第二章12『陽炎の向こう側』
静寂に包まれていたダンジョンのどこかに、二人の姿は光とともに突如として現れた。
心音すら大音量で聞こえる程に、音という概念が消え去った空間で、二人は見つめ合う。
「転送された……俺の思った通りにはいってねぇけど」
「死ぬかと思った……あのまま存在ごと消されるかと……」
円盤から送られた場所は、今までの洞窟とは変わって、全ての壁や天井、床が黒い大理石のような材質で造られていた。
ヒロトは黒光りする壁に手を当て、その壁に反射する自分の顔を見つめる。 その顔は歪み、まるで悪魔の顔のように見えてしまったことに苦笑する。
「なあ、これって閉じ込められてんのか?」
「……っぽいね」
四方八方がその壁で成り立っていて、出口らしき箇所が全く見当たらない。 当然、扉や窓も無く、一見すれば二人は閉じ込められているように見える。
「調べろ調べろ調べろ、全部の壁調べて出口探せ!」
危機感、あるいは焦燥感に迫られたマレッカは『本気の顔』で出口を探し始めた。
それに釣られてヒロトも黒光りする壁をペタペタと触り、どこか変わった箇所が無いかを調べる。
二人は壁だけではなく、床や天井も凝視して何か無いかを見ているが、どれもこれもうんざりするほどに凹凸のない綺麗な壁で、その事実がマレッカの不安を特に煽った。
「ねぇ……すっごく暑くなってきた……」
「わかるぜ、こりゃマグマの時と同じくらいひでぇな」
壁に触れ、床に伏せ、時には跳ねて天井と届くか届かないかの戦いに興じていると、彼らを襲う為に突如として現れた熱気が暗い密室に充満し始めた。
その熱気は時間を重ねる度に威力を増し、徐々に二人の思考能力を奪っていく。
人が最も恐怖を覚えるシチュエーションというのは、たった一瞬で恐怖の対象が目の前に現れ、自分を殺すようなものではない。
人が恐れを抱くのはただ一つ、迫り来る恐怖のみだ。
数秒前よりも熱の過酷さは増していると、熱を帯びた装備がその下に隠れた肌に触れてヒロトに教えた。
(ベルカ達なにしてんのかな……?)
意識を削られ、見えている世界が緩やかに崩壊していく様を無理やり見せつけられる。
マレッカは知らないが、こんな土壇場でこそ他愛のないことが頭をよぎってしまうことを、ヒロトは知っている。 所謂、走馬灯の一種だろう。
今にも火傷を起こしてしまいそうだと、露出した首の皮がそう悲鳴を上げていた。
黒のグローブで首元を隠せるだけ隠して熱気から守ろうとするが、それだけではどうにもならないのが現状だ。
「出口ッ……! 探せ!」
自身が巻き起こしたと言っても過言ではないこの状況は、焦りと恐怖と、そして罪悪感をマレッカに叩きつけている。
それでも尚ヒロトに対して命令口調なのは彼の失敗を素直に認められない性格のせいであり、そして何の面白みも持たないちっぽけなプライドのせいだろう。
(熱い……熱い……熱いよ……)
ただでさえ視界を揺らす陽炎に合わせて、微かに開ける瞼から見えるのはどこからとも無く現れた火の粉だけだった。
しかし、それもつい数分前のこと。 今はもう、瞼から少しだけ眼球を覗かせることすら叶わない。
目も、首筋も、その熱さに悲鳴を上げていて、その辛さが脳へと伝わり、やがてはヒロトを苦しめる。
マレッカは手探りで壁の位置をぼんやりと把握し、とにかくそこを叩いた。
最早それしか、壁をぶち破るしかここから出る方法はないのだと、そう思ったからだ。
立派な剣で削ることすら考えずに、彼らはただひたすら壁を叩くだけだ。 それも、まるでここから出してくれと看守に叫ぶ罪人のように。
「お、い……壁、ヒビが……!」
隣から発せられた弱々しい掠れた声が、ヒロトの耳奥に響いた。
感覚でマレッカの手元を探し当て、グローブに覆われた小さな手を巻き込んでそのヒビに触れた。 そこをグローブで触れると、さっきまで黒光りしていた壁らしくない歪な音が聞こえた。
「ガサガサしてる……? 確かにヒビだよこれ!」
そこに触れた途端、その中心からヒビがピシピシと音を立てて広がり、高級感が溢れていた壁が荒い岩壁と成り果てた。
