5.嫌な独占欲
ラベンダー色のシャツワンピースと、麻のリボンがついた、夏らしい厚底サンダル。足の甲が太いリボンで覆われているから、意外と歩きやすい。エナンドの言う通り、つば広の麦わら帽子をかぶってみると、お上品になった。不思議。
どれもカジュアルなアイテムなのに、全部合わせるとお嬢様になる。気に入って、その場でくるくる回っていると、レナード殿下が不機嫌になった。しかめっ面で腕を組む。
「他の男が選んだ服を着ていくなんて、どうかしてる!」
「だって、レナード殿下が選ぶ服はどれも大げさだから……」
「Tシャツとズボンでいいじゃないか」
「だめです。とっても素敵なお屋敷なんですよ」
「……昔、招かれたことがあるから知ってる」
「そうなんですか? へー」
「小さい頃、母上に連れられて行った。あの頃はまだ、自由に外出できたから」
こうやって、レナード殿下は少しずつ過去の話をしてくれるようになった。それが嬉しくてたまらない。ジュードやカイ、エナンドには話さない過去の話や、私にだけ見せる憂鬱そうな表情。
いつもは明るく澄んでいる蜂蜜色の瞳が翳ったら、どうしようもなく触れたくなる。手を伸ばして、陶器のような肌に触ってみた。それまで暗い表情を浮かべていたのに、ふっと笑う。私の手に自分の手を重ね、長いまつげを伏せる。
「妬けるなぁ。……そんなに楽しみ? ローザと会うのが」
「いいえ。レナード殿下が昔の話をしてくれたから嬉しいんです」
「微妙に不便だ。感情の共有ができたら、何でも分かると思っていたのに」
「どうして嬉しいのか、どうして悲しんでいるのか、言葉を使わなくても分かるようになったらつまらないでしょ? 沢山話したいのに」
「ああ、確かに。シェリーの声が聞けるチャンスを失くすのは惜しい。寂しくなる」
「またそんなこと言って!」
「心から思ってるのに。冗談じゃないよ」
私の頭の上に載った麦わら帽子を外して、柔らかい微笑みを浮かべる。とっても王子様らしい微笑みだけど、何か企んでいそう。胡散臭い。警戒して睨みつけていたら、笑みを深め、私の手首を掴んで歩き出した。抵抗する直前、ベッドへ押し倒される。あ、遅かったかも……。麦わら帽子を脇へ置いて、静かに見下ろしてくる。
「まだ時間はあるだろ? しよう」
「ん~……」
「エナンドが着せた服を脱がせたい」
「一人で着ましたよ? エナンドさんはいないのに」
「そういうことじゃないんだ。あーあ、どうしてわざわざエナンドは服を買ってきたんだ? 俺への嫌がらせか?」
私の手首を掴んだまま、首筋に顔を埋める。くすぐったい。何回か優しくキスされた。この甘い空気、まだ慣れなくてそわそわする。起き上がろうとしたら、強く手首を押さえつけられた。
「私の求めている服がクローゼットに無かったからです」
「シェリーの仕業だったか。ひょっとして妬かせたい? なら、大成功だ」
「違います!」
「うっ!?」
「まったく。護衛の私を押し倒すから、痛い目に遭うんですよ」
思いっきり頭突きをしてやった。でも、そのせいで私のおでこも痛い。しまった、痣ができるレベルの頭突きだったのね。手加減すれば良かった……。痣ができない、出血しないレベルの衝撃だったら、私がダメージを肩代わりすることはない。よく忘れちゃう、この仕組み。ベッドに腰掛け、おでこを擦っていると、レナード殿下がおかしそうに笑う。
「大丈夫か? ごめん、ふざけすぎた」
「本気だったでしょ! 知ってますよ」
「嫌がったらやめるつもりだった。出かける前だし、本気で襲ったりしないよ」
「どうだか。目的のためには手段を選ばないタイプだって、薄々分かってきたから信用できない……」
「正解。でも、今はシェリーを傷付けたくないと思ってる」
「んっ!?」
突然、両手で顔を挟み、キスしてきた。以前エナンドに、所構わずキスしてくるって言ったら、からかうような笑みを浮かべ、「そうか。我らが主はキス魔なんだね」って言っていたことを不意に思い出した。鼓動が速くなる。
