第一章12『初の勝利を讃えて』
メルタリアの朝は静かで心地の良い、とてものどかな朝だ。 現代を生きる地球人であれば誰もが忌み嫌うその空気感をメルタリアで感じることはない。
だが、今日の朝だけは違った。 確かに、底辺ハンターの毎朝など幸せなはずはないのだが、それを考えても今日だけはいつともは違う。
「………」
静かな寝息を立てて眠るベルカをヒロトは黙って見つめる。 幸せそうな顔で眠っているのが昨日の夜のベルカからは想像もできない。
(夜、あんまり喋らなかったな……)
『龍』という単語がベルカにとって何を意味するのかは全く分からないが、ヒロトはそれがベルカのトラウマであることはなんとなく理解している。
今からヒロトに出来ることは『龍』という単語を今後ベルカの前で使わないこと、そして昨日のことをそれとなく謝ることだ。
(いい時間だしそろそろ起こすかな)
ヒロトは眠るベルカの肩をトントンと軽く叩き、起床を促す。
「ベルカ、そろそろ起きようよ」
「んっ、朝…………?」
寝起きの悪いベルカは目をしぱしぱさせながら背筋と腕を伸ばし、あくびをしてからヒロトを見る。
「おはよ……早くギルドに行こ……」
枕にしていたポーチを手に持ち、その場で気だるそうに立った。
「そ、そうだね。 その前にさ、昨日のことなんだけど……」
「昨日?」
「えっ……」
その瞳と表情は演技ではないことぐらい、さすがのヒロトでも理解できた。そこから感じ取れるベルカの感情はただ一つ、疑問だ。
本当に、彼女は昨日のことを忘れているのか? たった数時間も前の出来事、それもヒロトにとっては印象に残るような状況であったにも関わらず、なぜ忘れている?
もしかするとベルカは『龍』による何らかのショックでそのトラウマを記憶ごと消し去ったのではないか、そういう考えにヒロトはたどり着いた。 だとしたらここで無闇に昨日のこと聞いて思い出させるようなことをすれば、ベルカはどうなってしまうのか───
「昨日の……受付嬢の人! すごいテンション高かったよね! 今日もあの人なのかなぁ!」
咄嗟にそれとない話題で上手く逸らして事なきを得た。
「あぁ、昨日の騒がしい人……緑よりはマシかな」
「ハハハ………」
自分が気に入らない人間に対してはそれなりにキツイ態度を取るベルカの一面を垣間見て苦笑いをするが、今は口数が多いベルカを見ると安心以外の感情はあまり湧かない。
「それじゃ、ギルドへ行こうか」
「うん」
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朝のギルドは例のごとく人気がない。 元々大人数が苦手なヒロトにとっては心地よいことこの上ないので問題は無い。
「人がいないと楽でいいよね」
「あっ、ベルカもそう思う?」
「ヒロトも? 似た者同士ってことだね」
ベルカは机に突っ伏してぐだーっとしていたが、それを注意する人間は誰もいない。
誰もいない酒場でその空間を独占する二人は席に座って適当に喋っていた。
「ねぇ、ベルカ」
「なぁに?」
ぽつりと呼びかけるヒロトにベルカは顔を上げて聞き返す。
「今日さ……依頼じゃなくて、練習しない?」
「練習って?」
「ディノス……だっけ? あいつらを倒す為に行動の練習をね」
あくまでも練習、そう切り出して話を進めようとしたが、それだけでもヒロトは内心の緊張が止まらない。 依頼ではない以上無理にディノスを追う必要もなければ襲われて帰ってきた時の屈辱感もそれほどでない。
「たっ、倒せるの……?」
「倒すんじゃなくてさ、倒す練習だよ!」
そのベルカの言葉を合図に二人はギルドから飛び出して街を駆けた。 城門を守る門番のことはお構い無しに平原へと走る。
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「結構走ってきたよね、きっとこの辺なら森よりかは安全に戦えそうだよ」
ヒロトがそう言って座る場所は忘れもしない、草食モンスターがディノスに襲われていたあの湖だ。
(怖いけど、ディノスが出る場所で街に一番近いのはここくらいだろうからなぁ……)
健全な心を持った十六歳の少年にはあの光景がさぞショッキングに映った事だろう。言葉には出さないが、やはり心の中で相応の恐怖は抱いているわけだ。
「あのモンスターを襲いに三頭くらいで来るはずだから、しっかりと警戒しておこう……」
「うん、わかった……」
草食モンスターの親子とその群れが湖付近で休憩を取っているその穏やかな光景を、ヒロトは無情にも己のスキルを向上させる糧とする道を選んだ。
強ければ彼らを犠牲にしなくともディノスを狩ることは容易いだろうが、今の二人はとにかく弱い。 強くなる為に、罪悪感を押し殺して彼らを犠牲にするのだ。
緩やかな盛り上がり方をしている丘に身を伏せながら森の方角を見つめ、ディノスの現れを待ち続ける。
その度に視界の横から見える草食モンスターには罪悪感が増す一方だが、なんとか気にしないようにと前を見続ける。 きっとそれはベルカも同じなのだろう、とヒロトは思った。
「っ! 来てるよ!」
静かな声で注意深くベルカにそう言ったヒロト。 紅森を背に湖めがけて走ってくるディノス達の姿に胸が震え、手汗をかいた拳を強く握りしめる。
(やった、二頭だけだ!)
