愛崎も朱憂とて五右衛門パスタ~日伊修好通商条約。ここ、期末テストに出るからね!!~(2026年4月25日投稿)
めっちゃ混んでた……並んだ。
何度も何度も、止めようと思った。
その度に、お箸が愛崎を絡め取った。
パスタじゃない。
愛崎を、だ。
メンズセット、レディースセット……違いは大盛りかサラダの違いだった。
スペシャルスイーツセット……スペシャルなスイーツが付くらしい。
ごくりと唾液が落ちる。
五右衛門の反対に『ラーメンと焼きナポリタン』がある。
ナポリが美少女だから、ナポリタンなのカモ知れない。
愛崎も『朱憂タン』と呼ばれるべきだと確信する。
ステーキの焼ける匂いと温度が空きっ腹で並ぶ愛崎の鼻腔を擽る。
未だだ。
未だ耐えられる。
愛崎はパスタを食べにココに来た。
誰でも良かった。何でも良かった。
思春期の男子と愛崎を一緒にしてもらっては困る。
──意志を強く持て。
──自分を律するんだ。
──力が欲しいか!!力が欲しいのなら……くれてやる!!
ジャバウォック!
SFバトルモノを書くしかないと使命感を持つ。
駄目だ……頭が整理出来ない。
その時、愛崎は気付いてしまった。
──お花を摘みに行きたい。
しかし、愛崎は一人だ。
ここで『綺麗なお花だっ!』と駆け出してしまったら、後ろに並ぶ幾千万の有象無象の五右衛門満席待ちが一歩、前へ詰めるだろう。
その一歩は彼らにとっては小さな一歩だが、愛崎にとっては死神の足音だった。
そうなったらお終いだ。
何のために並んでいたのか分からない。
そして、きっと泣いてしまう。
美少女の涙は悪魔の喉を潤すだろうか?
目の前のカップルの男性がお手洗いに行く。
直ぐ向かいにあるのに明後日の方向に歩いて行く。
カップルの女の子が『直ぐそこだよ』と指差す。
──愛崎も、お花を摘みに行きたい。
愛崎朱憂は恨めしそうに彼を睨んだ。
店員さんに呼ばれた。
遂に愛崎の番だった。
「何名様ですか?」
「……一名、です」
当たり前である。
アイドルには恋人が居てはいけない。
美少女はいつでも『お一人様』であるべきだ。
席に着いて、メニューを開く。
『タコのペペロンチーノ』『五右衛門伝統のミートソースふわふわパルメジャーノ』『筍と帆立のペペロンチーノ』……全部持って来い……。
──このお店のパスタを上から順に持って来なさいよっ!!
心の中で叫んだ。
何故、心なのか……?
コップに写る美少女が『愛崎は可愛い。だからお店で叫んじゃ駄目』と言ったからだ。
『でも、でも……愛崎はお腹が空いてるの。お腹と背中がくっ付きそうなの』
『知ってる。でも、ほら、見てご覧。こんなに可愛い美少女が店内で「パスタを全部持って来なさいよっ!!」と叫んだとしたら?』
『じゃ、じゃあ……愛崎はどうしたら。どうしたら良いの?』
その時、愛崎は思い出した。
店員さんがQRコードで注文しろと言っていたことを。
愛崎はむんずとiPhoneを握る。
QRコードが読み取れない。
手が震えているのが分かった。
両手でiPhoneを握り──読んだ。
メニューがずらりと並ぶ。
今日、何度唾液を飲んだか分からない。
美少女の唾液は誰かの喉を潤すだろうか?
愛崎はもうメニューを決めていた。
『紅ズワイガニと海老と本からすみのアーリオオーリオペペロンチーノ』。
アーリオはニンニクだとは分かっている。
だけれど、どうだろうか?
