第二章14『救いの光は水の色』
ただひたすらに狭い坂を登っていく感覚はさながら某漫画の鉄骨渡りのようで、それに付け加えてマグマが流れ落ちる景色を視界の隅で確認すると、それ以上のスリルを体験できるだろう。
頬を伝う汗を肩で拭おうとすると、保っていたバランスが崩れかけ、その度に心臓が冷風で吹き荒れる。
確認出来ないが故にそれは二人の憶測にはなるが、例の怪物が自分達を追ってきている様子はなく、その考えだけが二人を安心させる材料となり得た。
「おい、真下見てみろよ。 溶岩の海だぜ」
「ちょっ──! 無理、無理だから!」
マレッカはそう言ったが、ヒロトの視線は全て紅の足場に吸い込まれており、その更に下へと意識を向ける余裕などありはしなかった。
壁の狭い足場から、また狭いアーチの上をヨロヨロと身体を揺らしながら二人は歩いているわけだが、正直な話、これは単なる延命に他ならない。
あそこへ逃げよう、あそこへ登ろう、そんな提案は命の危機という問題の『解決』ではなく、『解消』を助長しているのだ。
無論、自分達の命を脅かしている怪物から逃げ切り、その上でダンジョンからの脱出を成功させることが出来たならば、『解消』でもさしたる問題はないだろうが、そもそも逃げ切る手立てが立っていない状態では現実味がない。
だからと言って、その怪物を倒そうだなんてことは、それ以上に現実味のない事柄だろうが。
二人の目標はつまり、『解消』を『解決』へと変える手立て、ダンジョンから抜け出す逃げ道を見つけ出すことだ。
背後から感じていた怪物の気配が完全に消え去った頃、二人のアーチ渡りも終盤へと差し掛かっていた。
天然の架け橋の終点は随分と平坦な地面で、綺麗な円柱として奈落に見えるマグマから生えていた。
「もう少しで……よっと、到着!」
「ハア……ほんっとうにドキドキがヤバかった……!」
細い足場から開けた地面へと足を踏み入れ、その瞬間に二人は恐怖とストレスからほんの一時だけ開放された。
「こっからどうするよ、ヒロト。 自業自得感は半端じゃねぇけどさ、俺らがダンジョンから出られそうなルートが全然ねぇぞ」
「それね」
ただ一つ考えうるとすれば、ひたすらに上を目指して進むことだろうか。
転送の件もあるので地上まで行くのにかかる時間は把握できないのがネックといったところだ。
「んで、こっからどうする? あんま言いたくねぇけどさ、ダンジョンから逃げ出すっていう目的はあんま進展してねぇだろこれ」
「下層ばかりに逃げてもダメだよね……っていうか、下はマグマだからもう逃げらんないけど」
「けど、上へと繋がりそうな道もない、と」
改めて自分達がどれほどまでに絶望的な状況へと足を突っ込んでしまったのかが分かり、乾いた笑いすら漏れてくる。
「俺達が転送された時に乗ってた円盤……あれさえ見つかりゃ希望もあるってのによ」
「ほんと、あれさえあれば──」
そうやって悠長に会話していたその瞬間、ヒロトがこの地形に何か異変を感じ始めた。
「おい、どうしたんだ?」
「なんかあの辺がさ、ちょっとだけ低くなってるような気がして……」
マレッカはそう言ってヒロトが指さす先を見てみると、なんとなくだがヒロトの言っていることが理解できた。
そう、何故だかその部分だけが凹んでいるように見えたのだ。 否、凹むというよりは、その部分だけ切り分けられたパイのように、現在進行形でマグマへと落ちていっているように感じた。
「崩れていってるって、こと……?」
「おい! なんか別の場所も下がっていってねぇか!?」
円柱の欠片という欠片は縦細く切り分けられ、ゆっくりとマグマへ沈んでゆく。
どんどん周りが崩れてゆくのを見て、二人はその事実をしっかりと認識した。
「真ん中! そこだけ下がってないよ!」
その言葉を言い終わった時には既にそこへと移動していた。
あまりにも狭い足場で、本来ヒロトとマレッカの間にあるはずの空間は、この時ばかりは無に等しかった。
「安全なのはもうこれだけかよ! 遺言でも残してくれば良かったな……」
「生きて、それで立ってれば何か解決策が出てくる! 僕は信じてる!」
「全然かっこよくねぇぞお前……!」
「────あ」
ここで踏ん張ればきっと救いの手がどこからか差し伸べられると、そう信じるしかないヒロトの思いは無常にも消え得ることとなる。
そう、二人が場に似つかわしくないやり取りを繰り広げている間に、最後の足場となっていた細い円柱が崩れたのだ。
二人はまるで膝カックンされたように、あっけなく落ちてゆく感覚に支配された。
(──落ちてるんだ?)
