第二章27『その不安はまるで恋の駆け引きのようで』
「おいおい、詰めてくんな! ただでさえ狭いんだからよ!」
「ごめん! でも閉所恐怖症だから早く出たいんだよ!」
弱い風が漏れ出す薄い割れ目は存外短いものでもなく、閉所恐怖症であるヒロトには地獄と変わりなかった。
「てかよぉ……さっきからこの生温い風はなんだ?」
正面から流れてくる、柔らかくて細切りの風はやけに暖かい。
「あれじゃないかい? 君達の言う炎の化け物ってやつ」
「それは──」
ありえない話ではない。 というより、十中八九それが原因だろう。
元より嫌な予感はしていたのだ。
(あの時はここまでぬるいものじゃなかったけど……もしこれがあの化け物が纏う熱の残り香だったとしたら、なくはない……かも)
前回の探索では徐々に気温が高まり、やがては肌が焼けるかと思えるほどの灼熱に苦しめられた。
それに比べれば今のような少しの暖かさくらい、甘いものだ。
それ故に、イレギュラーなまでの業火を司る例の化け物の仕業だとということを、二人は残りの一厘で疑っているのだ。 否、疑いたいのだ。
「あの化け物でも他のモンスターでもどっちでもいいだろ! さっさと向かって、さっさと調べて、さっさとハンターを助けて、さっさと帰んだよ!」
「こんな狭い場所で叫ばれると少々驚いてしまうよ」
「うるせぇ、早く進め! ヒロトが震え始めてんだ」
「ふっ、震えてないっしぇ! ちょっと寒いだけだよ、ここ地下だから寒いじゃん!」
数秒前の会話の内容を完全に無視した言い訳を何の疑いもなくぶちまけるほどに、ヒロトの思考は閉所によって犯され始めている。
「よく言えんなそれ……」
「焦らないでくれ、そしてあまり近づかないでくれ。 男が移る」
「移らねぇよ、お前に男が移ったら性別どうなるんだよ」
会話をするたびに足の動きが遅くなり、それが過激な掛け合いともなればもはや足が止まり出す。
進める、抜けられる、閉所の恐怖から解放される──そんな希望をその都度打ち壊されるのであれば、ヒロトのストレスというのは今にも爆発してしまいそうで──
「どっ──」
「「?」」
「どうでもいいから早く進んでぇぇぇぇ!!!」
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ただでさえ狭い洞窟の中でも、一際狭いといえる空間を抜け切った。
ある程度の悶着を挟んだりもしたが、そこからは特に問題もなく進むことができた。
「風、強くなってきたね……」
「隙間風じゃなかったのかよ?」
歩き続けているうちに彼らの頬を撫でる風の手はだんだんと大きくなり、やがては緩やかで且つ大きくまとまったものと変化していく。
わかりやすいほどに不自然な現象が、晒された肌と同じように、ヒロトが持つ"嫌な予感"に対する不安をかすめていくのだ。
「こんな地下洞窟の中で風を感じるなんて、なかなかに不思議じゃないか。 私はあまり嫌いではないよ、こういったものはね」
「あぁ、そうかよ。 てめぇならもう少しビビると思ったぜ」
「…………何故、そう思う?」
「グズグズの死体を見たときとかやたら怖がってたじゃねぇかよ」
「死体と風を同じように考えてるなんて良い倫理観をしているねッ!!」
二人の楽しげな会話が、ただ一人を置いてけぼりにして進んでいく。
(どうしてあんな風に明るくいられるんだろう……)
彼らのように緊張をほぐせるような会話ができれば、不安なんて全部取っ払って前に進められるようになれば、そんな思いがヒロトの閉ざされた口の中をグルグルと駆け巡る。
──臆病者ゆえに、気が抜けないのだ。
(不安に思うことは悪いことじゃない……注意なんて何回しても不利益はないんだ。 だけど──)
だけど、心が落ち着かない。 気持ち悪い。
そんな感情から解放されたい。
(なんでこんなタイミングで弱ってくるんだろう……いいや、いつもそうだったかな?)
