日頑張らずに生きるか」


「せめて少しは頑張ってください」


「もう朝起きた時点で今日のノルマ達成してる」


「低すぎます」


リリィはため息をつきながら、店先のシャッターへ向かう。


がらがらと音を立てて開けると、朝の光が差し込んだ。


外では人通りも少しずつ増え始めている。


「いらっしゃいませー……っと」


いつもの一日が始まる。


その背後で、シルフィは窓の外をぼんやり見ていた。


「……んー」


「どうしました?」


「いや」


シルフィは頬杖をつき、気のない声で答える。


「朝って案外、騒がしいね」


「今さらですか」


「いつも寝てたから知らなかった」


「本当に終わってますね」


リリィのツッコミに、シルフィは小さく笑った。


だがその視線だけは、通りの先へ向いたままだった。


「……まあ、いっか」


何を見たのかは言わないまま、シルフィは椅子に沈み込む。


こうして、少しだけいつもと違う朝が始まった

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