第二章28「よくある決断」
天を見上げる大穴がそこには存在していた。
重厚な大地をくり抜き、美しい断面が整えられた円を描いている。
それほどまでに躊躇なく、迅速に開けられた穴だということがわかる。
「──この穴はッ!?」
衝撃に封じられていた口が解放され、単純な驚愕の言葉を漏らす。
「元から空いていた……そんな可能性は?」
「いいや、誰かが開けた穴に間違いねぇ──こんな大穴なら尚更だ。 音の正体は十中八九こいつだろ、夢見が悪くなりそうな話だがな」
彼だって自身の数十倍はあるであろう大穴を地下から空へと貫いた存在がいるだなんて信じたくはない。
だが、彼はこの辺りの地理には相当な自信を持っている。 それ故に、紅森の奥地に巨大な大穴が元から空いていただなんて戯言は信じるに値しないと感じたのだ。
「やっぱり……あの化け物だよね?」
「……かもしれねぇ」
杞憂に終わらせたかった心配を口にすると、その瞬間から二人の顔は青ざめ始めた。
──あの怪物が外に解き放たれた。
ただそれだけで、恐怖するには十分だった。
「マレッカ……僕達、どうしたらいいのかな」
「どうするって……そんなの……ッ!」
言葉を詰まらせた。
どうしようもないと、そう思ったからだ。
彼らはあの化け物と出会う直前、灼熱の世界に意識を引き込まれかけた経験がある。
その時に感じた熱気の片鱗が、今ここで感じているのだ。
それが何を意味するのかわかるだろうか。
"周囲の温度を変化させる術をあの化け物は有しているのではないか"、という仮説が立てられるということだ。
「この生温い感覚はきっとここを飛び出したヤツの残り香──」
「ドロドロに溶かされてた鎧も……あいつがやったんだよね……?」
拒絶したい可能性が信憑性という絶望に侵されていくにつれて、次第に彼らの声から希望の色が奪われる。
「そんな力が地上で振りかざされれば────考えたくもないね」
化け物の存在に懐疑的だったグリンでさえ、これから起こりうる被害に関して真面目に考え始めた。
空中を舞う大量の火の粉が、きっと彼女にそれを信じさせたのだろう。
「この火の粉、地上から降りてきてるみたいだぜ」
「じゃあ……地上は火の粉だらけってこと!?」
「かもしれねぇ。 上の方が灼熱地獄に犯されるのも時間の問題だろうな……」
走馬灯を抱かせるまでに彼らを苦しめた灼熱が世を支配するというのなら、かの化け物の脱走は世界の終わりを告げるゴングと同義だ。
「私達が選ぶべき選択肢は主に二つだ」
鈴を転がすような声でグリンはそう言った。
「選択肢って……なんですか?」
「このままハンターを探し続けるのか、君たちが言う化け物を殺すのか、だ」
ある意味では据わった目をしているようで、グリンの表情から"覚悟をする覚悟"の念が受け取れた。
地上のことなど捨て置いて逸れた何人ものハンターを救いに行くか、彼らを見捨てて災害を食い止めに行くのか。 未熟な彼らではとても背負いきれないほどの重い決断が、ここで迫られているというのだ。
「あの化け物は──普通に考えりゃ街のハンターが出てくるだろうけどよ……」
「鋼を溶かす力を持つモンスターを狩れるほどの実力を持つハンターがメルタリアにいるのか、だろう?」
「あぁ……あの街のギルドはお世辞にもレベルが高いとは言えねぇ。 【ガドロ級】は何人かいるみてぇだけどさ、それでも敵うかわかったもんじゃねぇ」
退治をここら一帯で活動するハンターに任せたとて、あの化け物の餌にされるのがオチだとは容易に考えられた。
ならば、焼け石に水かもしれないが、化け物を倒すべく微力ながら自分達も討伐に手を貸した方が良いのではと思い始めるのは当然だった。
しかし、そう考えている間に邪魔してくるのはダンジョンを彷徨うハンターの存在だ。
「どうする、ヒロト?」
「えっ?」
「丸投げするようで悪いが、お前は俺やベルカ達のリーダーみたいなもんだろ。 選んでくれ」
「リーダーって、そんなこと……マレッカの方がそれっぽいよ」
ヒロトは自分があの集団のリーダ的存在だなんて考えたこともなかった。
彼の自己評価はすこぶる低いし、事実、彼はリーダーたる存在になり得る素質など持ち合わせていない。 彼に下される客観的な評価は本当にそんなものだ。
「俺には決断力なんてねぇよ。 いや、お前よりはあるかもしれねぇけど」
「ほらぁ!」
「だが、お前は土壇場になると動ける奴だってベルカから聞いたぜ。 俺はそれが見たいんだよ」
相当な無茶振りとも受け取れる選択肢の押し付けにヒロトは戸惑いを見せるが、マレッカはそれを無視して決断を迫る。
「…………文句、言わないでよ?」
静かに、自身が取り払われた声をその場に細く響かせた。
「言うわけねぇよ」
なんだかんだで情深い彼が、信頼した仲間の決意を無為にするなどあるはずがない。
「僕は──やっぱり、他のハンターを見捨てられない」
