【ChapterⅠ】Section:3 多世界解釈 (修)
物質的には実在せず、存在論的には実在する幻想の生物たちは、意外なことに生物学的に見てみるとそれほど異端ではない種が非常に多い。一角獣や二角獣なんかはまさにその代表例だろう。何故なら、脊椎動物としての条件を確かに満たしているからだ。では、生物学的に異常な種と言えば何になるのだろうか。複数いる中で代表に挙げられるそれはもちろん、ドラゴンである。
食事の直前にテーブルに置いていた本を持ちながらアートマンは立ち上がり、ステラと、話の流れについていけていなかったアンジェリカに移動を促しながら、歩き始めた。
話の流れからそうなるであろうと予測していたステラはすんなりとアートマンに追従し、二人の話についていけないからと、自身の精神構造の中で思索にふけっていたアンジェリカはしばらく遅れ、二人が部屋を出てから慌てて小走りで後を追った。
大人にとってはそれほど長くないが、子供にとってはかなりの長さを持つ廊下を、三人は軽い会話を挟みながら奥にある空間へと向かっていく。
所々に飾られている絵画は、紀元前二千年程度から近年描かれたものまで、年代の統一性はない。それどころか、描画材料や支持体、手法に加え、絵のモデルや内容すらバラバラであり、あるものはイコン、あるものは写実絵画、あるものは抽象画といった具合であり、とにかく価値のある名画を遮二無二に集めたように見える。
そんなある種の美術展のようにも見えるそれらをさり気なく記録しているのに気が付いたのだろう。アンジェリカがさりげなく屈み、ステラの耳元で囁く。
「この屋敷にある全部の絵。実は、パパ──アートマンが描いたものなのよ?すごいでしょう?」
その囁きに、ステラは表面上では一切動じていない姿形でありながら、心の内では酷く驚いていた。
やれ学芸員だの、やれ絵描きだの、そういったお偉い人らが語るような素人にはまったくわからないような価値は、むしろこれらにはほとんど見出せず。むしろそういったものになりがちな抽象画においても、素人の目から見ても間違いなく価値があると、名画であるとわかる絵画たち。
一部は西暦以前の古代に作られたのではと錯覚するほどに精巧なそれら、何もかもがバラバラなそれらを、ただ一人ですべて為したというのだから、彼女の驚きは計り知れないものだろう。
妄言や虚言だと仮定したとしても余りに誇大であるその話は、しかしアンジェリカの声色から漂う確固たる自信と、アートマンの完成されている佇まいから深層心理へと這い寄ってくる、万物を超越したかに思える常人とは著しくにも隔絶した気配が、彼女にそれを心の奥底から信じさせているのだ。
そうした絵画がいくつも並んでいた影響か、実際にはそれほど長かったわけではないのに、体感では非常に長く感じた廊下が終わると、吹き抜けの大部屋が彼女らの前に姿を現した。
ステラたちは大部屋の一階部分にある大扉から見て右側の廊下から来たようで、それとなく扉によって辺りを見渡してみる。この大部屋は、どうやらエントランスとしての役割を持っているように思えるが、しかし一般的なエントランスと比較して差異はいくつも在る。
中央の奥側には高級ホテルでしか見ないような緩やかなカーブ階段が一対実在しており、それより手前側の位置の天井からは、まるで数百年前の絶対君主制の王国の国王が身に着けている王冠のように──正確にはあくまでタペストリー等に描かれているような、パブリックイメージとしての王と王冠だが──繊細で、彫りこまれた深みを醸し出す刻印や、ルビーやサファイア、エメラルドを始めとした多種多様な宝石が散りばめられているシャンデリアが、十字架を通して接続している。
シャンデリアの蝋燭は明らかに量と炎の大きさに見合わない光量で大部屋を照らし尽くしており、そこには蝋が溶けた痕跡は一つたりとも存在しない。
そこまででは単に芸術的なあれこれそれこれや、魔術的な儀式の形態の一種として説明できるだろうが、最も奇妙なのは、十字架の下、ちょうどシャンデリアの主要パーツが土星の輪のように囲っている中央には、巨大な白銀の砂時計があることだった。
しかしよく目を凝らしてみると、容器だけが存在し内容物は存在しないように見えるのだけれど、実態としては粘土の低い透明な液体が上から下へと絶え間なく流れ続けていった。