湖に向かうディノスの数を確認し、でこを伝う汗を腕で拭いてそれ以外の動きと音を極力出さないように努力する。
(来たっ………!)
そして湖までの距離を詰めた二頭のディノスは草食モンスター達をめがけて飛びかかる。 その背中にかじりつき、首をグリグリと動かして獲物の体力を奪っていく。
散り散りに逃げ惑うモンスター達にはおかまいなしに、それぞれが狙った一頭の獲物を鋭利な牙と爪で殺す。
「ベルカ、あいつらが食べ終わったら右のディノスをめがけて石をぶつけるんだ、僕は左を狙う」
「わかった……」
そう言って石がパンパンに詰まったポーチから静かに石を二つ取り出す。
無残な死体から溢れる肉を爪でかき乱しては食らいつく、その繰り返しの後に二頭は獲物を平らげた。 それを見て二人は態勢を整える。
「いくよ………せーのっ!」
二人が投げつけた石は勢いよくディノスをめがけて飛んでいき、見事に二人とも石を顔面に直撃させることに成功した。
その威力はそれなり大きかったようで、二頭は目眩でも起こしたかのようにクラクラと体を揺らし、当てられた顔付近の目を閉じている。
「今のうちに攻撃しよう!」
そう言うとベルカは丘から身を乗り出して片方のディノスに勢いよく斬りかかった。 ベルカが振る剣の刃がディノスの顔面に大きな傷をつける。 ヒロトもそれに続いて別のディノスに近づき、顔をめがけて斬りつけた。
不意の一撃を受けた二頭はよろめき、顔の傷から感じるその激痛に悲鳴とも取れない声を上げる。
「ベルカ! 狙えるなら次は首元を斬って!」
応戦するベルカはその指示を聞いて暴れるディノスの首元に一突きしよう試みるが、なかなかに剣先から首元への座標が見つからない。
二頭のディノスはそれぞれに対抗すべく尻尾を振り回したり、体当たりで怯ませた後に噛み付こうとする素振りを見せるなどしている。
それを見たヒロトはすぐに目の前のディノスに向かい合う───が。
「ぐあぁっ!」
「ヒロト!?」
目を逸らしていたった一秒感、ディノスはヒロトに対して猛烈なタックルを食らわせる体勢に入っていたのだ。 そしてその攻撃はヒロトの腹に直撃し、かなりの勢いで後ろの地面に背中を打った。
「気にしないでっ! 目の前の敵に集中するんだ!!」
数秒前に覚えたことを使った警告だろうか、こうはなりたくば前を斬れと叫んで自分も目の前の敵を目がけて剣をがむしゃらに振る。
「とにかく剣を振るんだ! 動きが止まると噛み付いてくる!」
相手が暴れれば攻撃ができないのは向こうにとっても同じことである。 『攻撃は最大の防御なり』とはよく言ったものだ。
(このままじゃ勝てるものも勝てないじゃないか……!)