「……ほぅ」
「元から僕は贖罪のためにここへ来たんだ! そんな自分勝手な理由すらも通せずに逃げるなんて…………やっぱりできないよ!」
一度、このまま帰ってしまってもいいだろうかと考えてしまった。
自身の人間的な精神性が露わになりかけたダンジョンだが、そこに来た理由をヒロトは今一度考えてみたのだ。
そして、彼はその答えに至ったのだろう。
一度決めたことを──それも人の命が関わる決断をひっくり返すことなど、できるはずがないと。
「件の化け物を放置していては、恐らくメルタリアとその付近は壊滅に近い状態へ変わるはずだ」
「うん──それでも、僕はもう誰も見捨てたくないんだ!」
あの日──ガルディノス討伐作戦を敢行したことをヒロトは思い出す。 自身とベルカが確実に助かるために何人もの仲間達を囮にしたことだ。
ずっと、その負い目が頭の中から離れないのだ。
彼はきっと、自分本位な理由で間接的に人を殺すような人間にもうなりたくはないと、そう思ったのだろう。
「わかった……いいぜ、助けに行こう」
どこか満足げな気を醸し出しながら、マレッカは同意の想いを示した。
「ついてきてくれる?」
「お前が死なねぇ限りはな」
その言葉を聞いたヒロトは少し照れくささのある笑いを見せ、「ありがとう」とマレッカに伝えた。
「それで、お前はどうすんだよ?」
大穴の縁を暇そうに覗いていたグリンが、ある程度離れた場所から飛んできたマレッカの呼び声に反応した。
「私かい? 私が地上に出るか、それともハンター捜索を続けるのか、そのどちらかを私に選べと──」
「別に、お前が嫌なら置いていくぜ。 俺はこいつといれればそれでいいしな」
「私が一人で…………あの化け物の待つ地上へ………」
ここでついていかなくば、自身が地上でどうなるかを数秒の間に考える。
そして、グリンはすぐに答えを出した。
「そんなことあってはならない! 私も行くぞ!」
「おう、なら早く行くぞ」
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「で、貴様が生き残りか?」
大穴から幾ばくか離れた薄暗い細道に、マレッカの透明な細い声が響いた。
その声が問いただすのはヒロトでもグリンでもない、全くの他人を指すものだった。
「あ、あぁ……探索に来たうちの一人だ」
マレッカの声に答えたのは、良くも悪くもない平凡な顔立ちで、背丈は中肉中背。 他人の不快感を煽るような似合わない髭面を持つ男だ。
「他の奴らは?」
「俺以外は生きてねぇさ…………見ちまったんだよ、他のハンターが変なマスクのバケモンに斬られるところをよ……!」
「マスクっていうと…………マレッカ、きっとあいつだよね?」
その単語を聞いて思い出すのは他でも無い、三人で打ち倒したあのモンスターだ。
「あいつだけじゃねぇ! 骸骨のモンスターどもがわらわら沸いてきやがって仲間を斬りまくった! 数で攻められて…………ッ、嬲り殺しにされたんだ!!」
「本当に、貴様だけなんだな?」
「あったりめぇだ……仲間、全員殺されちまった……」
小さな雫のような弱々しい声がしとり、しとりと洞窟内に響き渡り、その光景にとてもじゃないがヒロトはやるせない気持ちになった。
「【シノス】のハンターは私だけだからね──実力の伴わない者達が数的不利な状況に置かれれば、全滅もやむなしというわけか」
「そんな奴らだけで探索させるとは、ギルドも相当頭が悪いな」
「何とでも言ゃいいさ……俺の物語はここで終わっちまうんだ、もう幕切れなのさ……ッ!」
絶望に満ち溢れた顔が、ヒロトにとっては心なしかいつしかの自分を見ているようで、なんとも言えないものだ。
「落ち着いてください、幸いここはダンジョンの中でも浅い場所ですからちゃんと帰れますよ! 地上に出さえすれば────」
地上に出さえすれば尚のこと、身の安全は知れたものではなくなる。 それを思い出した時、彼は目の前の男にかける言葉を見失った。
「地上に……? 本当か!? 俺はちゃんと帰れるのか!?」
ヒロトの思考なんてどこ吹く風か、自身がダンジョンの上層にいることを知った男は不自然に高まった声とともに、絶望の表情をガラリと変えた。
「いやっ……待ってください! 地上には──」
全てを告げ終わる頃には、男の姿はどこか遠くへと消え去っていた。
身体に残る最後の力を振り絞り、外へ帰るために走ったのだろう。
「あいつが本当にたった一人の生き残りだとしたら、もうここに用はないぜ」
「うん…………」
「地上が大変なことになるっているはずだ、早く行こう。 手遅れになる前にね」
あっさりと告げられたハンター壊滅の報せと、その生き残りが去ったことが、どうもヒロトの心を掴んで離さないらしい。
どうにもならない現実を甘く噛み、彼らはダンジョンの外へと帰って行く。