愛崎が言葉を放つ口から美味しそうな匂いが漂うのである。
──ありよりのあり。
恋愛感情を表す言葉に『食べちゃいたい』があるらしいことは知っている。
愛崎を食べちゃいたい。
世の男性陣は、きっとそう思っているだろう。
セットは──『メンズセット』を選んだ。
メンズセット。
つまり、愛崎の中の『漢』が立ち上がる時である。
可愛いだけでは、生き残れない。
パスタは戦場だ。
──もう一つ頼みたい。
『駄目っ!』
心の愛崎は天使の顔をしていた。
『何が駄目なの?愛崎はお腹が空いているの』
『何で分からないの?お腹がボンッてなるのよ。体型維持は美少女の義務よ』
『何でそんな酷いことを言うの?』
愛崎は泣いた。
その時、ふと思い出した。
今日は四月二十五日である。
『……生理前なの』
天使の愛崎は狼狽える。
『生理前だから、暴飲暴食するの』
『……』
『女の子は一カ月のうちに四回性格が変わるの』
『……分かってる。けど──』
『今日は暴飲暴食の愛崎なのっ!!』
愛崎は被せる。
『ふぅ……分かった。食べたければ食べれば良い。だけど、一つずつ。一つずつ頼みましょう。それでも遅くないはず』
愛崎は頷き、【注文】を押した。
[注文が承認されました]
[注文は成立状態です]
[【リンク】を実行できます]
愛崎は驚いて目を擦り、画面をもう一度観た。
[注文しました]
お腹が空いて、幻覚をみたようだ。
暫くして、店員さんがお皿を運んで来た。
白いお皿。
その中央に、紅ズワイガニと海老と本からすみのアーリオオーリオペペロンチーノが鎮座していた。
──おお、オーリオ……あなたは乳化しているのね。
湯気が立つ。
香りが来る。
ニンニクと海老とからすみが、愛崎の鼻腔へ向けて、無言の外交文書を差し出して来る。
『開国せよ』
愛崎の中の幕府が揺れた。
──待ちなさい。
愛崎は簡単な女ではない。
ましてや、ニンニクの香りに国を開くほど安い女ではない。
しかし、お箸を持った右手は既に条約調印の構えに入っていた。
お皿の上では、海老が赤い軍艦のように身を反らし、からすみが黄金の砲煙みたいに麺へ降り積もっている。
これは交渉ではない。
来航である。
愛崎は悟った。
五右衛門はパスタ屋ではない。
胃袋に文明開化を迫る列強である。
カチリ、とお箸がお皿に触れる。
その音が、愛崎史における開国の鐘だった。
パスタを摘む。
摘んで、引き上げて、絡め取る。
それはパスタではなく、長く閉ざされていた愛崎の国境線だった。
口に運ぶ。
一口。
その瞬間、愛崎の中で何かが開いた。
港だった。
いや、胃だった。
あるいは、ずっと鎖国していた幸福だった。
ニンニクの香りが舌の上で旗を立てる。
海老の甘さが上陸する。
からすみの塩気が、遅れて通商条約を結びに来る。
パスタが歯で嚙み切られる度に文明開化の音がする。
これは、不平等条約ではない。
愛崎は静かに目を閉じた。
完全に、対等だ。
愛崎はパスタを受け入れ、パスタもまた愛崎を受け入れた。
ここに、愛崎と五右衛門の間に、日伊修好通商条約が締結されたのである。
なお、イタリア側の代表は紅ズワイガニであった。
愛崎は思った。
──五右衛門。あなたは、敵ではなかったのね。
愛崎は開国した。
だが、属国にはならない。
何故なら愛崎は可愛いからだ。
可愛さは独占を許さない。
愛崎は完食した。
お皿は白く、国土は静かだった。
戦争は終わった。
いや、違う。
戦争ではない。
これは開国だった。
愛崎は満腹だった。
だが、満腹と満足は違う。
スイーツは別腹というより、別人格である。
ふと、メニューの端に視線が戻る。
スペシャルスイーツセット。
遠い水平線に、第二の黒船が見えた気がした。
愛崎はそっと目を逸らす。
今日は、ここまで。
愛崎は、未だ可愛い。
愛崎の中の愛国心――いや、愛崎心は失われていなかった。
満腹とは、戦いの終わりではない。
次の戦いまでの、ほんの休戦である。
お会計を済ませ、厨房に向かって「ご馳走さまでした」と大きな声でお礼を言う。
お店の向かいに、綺麗なお花が咲いていた。