残念なことに、無限の数の次元のすべてにおいて液体の源となる箇所は死角となっており、その源泉は不明でこそあるものの、しかし間違いなく地球上で最大級に神秘的で、奇怪で、奇妙な品の一つと言えるだろう。
あまりの特異性にしばらく観測していたのをぼうっとしていると受け取られたのか、アンジェリカがステラの身体を抱き上げて、二階へと向かうために美しい白色で織り込まれたコーカサス地方産のオリエント絨毯を踏みつけていく。
その下に在る大理石のチェックのモノトーンは硬さを感じさせながらも、硬すぎない音を奏でながら、垂直に交わっているカーペットの中央の山吹色のグラデーションの線が踏みつけられているのを傍観している。
大部屋の壁の縁と同じように、完全な純金で構成されている階段や二階部分の柵に左手を添えながら、ステラの母親はステラの父親の後を追っていく。
その後、今度は大広間の視点から左側の廊下に入ると、一階右側の廊下と同じように、力作の絵画がまるで展覧会のように並んでいる。
先ほど抽象的な共通項は既に帰納的に導き出してしまっているため、もはや目新しさはそこにはなかった。
先ほどよりは短く、しかし一般的には信じられないほどの濃度の空間を通った先には、一つの部屋、正確には廊下と部屋を繋ぐ中継の部屋──結局部屋ではないのか──が設けられている。
扉の前でアンジェリカとステラがやってくるのを待っていたアートマンと合流し、彼の背中から扉の中を見るのと同時に、部屋の中に入る。
部屋は食堂と同じように、落ち着いたヨーロッパ的な風情が組み合わせられており、食堂や廊下の風景も考慮すると、逆に普段使いとしては余りにも派手すぎるエントランスが屋敷の中でも異端の側──最も、それ以上に異様、否、異常なのは何をどう考えても地下室でしかないと洞察できる──に属することがよくわかる。
しかしあくまでも相対的に普通に見えるだけで、もちろんここですら奇妙な点はあった。
天井には光学的技法によって作られた光アイソレータ──外から光が入り、室内からは光が漏れない形のもの──が埋め込まれた四角い二重強化ガラスが埋め込まれており、星空を観察することができるようになっている。そこからは、西側に傾いている太陽の姿が良く見える。
更に言うならば、そこにはソファーやテレビ、キッチンなんかも存在して、まるで一般的な小さい家屋のそれであるようにも思える。となると、食事を取ったあの食堂は来客用で、普段使いはこちらである可能性が高いだろう。
この姿からは、壁も床も天井も、全てが所謂本物の素材であるのにも関わらず、コンクリートを主軸として作られた部屋に壁紙等が貼られているような印象を受ける。
そんな屋内で天体観測が出来そうなここには、先ほど部屋に入るのに用いたものも含めて四つの扉が存在し、正方形のブロックを縦に二つ積み重ね、繋ぎ合わせたようなデザインのそれの、上側のブロックにはネームプレートのような形で文字が刻まれている。
文字は左の扉から順に” Ā・S “、”A・C“、そして”S・ ・W“。
初めのものは明らかにĀtman、父親を指し示しており、その次の物は一旦飛ばして、最後のものはStella、子を表している。
そのとき始めて、ステラは自分の母親の名前を知らないことに気が付いた。
「そういえば、ママの名前は?」
そのように聞いてみれば、アンジェリカは少々目を大きくしたが、記憶を探って確かに名乗った記録が存在しないと気が付く。
「おや、気が付いてしまったのか。このままいけばちょっと面白そうなことになりそうではあったんだけどねぇ」
「性格悪いね」
「おお、君から誉め言葉を貰えるなんてね。ありがとう」
「褒めてないよ」
「褒められていないと思うのだけれど」
「魔術師にとっては性根が腐っているというのは誉め言葉だよ。相手の言葉や理論、論理の隙間を突けるということは、それだけ深い知識と洞察力を持っていて、誤謬を見抜ける知恵を持つことの客観的な証明に成り得るからね。無論、ただ当たり散らしたいだとか、そういう目的のために粗を探すことはよくないことだけれどね」
なんでもないことのようにそんなことをアートマンは言うが、しかし様子からして負け惜しみでも何でもないように見えるからして、つまり今の話は本当のことなのだろう。