息が吸えなくなってきて、肩にしがみつく。抵抗したいのに、抵抗したくない。たまに、自分の気持ちがぐちゃぐちゃになって、わけが分からなくなる。柔らかい寝具が私の背中を受け止めた。
(ほら、やっぱり嘘だった。最初から本気なのに、どうして嘘なんか……)
鋭い猛禽類のような眼差しで見下ろしてくる。シャツのボタンに手をかけ、外し始めた。喉が震え、首の後ろが熱くなる。見ていられず、寝返りを打ったら、もう一度手首を押さえつけられた。逃げるつもりなんて、ちっともないのに。時々、レナード殿下は恐怖に駆られて動く。
「……逃げませんよ、大丈夫です」
「本当に? 全力で逃げられそうな気がして、怖いんだ。ある日ふっと、俺の前から消えて、いなくなるんじゃないかって」
「怖がりさんですね。ほら、いますよ、ここに。ね? 逃げませんから」
「うん。ありがとう」
納得していない声で返事する。だけど、表情は嬉しそうだった。今にも泣き出しそうな表情に変わったあと、胸の中に冷たい波が押し寄せる。レナード殿下って、今、悲しいんだ。どうして? 絶えず、肌が凍てつくほど冷たい波に揉まれているかのよう。静かに絶望しているレナード殿下は、いつもより綺麗な王子様に見えた。
(あ……多分、今、考えちゃいけないことを考えた。塔の中に幽閉されてるから、綺麗なのかなって)
外に出たら、求められなくなるかもしれない。自由にしてあげたいんだけど。あれだけ歯痒く思っていたくせに、レナード殿下が自由に旅行できるようになったら、私はレナード殿下を気絶させて、部屋に閉じ込めちゃうかも。意味が分からなくなった。レナード殿下の持つ不安や絶望感が伝わって、考えを歪めているのかもしれない。
「……何を考えてる? シェリー」
「もちろん、レナード殿下のことですよ」
「つれないなぁ、はっきり言ってくれたらいいのに。俺の相手はしたくないって、早く出かける用意がしたいって」
「うわっ!?」
意外と嫉妬深い? ローザ様のところへ行くだけなのに。歯型がくっきり残るほど、肩を強く噛まれた。思いの外、長引いた甘い時間は毒のようで、意識がぐずぐずに溶けていった。もう動けない。これから出かけなきゃいけないんだ、私。
レナード殿下が寝そべり、腕を差し出してくる。ぼんやりしていると、強引に抱き寄せ、腕枕してきた。腕が熱い。汗でべたべたする。腕枕しても、いいことなんて一つもないような……。息を荒げ、見つめていると、レナード殿下が満足げな微笑みを浮かべた。指先で優しく、私の目元に浮かんだ涙を拭う。
「行ってらっしゃい、シェリー。気をつけて」
「……行かせるつもりなんて、さらさら無いくせに!」
「いや、あるよ。もう一回する?」
「嘘吐き!!」
「ごめんごめん、俺が悪かった」
反省するそぶりさえ見せない。腹が立って、綺麗な顔面に思いっきり枕を投げ付けてから、シャワーを浴びて着替える。ああ、もう、最悪! 急いでいたせいで麦わら帽子を忘れちゃった。
「レナード殿下って性格が悪いよね。そう思わない? バーデン」
「知るか」
「まだ拗ねてるの? もうドラゴン扱いしないって言ってるのに」
「そういう問題じゃねぇんだ。俺は複雑な気分だよ」
「一体どうして?」
バスの長い座席に揺られながら聞くと、隣に座っているバーデンが黒い帽子を被り直し、ふんと鼻を鳴らした。今日は暑いのに、死神っぽい格好をしたい気分だったようで、黒のスーツ上下に身を包んでいる。
昼下がりの車内に、人はほとんどいなくて静か。燦々と眩しい陽射しが降り注ぐ中、無言で吊り革が踊っている。リズミカルな動きを目で追っていると、ようやく口を開いた。
「何だかなぁ。小さい頃のお前を思い出すよ」
「おじいちゃん? これからバーデンおじいちゃんって呼ぶね!」
「うるさい。中古品を引き取る気にはなれねぇし、ああ」
「まだ女の子になる夢を捨てていなかったの?」