姿を現した希望を取り逃しまいと、二人は狂ったように目の前の壁を叩きまくってそのヒビをもっと広げようとした。
それは期待通りに範囲を拡大させて、そのせいで大雑把に砕かれた壁がバランスを崩そうとしている。
「──あっ」
そして、汚らしくひび割れた黒曜の壁は緩やかに崩されていった。
叩き続けたのに、なんの手応えもなく、あっさりと。
丸見えとなった一面から想像を絶する程の熱風が二人に向かって吹き荒れて、それを皮切りに他の壁や天井にもヒビが走った。
「変な音がした! 離れよう!」
喉を焼かないように、なるべく下を向いて、余計な空気を吸わずにそう叫ぶと、ヒロトはまた感覚でマレッカの手首を強く掴み、その熱風に逆らって歩いた。
髪は風に吹かれるがままで、その毛根がたまらなく熱い。
「ひゃあっ!」
マレッカのか細い悲鳴が聞こえると同時に、後ろの方で『何か』が崩れ落ちる音がした。
ただ風に逆らって進んでいただけのヒロトでも、その『何か』の正体が何なのかは、想像するに難くなかった。
「…………っ!」
強い風が吹き荒れる状況を『普通』と呼ぶなら、この瞬間に二人を襲った風は『突風』とでも呼ばれるのだろうか。
置き土産とも取れる強風を最後に、最悪な熱風と、とても耐えられない熱さの熱気がどこかへと姿を消した。
冷やされた空気の感じ取ると、ヒロトはそっと目を開けて後ろを振り向いた。
そして、そこに広がっている光景を目の当たりにし、小さく呟く。
「────やば」
目線の先に存在していたのは、だだっ広い空間に寂しく置かれていた黒い瓦礫のみだった。
周りは薄暗くて全体像を確認できるわけではないが、そこにさっきまで自分達を閉じ込めていた黒曜の残骸が散らばっているのは、赤い光がそれを仄かに照らしてくれていたおかげでなんとなくわかった。
マレッカの手を引いたまま、ヒロトはその元へと歩いていった。
遠くまで飛び散った黒い破片を途中で拾っては、それを眺めて疑問に思う。
(叩いただけで壁って崩れるかな……? やっぱ、ありえないよね?)
当然だ。 二人の人間が叩いた程度で壮大に崩壊するような壁なんて、その前に二人がベタベタ触っていた段階で既にヒビの一つでも入っているのが自然だろう。
(普通に重いし、やっぱり変だよ)
だとすればさっきの熱風のせいか、ともヒロトは考えたが、壁を壊せるような風が吹いているなら、それこそヒロトとマレッカも吹き飛ばされてしまうだろう。
瓦礫の元へとやってきて、その一部を中腰でまじまじと見つめていても、その疑問に答えが返ってくることはなかった。
「おい……さっさと手を離せ……」
「あっ、ごめんね!」
しゃがんでいるヒロトを、マレッカはソワソワしながら見下ろしてそう言った。
焦ったように手を離し、軽い謝罪を入れてまた瓦礫とにらめっこを始める。
しかし、考えても考えても謎は謎のままだ。 この疑問は解決しないと心にモヤモヤと残ってしまうだろう。普通、人が叩くだけで壁が崩壊するなどありえないからだ。
「それなりに重かったっぽいんだろ、その崩れた壁。 わけわかんねぇのは理解出来るけどさ、今は壁からの脱出を喜ぶことと、この後どうするかを考えることが先決じゃねぇのか」
「確かにね……ちょっとどうでもよかったかも」
ヒロトは手に持った黒曜の破片を適当に投げ捨て、マレッカの目を見て立ち上がった。
「じゃあ早いとこ──」
ここから抜け出す方法を考えよう、と言おうとした瞬間、この薄暗い空間の中から静寂を切り裂く咆哮が閃光のように走った。
それと同時に薄暗い視界は灼熱の白へと変わり果て、思い出したくもない熱気が蘇る。
「ぐっ……!」
顔を守る両腕の隙間から見える景色が陽炎で歪まされつつも、あるいは爆風で砂が飛び散っていても、そこに『何か』が存在していることは微かに認識できる。
声を出そうとも喉でつっかえて、腹の中へ引っ込んでしまうほどの緊張感を二人に与える『その存在』は黒い影を揺らし、その正体を明かす。
「あれはっ──」
──あれは、化け物だ。