剣を振るにも関わらず防戦一方のこの状況、優勢とはとても言えず、かと言って逃げることが許されるかといえばそういうことではない。
逃げれば当然追われるだろうし、ディノスを発見した時から湖に来るまでの時間を考えれば到底、逃げ切ることが出来るとは思えない。
ここで倒れても待っているのはタンカーを持った猫達ではなく死なのだ。 防戦しているよりも逃げている時の方が明らかに隙が大きいと分かっている以上、戦いからは逃げられない。
全力で剣を振り回しながらそんなことを考えていると、隣からベルカの声が聞こえた。
「ええいっ!」
尻尾をベルカに叩きつけようとするディノスだが、それをなんとか見切ってベルカは避けた。 その反動でディノスの体は多少のよろめきを見せ、その隙を逃さんとベルカはディノスの後頭部に鉄剣を突き刺した。 その日初めての悲鳴が辺りに鳴り響き、刺さった剣を両手でグリグリと動かした後、ディノスの動きは弱まって遂にはそこへと倒れ込んだ。
「仕留めたよ、ヒロト! すぐ行くからね!」
一方ヒロトは剣を振れなどと言っておきながら、やっていることは防戦以外の何物でもなかった。 尻尾で叩かれそうになればそれを剣でガードする、体当たりが来そうになれば後ろに下がり、片手を地面について体を安定させる。
「えいっ!」
よろめいたヒロトに集中するディノスの背に鉄剣を串刺しにするベルカ。 それによってディノスは怯み、ヒロトにはなんとか余裕が出来た。
「でやぁぁ!!」
ベルカの助けによって生まれた隙を逃さずに突く。 ヒロトは怯んだことによって顔を上げたディノスの首元に右手に持った剣で突き刺す。
森で襲われたあの時のようにディノスの体を地面に倒させ、剣をグリグリとかき回してディノスの命を絶った。
「ベルカ、ありがとう……」
「ううん、いいんだよ」
息を切らしながら二人は見つめ合う。
「僕達、倒したんだよね……!」
「うん……! 倒した、倒したよ!!」
遂に、遂にやり遂げたぞと言わんばかりの表情を見せ合い、二人は喜びに打ちひしがれる。 ベルカは大声を出してその喜びを平原中に轟かせるように伝えた。
「やったぁぁぁぁぁ!!」
ディノスは人よりも小柄とはいえ肉食モンスターであり、当然危険な存在だ。 それと己の力で戦った結果がこの勝利なのだからその喜びは半端なものではないだろう。
ヒロトもベルカの横で拳を胸に当て、喜びに満ちた表情で奥に見えるメルタリアの城壁を眺めている。
(僕は……モンスターを倒したんだ! いつかあの赤い鎧の人にだって、きっと……!)
世界中のハンターを基準に考えればレベルの低い勝利だが、今の彼らにとっては大きな一歩で、最強への小さくも確実な一歩なのだ。
「やったぁ! やったぁ! ふふふー!!」
ベルカはヒロトよりも余程喜びを見せている。 その姿をヒロトは嬉しく思って眺めているわけだが、それ以外の感情もそこには存在した。
(でも……よく考えたら殆どベルカのお陰なんだよね……)
この勝利の八割はベルカの功績によるものだ。 ヒロトよりも先に単独でディノスを処理し、すぐにヒロトの援護へと回ったのだ。 この功績は讃えるべきものだろう。
「ベルカ、本当にありがとうね。 ベルカがいなかったら僕は死んでたよ」
「ううん、いいんだよ。 ベルカの目標でもあったから……」
「目標?」
「ヒロトよりも先にハンターになってるでしょ? その間に何回か戦ってたんだけど、全然倒せなくて……だから、今日初めてディノスを倒したの! ベルカもヒロトがいなかったら倒せないままだったんだよ?」
(なんていい子なんだ………!)
その感謝を満面の笑みでそう返すベルカを見てヒロトの心の中は感動でいっぱいだ。
自分の言葉に少し照れているベルカは誤魔化すように空を見上げ、じっとしている。
ヒロトも同じ空を見ようと大きな青空を見上げる。
雲一つないその景色は永遠に青が続く。 金色の山に届く空も青、紅森を見下ろす空も青、何もかもが青い空を見ていると、なんだか上へと落ちていきそうな感覚へと浸ってしまう。
そしてずっと遠くの暗い蒼を見ていると、どこからか風を切る鈍い音が近づいてくるのを感じた。
「……?」
辺りをキョロキョロと見回すと、隣のベルカが後方の空に釘付けになってるのを確認した。
なんだと思い、その視線と同じ先に目をやると、その正体がはっきりと分かった。
「ド、ドラゴン……!」
始まりの日、猫を助けた引き換えに異世界へと飛ばされた日にヒロトが目にしたあの『蒼』だ。 紅と金色がより一層美しく見せるその『蒼』はまたヒロトの頭上を通り去り、連なる山へと姿を消していった。
(また見ちゃった……!ドラゴン、というかワイバーンかな……?)
初めて手にした勝利の余韻に浸っている真っ最中の人間が、まるで伏線が貼られていたかのように始まりの日のワイバーンを見るなんて、まさに最高のシチュエーションではないか。
「すごかったよね……! ベル………って?」
ベルカは『蒼』が消えた山をただ唖然と見続けるだけで、ヒロトが声をかけるまで停止したままだった。