勿論、暗黙の了解として、その批判にも正当性や論理性があることが前提であるが。
「それで、本題だよ、本題」
「ああ、まだ言っていなかったね。彼女の名前は──」
「自分の名前くらい自分で言わせてちょうだい……」
「いや、僕が言うべきだよ、これは。それとも、君が言わなければならない必須の理由でもあるのかい?」
「そういうわけじゃないけれども……」
アートマンが語気を強めると、母は怯んだような姿をステラに見せる。
それはまるで、何か後ろめたいことを突かれたかのようにも見える。
「で、アンジェリカさ。彼女の名前は」
「アンジェリカ──スペルは?」
「A、n、g、e、l、i、k、aでアンジェリカだよ」
「なるほど、覚えた」
虚空と自身に向かって放たれた言葉を、ステラはしっかりと聞き取る。
ステラは自らS・ ・Wの扉を開ける、つまり自室へと入り、続くようにアートマンとアンジェリカもそこに入る。
「それじゃあ、ちょっと早いのだけれど、寝る準備をしましょうか」
アンジェリカはそういうと、ステラの部屋にあるクローゼットを漁り始めた。
それに対し、アートマンは抱えて持ってきていた本を部屋の本棚にしまう。
ステラは特にやることもないので、身体を地球基準──観測可能及び認識範囲外の宇宙の規模において座標は同一ではないため部分的時空の基準で──で素粒子単位で動かさずに棒立ちしていた。
アートマンはそのまま本棚に入っている本の確認を始めた。高次元を通じてその本の背にあるタイトルやらラベルやらを見てみると、本は食堂で台車に載せられていた本の続きがあった。
本棚のサイズはかなり大きく、少なくとも高さだけでステラの身長の何倍も、アートマンの背丈と同じ程度ある。
その中には大量の図書があり、総合して見てみるとすべての学問についてのそれが収められている。
図書のほとんどは全部で五巻分に纏められていて、例えば、代数学その一、その二、その三、その四、その五。認識論その一、その二、その三、その四、その五、といった具合で、明らかに密度も凄まじいものとなっている。当然、まだ生まれたばかりの学問なんかは巻数が少ないが。
(これ、どう考えても普通の人間じゃ読んでも身につかない類の専門書、学術書だよね……え?私これ読まなきゃいけないの?いや、読めるけどさ……)
ステラの場合は流し読みだけで完全に理解することができるような知性を持っている上に、何なら記憶能力の観点からその場で理解を深めずとも、一度瞳に収めてしまえば後から実物なしで学習ができる。
食堂のときのものと合わせて、正真正銘ステラ専用の図書の山になるのだろう。
そうやって眺めていると、アンジェリカの方もどうやらクローゼットからお求めの衣服を取り出したようで、クローゼットを閉めた。
そのまま流れるように、ステラを取り出した衣服──寝巻に着替えさせていく。
「はい、両手を上に上げて──そうそう、いい子ね」
着替えさせられながらも、ステラは本棚を見ながら、自身の将来、未来について考え続ける。魔法を学ぶことはあらゆる意味で確定的なのだが、学んだところで何に活かせるのか、そもそも学んだところでどうなるのか、有体に言えば彼女は心配性を発露させていた。
そんな彼女の姿は、いつの間にかフリルが付いた、かわいらしいピンク色のパジャマ姿になっていた。
「これ……どうなっているの?」
「はい、鏡よ」
肉眼で鏡を通した上で、脳内で対称像を演算してステラは自身のパジャマ姿を知った。
客観的に見た自分の容姿の良さも含めて、完璧な可愛らしさがそこにあった。
(あ、私の髪の毛すごいふわふわ……)
へそと同じ高さにまで伸びている自分の髪の毛の感触を確かめながら、肉眼以外の感覚でも自分を確かめる。
ベビーピンク色のパジャマは、ある種のおとぎ話のお姫様のようでもある、というよりまさにそのお姫様が着るようなドレスそのものといっても過言ではなかった。
それでいてスカート部分についても配慮されていて、やわらかいそれは横に寝転がっても硬さを感じることはなさそうだ。
あとは自分の髪が真っ白でさえあればよかったのだが、こんな一時の気の迷いのようなもので染めるつもりは別にない。
総合してみて、おとぎ話のお姫様を超える可愛さをアンジェリカは直視できず、頑張って後退して部屋を出ようとした。
「お休み、ステラ」
最後にその言葉を残して。
「あ、おやす──」
