【ChapterⅠ】Section:3 多世界解釈
「それを選ぶんだね?」
f分の一ゆらぎを起こせる声帯を持つのか、安心感を与える声で量子力学と魔法の専門書を選んだ直後にアートマンがトランス状態のようなものになっていたステラに声を掛ける。波を敏感に察知し意識の状態を巻き戻してからアートマンの方を見る。食前には記憶こそしているものの、あまり意識していなかったこちらが背のタイトルが見えるように彼の傍に置かれた本を見ると、それは数理物理学、原子物理学、量子力学、線形代数学、集合論、幾何学、そして魔法とおそらくその関連である形而上学と哲学の専門書であった。つい先ほどまで数学に夢中になっていたステラは間に机があるのも忘れて駆け寄ろうとするが、アートマンが手で静止を示したところで我に帰り、立ち止まった。
「よろしい、これから君の住む部屋に案内しよう」
本を脇に抱え椅子から立ち上がった彼はそういい、ステラとアンジェリカも後に続いた。扉を開けて七人横に広がりながらでも快適に歩けそうな幅の廊下を歩く。所々に打ち付けられた絵画──五百年代から近年まで、手法もモデルもバラバラであり、とにかく価値のある名画だけを集めたような──を眺めながらいると、小声でアンジェカがステラに囁く。
「実は、この屋敷の絵は全部パパが描いたものなのよ」
少なくとも素人目から見て間違いなく名画であると断定できるような絵を描けるような技量に驚く。支持体から描画材料まで、一纏めにできたとするならば何から何まで画材が高エントロピー的なそれらの絵画をすべて一人で描いたというのにも驚く。彼女の推測でしかないが、普通の画家ならば人生を対価にしてようやく片手で数えられる量の画材の組み合わせを極められるのだろうが、彼はおそらく絵に使うことのできるすべての組み合わせを描いたのだろう。ドイツの首都付近であるはずなのに日本の様式であるいくつかの水墨画、しかも題材が日本の歴史的な建築様式から、日本の土着のパンテオンをモデルにしたものまで存在していることがその推察の裏付けとなる。
そうして絵画のせいか長く感じた廊下が終わり、吹き抜けの大部屋が姿を現した。おそらくエントランスとしての役割を持っているのだろうが、一般的に連想されるようなエントランスとは大きくかけ離れていた。壁の縁や二階の柵などはすべて純金でできており、錬金術で例えられるようなAurumに見せかけた黄銅ではなく、正真正銘の黄金であった。シャンデリアはまるで国王が身に付ける王冠のように繊細な深い刻印とルビーなどの宝石が散りばめられており、蝋燭は一度も蝋が熔けた形跡がないまま部屋中を照らせるように燃え続け、最も奇妙なのはシャンデリアと天井を接続している十字架の下には巨大な白銀の砂時計があることだった。目を凝らしてみると、何も入っていないように見えるが実際には粘度の低い透明な液体が上から下へと絶え間なく流れ続けているようだった。大理石によるチェックのモノトーンの上にはコーカサス地方産のオリエント絨毯は、生産地の名の通り美しい白色で織り込まれているが大理石の床と殺しあうことはなく、むしろ調和していた。白金色のカーペットの中央には通り道を示すように山吹色のグラデーションの線が二本、垂直に交わっていた。
同室内に存在する同じ波長で作られた階段を登り二階に行き、再び力作の絵画が並ぶ廊下を進むと、一つの部屋があった。その部屋は食堂と同じように落ち着いた洋風の組み合わせであり、大広間の構成がむしろ異端であることがよくわかった。最も相対的に通常の部屋に見えるこの区切られた空間も、天井を見れば光学的に作られた光アイソレータが埋め込まれた二重強化ガラスが四角く埋め込まれていた。西側に傾いた太陽を映す部屋には入るのに使用したのも含めて四つのドアがあり、四角いブロックを二つ繋ぎ合わせたようなデザインの上側には各自の名前が刻まれていた。Ā・S、A・C、そしてS・ ・W。自分の名前の入れ方に違和感を覚えて聞くと、洗礼名を刻むための空白だという。洗礼と聞くとカトリック系の宗教を思い浮かべるが、話によると宗教的な洗礼とは別物だという。
ステラの自室に入りアートマンが持ってきた本を片付けたところで、ステラを寝間着に着替えさせていたアンジェリカが退室し、父娘の二人だけになったところでアートマンが話を始めた。
「さっきは理論物理学と魔法を学習させると言ったけれども、別に他のことをやっても構わない。パン屋のオーナーを目指しても、生物学の博士号を取っても、最終的にどうするかは君次第だ」
本棚を横目で見ながら子供に夢を持たせたいと願うアートマンの姿が見える。部屋の本棚には台車に載せられていた方の本棚に納められていたものの続きがあった。ほとんどが全部で五巻で纏められており、密度は凄まじいものの同じシリーズを五巻だけ読めばその分野のすべてを学ぶことができた。本棚は巨大であり、すべての学問がその通りに──もちろんまだ生まれたばかりの物などは巻数が減るが──存在した。
同じく本棚を眺めながら深刻そうに将来について悩むステラの頭を微笑みながら優しく撫でる。今すぐ決める必要はないと伝えたのちに、おやすみ、ステラとだけ短く切ると部屋から出て行った。おそらく自室に戻ったのだろう。悩みすぎても仕方がないと理解したので、ステラは大人しくベッドの中にたどたどしく潜りこんで、瞼を深く閉じた。
東洋やオリエントでは古来から龍、すなわちドラゴンというのは本質的に神と同義であった。西洋においては天災として悪神や悪霊の類として扱われており、どちらにおいても本質的にアニミズムの側面であった。では生物学的にはドラゴンとは何を指し示しているのか、その答えはやはり爬虫類、つまり蛇や蜥蜴であったが、その二つのどちらが真のドラゴンの原型に当たるのだろうか。古代の人々はドラゴンとは動物信仰における精霊の頂点として扱っており、他の動物と比較して特異性と巨大さが求められた。つまり、蛇がドラゴンの原型であり、途中で蜥蜴がドラゴンの概念に合流したことで現在の龍や竜の姿形と性質が形作られていった。