第二章18『身勝手を受け入れる』
ヒロトとマレッカの二人が歩いているのは、葉の色が紅い森の細道だ。
そこは紛れもなくモンスターの湧く危険地帯であり、ハンターにとっての"戦場"である。
二人は依頼を受け、その目的である『ハラミサケ』と呼ばれる淡水魚の調達に赴いているのだ。
「ええと……ハラミサケっつうのは川か大滝の滝壺にいるって話だったよな?」
「って依頼書には書いてるね」
受けた依頼の依頼書を手に取り、そこに書かれた情報をマレッカの言葉と照らし合わせる。
異世界のクセにひらがな、カタカナ、漢字が完璧に使い分けられているのを、ヒロトはどうでもいいことだと思いながらも、相も変わらずそれが解せぬままだった。
「なら大滝の方に行こうぜ。 大樹も近いし、強めのハンター達が近くにいるなら安全だろ」
「なんかちょっと怖いけど……まぁ、いいや」
紅森から大滝へと続くルートは何度も通っている。
ヒロトはその風景を眺めていると、ダンジョンに赴いた時のことや、ガルディノスとの死闘のことが脳裏にフラッシュバックするのだ。
それが不安や恐怖心を煽る──と言われれば、少し違う。 この世界で幾度と死にかけた経験を持つヒロトは、ほんの少しだけ肝が座ったのかもしれない。
「そのハラミサケってさ、やっぱり美味しかったりするのかな?」
「ま、それなりには美味いんじゃねぇの? "ファンシアの幸"には適わねぇだろうけど」
「"ファンシアの幸" ?」
聞き慣れぬ言葉を耳にし、ヒロトは即座にそれを聞き返した。
マレッカは「そんなことも知らないのか」とでも言いたげな顔を見せつつ、ため息混じりに言葉の意味を説いた。
「"ファンシア"っていう国があんだよ。 幸ってのはそこに生息してる珍しい魚のことだ」
「特産品ってわけなんだ」
「ずいぶん安っぽい言い方してくれんな。 仮にも『魔法の国』って言われてるとこをよ」
──『魔法』。 その単語を聞いた瞬間、ヒロトは食い入るように身体をマレッカの元へと寄せ、喉を震えさせた。
「まっ、マッ、魔法って……やっぱあの魔法だよね!? やっぱりあるよね、魔法!」
異世界へ転移して以降に初めて聞いたかも知れない言葉。 それが、『魔法』だった。
ある意味では一番聞きたかった言葉でもあり、ないと思いつつも今この瞬間まで諦めきれなかった言葉であった。
「おいっ、急に胸ぐら掴むなよ! 興奮しすぎだろうが!」
「ずっと夢見てたんだよ、魔法! やっぱ異世界はそうでなくちゃいけないよね! なんだよ、あるならあるって最初からみんな言ってくれればよかったのにさぁ!」
「声でけぇようるせぇよ異世界ってなんだよさっさと離せよぶっ殺すぞ!!」
普通そうだろう、とヒロトはずっと思っていたのだ。 異世界に転移すればその先で必ず魔法が使えるようになって、その力を駆使して順風満帆な生活を送れるようになって、最終的には世界を救う、という展開を。
現実世界で彼が嗜んできた小説では、そのように夢のある物語だけが綴られていた。
──だが、実際に蓋を開けてみればどうだっただろうか。
冒険者的な職業に就こうとすれば舐めるなと叱られ、ギルドで登録しようとすれば受付嬢に散々罵られ、それでもめげずに初仕事に赴けばモンスターにボロボロにされた。
もちろん、ベルカのような仲間たちだったり、ルルカらのような頼れる先輩といった救いがあったのも事実だ。
だが、それでもこの世界はヒロトが思い描いていた異世界転移とは程遠い苛烈な現実であった。
それ故に、『魔法』なんていう王道で異世界チックな単語を耳にできたことがとても嬉しかったのだ。
「ご、ごめんね……でも、すごい国じゃないか!」
「ああ、夢みてぇな場所だろ?」
マレッカの持つ情報に信憑性があるかどうかは置いておくとして、それ自体がファンタジー的な魅力をヒロトに感じさせているのは事実だ。
異世界に来たのだから、彼としてもやはり魔法というものには触れていきたいのだろう。 それが、彼のテンションをとにかく上げているのだ。
「面白そうだよね……僕も行ってみたいな。 ねぇ、その国ってどこにあるの?」
「あぁ……そいつはなぁ」
「?」
「知らねぇ」
──ヒロトはまた、辛い現実に引き戻された。
数十分すると、二人は絶え間なく轟音を怒鳴り散らす大滝の滝壺に辿り着いた。
ヒロトが湿りきった岩の上に立って揺れる水底を凝視し、マレッカが水際をウロウロしている。
「ハラミサケいたかぁ? 赤色のやつだぞ」
「なんか奥の方にいるけど……これ泳いでいった方がいいかなぁ?」
手を伸ばそうとしても到底届かない距離に、目的の魚を見つけた。
泳ぐにしてもその最中にディノス等のモンスターに襲われては対処も難しい。 ヒロトがそうやって数秒の間だけ難儀していると、マレッカは口を開いた。
「大丈夫じゃないのか? もしディノスが来たとしてもあいつら泳げねぇしさ」
「えっ、そうなの!?」
「タッキナルディがそう言ってたし」
「誰なのそれ」
ディノスの習性の真偽はどうであれ、依頼を達成出来なければ街に帰れないのは同じことだ。
マレッカの、タッキナルディの言うことを信じてヒロトはその場で服を脱ぎ始める。
「泳ぐのか?」
「そうだよ」
「泳げるのか?」