「語弊がある。俺はただ、お前の体を使って人生を全うしたかっただけだ。考えるだけで楽しそうだろ?」
「……思ったんだけどね、人の体を乗っ取って楽しく生きようとしちゃだめでしょ?」
「お前に正論を言われるとむかつく」
中古品なんて嫌な表現。バーデンは私がレナード殿下とイチャイチャすると、嫌そうな顔になる。あれかしら、誰の手垢もついていない体が欲しかった? そんなこと、私は気にしたことないからよく分かんないけど……。
あ、でも、一度だけある。レナード殿下があの手で、他の女の子を触っているのを想像しただけで、とんでもなく嫌な気持ちになった。バーデンが嫉妬するとは思えないけど。
「ねえ、どういう感情? それって」
「あ? 話が見えねーよ、ちゃんと説明してくれ」
「嫉妬? レナード殿下と私がイチャイチャする時、渋い顔をしてたよね?」
「……例えるのなら、そうだな。甲斐甲斐しく世話をしてやったのに、あっさり家を出て、よその家に住み着いた子猫だ」
「へー」
「しかも、おやつの時間になるとねだりにくる。俺も、隣人もいなくちゃだめだと言って鳴くんだ」
「強欲ね、その子猫ちゃん」
「お前のことだよ! まったく。どうしてよその家で毛づくろいして貰ってる子猫を、窓の外から眺めなくちゃいけないんだ? 育てたのは俺だぞ」
「へえ、よく分かんないや」
一つだけ、分かったことがある。多分、バーデンにとって私はそれなりに大事な存在なんだ。きゅっと口角が上がる。バーデンの肩にもたれ、くっついたら、黙って腕を組んだまま、指先で自分の腕をとんとん叩く。私に手を伸ばそうか、どうしようか、迷っている仕草に見えた。
「今まで育ててくれてありがとう、バーデン。……ユーインがいない今、私の家族はバーデンだけよ。愛してる」
「……お前なぁ、調子の良いことばっかり言いやがって」
「ひょっとして泣いてる?」
「うるさい。人外者は泣いたりしないんだ。ましてや、人間の子どもを我が子のように可愛がることもない。あっさり別れたら、承知しないからな」
「分かってる。気が済んだら離れるよ」
「じゃあ、それまで待つか。王子様にやるのは惜しい」
目元を覆い隠していたバーデンが、私の肩に手を回す。レナード殿下と一緒に眠る時とは、また違う幸福感。なぁんだ、今まで勘違いしてたかも。
人外者と人間は分かり合えないと思って、差し出された親切を突っぱねてきたけど、すんなり受け取っていたら、もっと早く幸せになれていたかもしれない。おそるおそる「ごめんね、バーデン」と言ってみれば、黙って頭を撫でられた。穏やかな幸福感に包まれる。
「ほら、あれ! お城みたいでしょ?」
「お前の影に潜んで、見ていたから知ってる」
「そうだった。周りの景色って見えるの?」
「見えるぞ。影自体が俺の目となる」
「へー。じゃあ、踏んだら目潰しできるんだ」
「違う! やめろよ。影を通して、周りの風景を見ているんだ。影そのものが俺の目になるわけじゃない」
立派な白い石造りの門構えを通り抜け、芝生に挟まれた小道をひたすら歩く。庭園は遠くの方にあって、門から玄関ホールまでは、きちんと手入れされた緑の芝生が続いてる。童話の世界みたい。芝生が染まってしまいそうなほど、広々とした青空。ここに湖があれば、真っ青に染まっていたと思う。青空を遮るものがない。広大な芝生の上にぽつんと、青い窓ガラスが嵌まったお屋敷が佇んでいる。
「こちらへどうぞ」
今日は出迎えて貰えなかった。色が白くて、表情を変えないメイドさんが案内してくれた。一歩踏み入れると、夏の暑さを掻き消す、陰鬱でひんやりした空気に包まれる。辺りをきょろきょろ見回していると、バーデンが白い手袋に包まれた手を伸ばし、ぎゅっと私の手を握りしめた。
何だか不思議。家族と言ってから、バーデンのまとう雰囲気が変わった。黒い切れ長の瞳は澄んでいて、ちょっとだけ気遣わしげな色が浮かんでいる。────大丈夫? そう聞かれているみたい。この屋敷の重苦しい雰囲気に私が押し潰れないか、心配しているように見えた。嬉しくなって、バーデンの手を握り返す。
