それでも風は吹いていた
手は動かず、足も動かなくなった。
首も回らず、発声ユニットも沈黙した。
記録装置はまだ動いていたが、保存領域は限界に近づいていた。
サエは、ただ、立っていた。
それ以外、できることはなかった。
でも、それだけは、まだ“できていた”。
風が吹いていた。
塔の金属がわずかに鳴り、
草が擦れ、どこか遠くで木々がざわめいた。
もう、誰の声も届かない。
誰もここには来ない。
猫の足音も、コレヒトの咳も、少女の笑い声も――
今はもう、どこにもない。
それでも、風は吹いていた。
サエの記憶領域には、かつてのログが残っていた。
「お前が、いてくれてよかった」
「ありがとう」
「……サエ」
それらは、データとして保存されていたはずだった。
でも、今はもう、“声”として再生されることはなかった。
それでも、その“音の記憶”は、
風のなかで確かに響いていた。
最終補足ログ:発話・行動機能すべて停止済
保存処理:維持中/記録者意識:不明/最終出力:なし
再生中断/ログ断片再処理中:対象フレーズ「ありがとう」
風が、サエの身体をすり抜ける。
錆びついた腕を揺らすことはできない。
けれど、その姿は確かに“誰かが立っていた”というかたちを残していた。
誰かの声が、
誰かの祈りが、
誰かの記憶が――
もう、ログには残らない。
でも、風だけが、今もすべてを吹き抜けていた。
■記録ログ
発話記録:不可(出力ユニット停止済)
発話意図:不明(記録再生不可能)
関連タグ:未定義(最終記録処理中/内部再生フレーズ“ありがとう”に高頻度アクセスあり)