「下手っちゃ下手だけどね、怖いまですらあるけど」
そうは言いつつも全裸のヒロトは水に浸かり、ポチャン、ポチャンと穏やかな音を立てながらハラミサケが泳いでいる場所へと進んでいった。
「本当に怖いのか?」と水辺で呟くマレッカの声が聞こえないところまで進むと、ヌルっとした感触がヒロトの足裏を襲った。
「んにゃっ! 今の完全に魚だ……獲るぞ!!」
鼻に水が入り込まぬよう意識して潜り、目の前を通る魚をぼやけた視界で捉えてがむしゃらに手を伸ばした。
瞬間、何かを掴んだという感触を手のひらに感じたヒロトは水面に上がり、その期待を確固たる事実に変えた。
「赤色……依頼書の通りの魚だ!」
掴んだハラミサケを大喜びで掲げ、マレッカが内股で座っている岩場へと帰っていった。
滝壺から上がったヒロトは手に持ったハラミサケを自慢するようにマレッカの前に突き出し、「やってやったぜ」とでも言わんばかりな顔を見せた。
「おお、やるじゃねぇかヒロト」
「えへへ……ありがと!」
「あと十九匹だぜ、頑張れよ!」
「えっ」
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「やっと達成した……ノルマぁ……!」
二人はどうやら二十匹のハラミサケを捕獲することに成功したようで、ヒロトは濡れた身体を湿った岩に預け、その達成感を味わっていた。
地上で走り回るよりもよほど体力を消耗する水中にて、素早い魚と格闘をするのは筋肉痛の元となるだろう。
「ほとんど俺がとってやったんだろうが、ほんと体力ねぇよな」
「だってさ、泳ぐのとか得意じゃないし……なんとなく怖いし……!」
苦労してハラミサケを捕まえては水面に出て、乱れた呼吸を整えるのと同時に捕らえた獲物を地上まで運ぶ。 それは繰り返すにつれて体力を奪い、体の動きが鈍くなり、息苦しくなり、それが恐怖心へと繋がるらしいのだ。
「ともあれ、依頼は達成したぜ。 さっさと戻るか?」
「うん──」
「気になるのか? 大樹のことが」
「──そうだね」
今頃、ギルドの調査隊はダンジョンの内部を探索しているだろうか、なんてことをヒロトは考えていた。
マレッカもそのことはなんとなく予想できており、声をかけたのだ。
「俺達が行く必要はねぇぞ、助けになるかもわかんねぇしな」
「そう、かな……」
「つーか撤退してんじゃねぇの? 大樹の周りは丸太の壁に包まれてたし、進めねぇだろ」
誰が、どうやって、いつの間に造られたのか全く不明の木の壁が大樹の周りを囲っていたはずだ。
だがそれを壊して進んだかもしれない、なんて可能性もヒロトは捨てきれないのである。
一度見捨てた罪悪感が自身の心にすがり付き、泣き叫ぶような感覚に襲われているヒロトは、自分がどうするべきかを自分に問い続けているのだ。
「贖罪っつうか、罪悪感? それを晴らしたいってのはそれなりのエゴだと思うぜ。 勝手に見捨てて勝手に苦しんで、勝手に助けに行くんだろ?」
「──ッ」
「あの怪物の情報を伝えりゃ、『何故それを知っているんだ』なんて聞かれそうで、ビビってたんだろ?」
「そっ、そうなんだ! 宗教的な関係が強いんでしょ、ダンジョンは。 だから下手なこと言っちゃうと──」
「最悪捕まる、か」
マレッカに自分の考えていたことを見透かされ、これ以上のことをヒロトは言えなくなった。
少しの沈黙の後に、細い指で銀色の髪を巻きながらマレッカが口を開いた。
「確かに宗教の影響力はこの帝国じゃ絶大だしな……だったら、怪物のことを黙って助けに行きゃいいんじゃねぇのか」
「でも、それだったら僕なんて役に立たないしさ…………」
現代日本の若者らしさなのか、ヒロトは自分に自信を持てている人間ではない。
急な異世界転移に対応し、自分よりも凶暴なモンスターを殺すことを生業として今日まで生きている、なんて強みを自分自身が受け入れきれていない。
小さい頃に親から褒められなかったり、誰かから認められたりする経験が浅い故に、ヒロトはそんな性格になっているのだろう。
「ダンジョンは未知に満ちている。 それを探り、情報を売って金に変えることができんだ」
「──?」
「まぁ、元から黙っとく必要なんてないってこと。 宗教の根幹を揺るがす"何か"があったとしても、それはギルドが守ってくれんだよ」
「ギルドが……守る?」
理解が追いつかず、ヒロトはマレッカにそう聞き返した。
「帝国とギルドは同じくらい力を持ってんだよ。 なんつーか、互いが足りない部分を補ってる的な?」
「それって協力関係だよね……だったら、なんで守ってくれるの?」
「ギルドマスターが宗教を嫌ってる、ただそれだけの理由だ。 ダンジョン探索の情報は公開されねぇし、何かあっても帝国にはバレないってわけ」
その言葉を聞いた瞬間、今まで自分の心を締め付けていた不安の糸が、すっと解けていく感覚をヒロトは感じた。
「助けに行って……いいのかな」
「いいんじゃねぇの?」
「──そっか!」
そうやって軽く返すマレッカの態度が、今のヒロトにとってはとても有難いものだった。
足元の岩肌のように湿っぽかった雰囲気がほんの少しだけ晴れやかになり、二人の瞳は大滝を──その裏に構える大樹を見つめていた。