自分の毛先が目先まで伸び、揺れる。 またその奥にはさっきまで存在していた足場を恋しがっているかのように伸ばされた手が見える。
背中に感じるのは絶望の熱気と、奇しくもそれを冷まそうとする風。 その風さえなければ、マグマに落ちることもないのにと、たった一秒のうちに心の中で呟いた。
死にたくないと叫んだのも、またそれと同じ瞬間のことだった。
──そして、また同じ瞬間に黒い影が二人を包んだ。
その影は二人を抱え込み、一瞬にしてさっきよりも高い足場へと移動した。
両手に抱えたヒロトとマレッカを乱暴に地面へ落とし、影はその場から一歩だけ下がる。
「イテテ……あれ?」
「なんだ!? 俺達、生きてんのか!?」
その影を視覚していない彼らの頭の中では、マグマに落下している最中のはずなのに、どうして固い地面に膝をついているのか、全く理解できないと、そんな疑問が巡る。
そんな疑問に悩まされる二人をまた救うつもりか、影の正体が口を開いた。
「もういいかなって思ってさ、俺が君達を助けた」
「うわっ!? 全身真っ黒!!」
全身が漆黒で彩られた鎧のせいで彼が何者かまでは分からないが、二人は彼が自分達を助けてくれたのだろうということだけは理解した。
「ふぅ──驚かせたね、ヒロト君と……隣の子」
「メッ、メフィレストさん!?」
黒い兜を取って自身の顔を晒したのは紛れもない、メフィレストだった。
「えっ、誰」
マレッカは初めて対面する人間に不信感を差し込んだ目で見つめ、その男の素性をヒロトに問いただす。
「えっとね、この人は僕の知り合いのメフィレストとさんだよ」
「ふーん……助けてくれたのか、あんがと」
一応、というような雰囲気で感謝を述べ、汚れたグローブをポケットから取り出したハンカチで拭った。
「僕もです、ありがとうございました!」
「どういたしまして。 でも不思議だなぁ、俺も人のことは言えないんだけどさ、どうして君がこんな所にいるんだい?」
「ああ〜、それはですね……」
「……稼ぎに来た。 貧乏なんでな」
マレッカが放った言葉に含まれた感情は、惨めさや恥といったマイナスのものばかりだった。 それ故に声も小さく、どこか表情も暗いものである。
「なるほどね、事情は理解したよ。 でも、ただの金稼ぎの為にこんな危険を犯すべきじゃない。 ただでさえ俺達はハンターという危ない職に就いているんだ」
「そうですよね……すみません」
「と言いつつ、俺も興味本位でダンジョンに来たんだけどね。 だから謝らなくてもいいよ」
"自分も同じだ"と、その言葉でメフィレストは説教臭い雰囲気を帳消しにして微笑んだ。
「あの、もしかしてメフィレストさんもここに迷い込んだ感じですか……?」
「いいや、こんな深くまで潜ったのも興味本位だよ。 俺が来た道はしっかりと覚えてるさ」
そこは同じ状況ではないのだと一瞬思ったが、そんなことよりも注意すべき点があることを二人はすぐに理解した。
"来た道は覚えてる"、このことだ。
「戻り方が分かるんですか!?」
「教えやがれ!」
食ってかかるように二人はメフィレストに顔を近づけ、目の前に現れた救いの光を逃さまいと、それについて聞いた。
「もっ、もちろんだよ! だからそんなに肩を強く掴まないでくれ」
その言葉を聞いた瞬間に二人の体は心と共に宙を舞い、今日一番の喜びに満ちた笑顔を見せた。