ステラがそれに反応してお休みと言い切る前に彼女は去った。
「ああ、すまないね。彼女は──そう、少しせっかちなんだ」
たった今本の整理を終えたアートマンはステラに近寄って、彼女の頭を大切な人形を扱うように優しく撫でる。撫でながら言葉をかける。
「そういう個性ってこと?」
「正確に説明するなら、構造としてそういう性質なんだけれど……まぁ、個性として理解した方がわかりやすいか。そう、そういう個性さ」
「ところで、食堂の台車ってどうやって持ってきたの?誰も運んでなかったのに」
そう、食堂に放置してきたはずの動かせる本棚が、何故かこの場にいつの間にかあって、アートマンは自然にそこからも本を取って、部屋の方の本棚に入れて整理をしていた。
「これが魔術さ。といっても、至極単純なものでしかないんだけれどね」
「──座標の入れ替え?いや、上書き?」
「流石、僕とアンジェリカの娘だ、的確な仮説を立てるのが早いね。そう、台車の物理的座標をこの位置になるよう数字を書き換えただけさ。言っていることもやっていることも簡単だけど、魔術の実演としてもちょうどよかったかな?」
「私は”見てない“けど」
「引っ掛けは良くないな。あくまでそれは身体機能としての眼球の話だろう?」
「そうだよ?」
「全く、人間的な意味だと確かに見てないことになる引っ掛けを親に出すだなんて、困った娘だ」
「でも遺伝的に考えるならパパもそういうことやるでしょ?」
「もちろん」
軽く笑いあった後に、アートマンは比較的真剣そうに見える口調に切り替えた。
「さて、ちょっとだけ真面目な話をしようか。君の将来についてだ」
「真面目な将来の話をするには早すぎない?」
「あくまでそれは普通の子供の話さ。君は普通ではない自覚はあるだろう?」
「うん」
「それで、さっきは魔法を勉強させるとはいったけれども、別に僕は途中でそれを投げ出したって責めたりはしないさ。途中で諦めたければいくらでも引き返せるものでもあるからね。結果として、パン屋のオーナーを目指してもいいし、生物学の道に進んでもいいし、それどころか軍人になったっていい。最終的にどうするかは、すべて君の選択次第だ。君の未来の責任は君自身にある。アンジェリカにも、ましてや僕にもない」
喋り終えると、アートマンはおやすみと言いながら、ステラの顔を見つつ部屋を去った。
「おやすみ」
今度はステラのおやすみも届き、そしてステラ以外いなくなった。
「……やったー、自由だー」
誰が聞いても、それこそ学習が未熟な音声認識AIに聞かせても感情がプラスゼロだけ込められているのがわかるその棒読み具合に、なんだかおかしくってステラ自身も笑う。
前よりも狭くて広い個人用の空間に、心が躍動して物音を立てない程度に部屋を歩き回り始める。
その一定のリズムに合わせて、様々な思考を巡らせてみる。
しかし、今巡らせたところで、出来上がるのは知識として知っているものを組み合わせたものでしかなく、そしてそれらは既にステラの知識として存在しているため、結局今はやることがないことに彼女は気が付いた。
将来についても、魔法という特定できない未知の変数があり、それがどうしてもかかわってくると予想できる以上、迂闊に未来を予測して意味のないデータを発掘するのも生産性がないと判断。
結局、まだ太陽が大西洋の中に沈んでない、いくら子供であるといっても寝るには何時間も早いであろう状況。
ベッドに潜り、パジャマで快適に寝られることを確認した後、ステラは瞼と「意識を閉じて無意識に……いや。何も存在しない、黒とも白とも例えられる、虚無の中へと沈んでいった。
東洋やオリエントでは古来から龍、すなわちドラゴンというのは本質的に神と同義であった。西洋においては天災として悪神や悪霊の類として扱われており、どちらにおいても本質的にアニミズムの側面であった。では生物学的にはドラゴンとは何を指し示しているのか、その答えはやはり爬虫類、つまり蛇や蜥蜴であったが、その二つのどちらが真のドラゴンの原型に当たるのだろうか。古代の人々はドラゴンとは動物信仰における精霊の頂点として扱っており、他の動物と比較して特異性と巨大さが求められた。つまり、蛇がドラゴンの原型であり、途中で蜥蜴がドラゴンの概念に合流したことで現在の龍や竜の姿形と性質が形作られていった。