「大丈夫だよ、ありがとう。今日は赤くないんだね、目」
「気分じゃない。今のお前を見るのなら、赤じゃなくて黒がいい。俺の色だ」
「……赤は誰の色なの?」
小声でひそひそと話す。バーデンが私の手を握りしめ、笑う。付き合いが長いから、言うつもりがないって分かった。別にいいけどね、全部知りたいとは思ってないから。
夏の陽射しが青い窓ガラスを通過して、ほんのり青く染められる。その光を受けたシャンデリアが煌いて、青い絨毯敷きの廊下に光を落としていた。座る人がいないのに、並べられた重厚な椅子とテーブル。こちらを睨んでいるように見える肖像画、子どもの死体が入りそうな壷。
「今日もここは陰鬱ね」
「しっ、聞こえるぞ」
「働いてる人もきっと感じてるよ、暗いって」
「……美術品に直射日光は禁物なんだ。昔、人から教わった」
「へー、誰から?」
「教えない」
メイドが扉に手をかけた瞬間、私の耳元で「じゃあな、終わったら呼べ」と呟き、バーデンが足元の影に吸い込まれていった。なーんだ、一緒に喋らないんだ。ちょっと拍子抜け。人外者は本来、契約者と家族以外の人の前に出たがらないから、これが正しい姿なんだろうけど……。
(ローザ様に会いたくない理由でもある?)
部屋のカーテンが閉じられていて、薄暗かった。顔色の悪いローザ様が白い猫脚ソファーに寝そべり、だらんと腕を垂らしている。無口なメイドが一礼して、去って行った。
説明する気はないようね。ローザ様を起こさないよう、気配を殺して近付く。長いまつげに覆われたまぶたが動く様子はない。ネグリジェの上から、淡いピンク色のカーディガンを羽織っていた。
(こういう時は……どうするんだっけ?)
そうだ。以前、レナード殿下の部屋に忍び込んで、ソファーでうたた寝していた時、毛布をかけて貰った。どこだろう、寝室。ベッドから剥いで、持ってこなくちゃ。ブルーの花柄に彩られた壁に手を添えて、魔力を流す。
たまに古い邸宅は見栄えと侵入防止のため、寝室へ続く扉を壁の中に隠している。ふわっと白い花びらが散って、重厚な木の扉が現われた。当たり。機嫌よく扉を開き、中へ入ると、甘い香水の香りに包まれた。ローザ様から、似た香りが漂っていたような気がする。
(小さい窓が二つと、ああ、いいのよ。殺すわけじゃないんだから。間取りを把握する必要はない)
ペールグリーンの天蓋がついたベッドと花の形をしたランプ、赤い花柄のソファーとテーブル、飴色に輝くチェスト。壁紙に青は混じっていなくて、オレンジと赤の小花柄が咲いていた。床は真っ赤な絨毯。ローザ様って、もしかして、オレンジや赤が好きなのかも。
ドレッサーの上に、赤いリボンカチューシャが置いてあった。横の貝殻トレイに載せられているのは、パールのピアスと結婚指輪らしき指輪。多分ね。好奇心に駆られ、指輪を持ち上げてみる。金と銀の波が合わさって、一本の指輪になったようなデザイン。青く煌く小粒の宝石が、波の形をした指輪に嵌め込まれている。
「うげ~、ここも青? 見るのが嫌になってきちゃった……」
どういう気持ちでこの指輪を着けているんだろう。胸元で指輪を握りしめ、とっておきの魔術をかけておく。よし! これで指輪を着けた時、うんざりしないはず。当初の目的を果たすため、ベッドからタオルケットを剥ぎ取って、ローザ様が眠る部屋へ戻る。まだすやすや寝ていた。
(良かった。タオルケットが無駄にならなくて)
起こさないよう、ゆっくりと近付き、前よりも華奢になった肩へかけておく。金髪がぱさついていた。心なしか、顔色が悪い。くちびるは赤くひび割れていた。金髪の表面を優しく撫でたあと、ローザ様が寝ているソファーに腰かけ、一息つく。
「ねえ、どうしよう? バーデン。やれることがない」
「……じきに、あのメイドがお茶を持ってくるだろう。待っていろ」