毎日を生きる上で、一日に一度は必ず負の想いを抱くことがあるかどうかと問われれば、確実に彼は首を縦に揺らすだろう。
いつ食い詰める時が来るかわからない圧倒的な不安と、それを絶対的な杞憂にする力を持たない自身の弱さ。
異世界転移初日にその目で情景のように映ったハンター達に辿り着くという途方の無さ。
戦闘時にもなれば毎秒ごとに自分の首を狙う死の鎌の存在。
あまりにも多すぎるストレスの原因が、少しずつ、しかし確実に、着実に、彼を心の奈落へと繋がる崖へ追い詰めるのだ。
「……会いたいなぁ」
ヒロトは無意識にそう呟いた。
「会いたいって……誰にだよ?」
「え?」
「お前だよお前。 今そう言ったじゃねぇか」
ヒロトは自分が何を口から滑らせたのかといことの自覚がなかった。 どうやら、異常なまでに無意識というか、或いはぼうっとしていたのかもしれない。
「もしや、想い人のことでも考えていたのかい?」
「おもいびっ……! いませんいません、そんな人いませんよ!」
「ならば、その赤い顔をなんとかしたらどうだい」
「えぇ……赤くなってますかぁ?」
「それなりにね」
彼の顔に佇む赤色が果たしてその想い他人に対するものなのか、それともグリンによるからかいからくる羞恥によるものなのかはわからない。
そもそも、ヒロトが想いを馳せる特定の人物というのが存在するかどうかすら、ここにいる人間にはわからないのだ。
(そうだよ、好きな人なんているはずないって! 好きな人なんて、好きな人なんて────あれ?)
その存在を心の中で否定するたびに、ヒロトは何故だか哀しみをジワジワと感じ始めた。
(好きな人なんていないのに…………なのに、どうして胸が痛い?)
不可解だ。
彼が感じているのは紛れも無い、負の感情だ。
心の中で「違う、違う」と思えば思うほど、まるで自分という存在が全否定されたかのような衝撃が孤独感とともに歩み寄ってくるのだ。
「おい、なんで黙ってやがんだ」
「ごめん……なんか、ちょっと変な感じがしたんだ」
想い人の存在を否定したら胸を痛めただなんて、恥ずかしすぎて口が裂けても言えない。 そう思うほどには、彼はまだ未熟な少年だということだ。
かくして、ヒロトはそれを墓場まで持っていけるように話を有耶無耶にしようと努めた。
「私は応援しているよ、恋はしなければ損だからね」
「意味わかんないですし恋なんてしてないですからやめてください電源抜きますよ」
「電、源……?」
「なんでもないです」
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(それにしても……どうしてあの時、「会いたい」だなんて言ったんだろう?)
つい先ほどのことだが、やはり不思議で思い出してしまう。
それが少なくとも現状の自分にとっては答えなき問いであるままだとは理解しつつも、やはり気にはなるものだ。
(まぁ、今はいいや。 暇なときにゆっくり考えれば、そのうち答えが出てくる…………)
もとよりそんな無駄なことを考えていられるような状況ではない。
一つの油断、一つの慢心が死に直結する世界なのだ。 寧ろヒロトは今まで楽観視しすぎていたとも言える。
今でこそ爆音の正体を探ることに関しては最大限の警戒を持って行動しているが、異世界はそんな憂い心など容易く超えてくるものだ。
過去においても、そしてこれからも。
「──あれ、急に明るく……」
ふと、"太陽の光"がヒロトの瞼を差した。
「風が……生ぬるい風が……ッ!」
理解と、言葉と、呼吸と、視線。 その全てが噛み合わないほどに、ヒロトは目の前の事態に混乱した。
否、ヒロトだけではない。 マレッカやグリンも全くもって同じであった。
「あ──」
その現象に理解を示し、それを直ちに言葉に変えて"目の前の穴"に響かせることが、それを見てしまった三人にとってはどうしてもできなかった。
「これは──」
早まる呼吸十回分の時が経ち、やがて彼は口にした。
「化け物だ」
──大空を見上げる大空洞に対して。




