★高校一年生 四月
私は家に帰りたくない。
4月。中学を卒業して新しく高校生として入学した私――五十嵐 春奈は、入学初日の放課後から自分の机に突っ伏していた。
机の木の匂いがする。この机も着ている制服のように新調してくれているのであれば、何も気にせずスーハ―スーハ―できるのだが、一般の公立高校にそんな予算はあるとは到底思えず、この机の前任者に関して嫌な妄想をしてしまったところで気分が悪くなり机から顔を上げる。
そのタイミングでどうやら私を見ていたであろうクラスの男子生徒と目が合う。
男子生徒はバレていないとでも思ったのか、ばっちり目が合ったのにも関わらず、まるでバレていないかのように手元の文庫本に視線を戻す。
まあ、私自身容姿は悪いとは思っていないし、中学時代でも告白やらナンパやら盗難やらストーカーやら、最後はまあ犯罪だけど、そういったおよそカワイイ女子が受ける諸々は経験しているので特段気にしない。
同じくそんな彼に特段話しかけるということも、決してありはしないが。
それにしても、あの男子生徒もまだ教室にいるのね。
こんなことを言うと、性悪ヒロイン扱いされるので心の中だけにしておくが、彼はきっと友達ができなくて今も教室で本を読んでいるのだろう。
対して私は既に教室で新しい友達もできたし、中学からの友人も同じクラスにいたので問題はない。
だけど……だけど私は、部活動の見学に行くわけでもなく、友達と遊ぶわけでもなく、そして――家に帰るでもなく。
こうして教室で無料の漫画をスマホで眺めながらいつまでも時間をつぶしている。
だが、正直この時間にも飽きた。本当は私も部活をしたり友達と遊んだり家でダラダラしたいと思っている。だけどそれはできない。
いつ呼び出されるかわからない。お小遣いなんて一円もない。学外活動でお金はかけてもらえない。一体どうしてそんな環境の私と放課後まで一緒にいてくれる人がいるのであろうか。
先ほど彼のことを悪し様に言ったが、結局私も教室の中でだけの付き合いでしかない、ぼっちだ。
……やめよう。気分が落ちる。
気分転換に新しい校舎でも見学しよう
私は新鮮な空気を吸いに、鞄を置いたまま教室を後にした。
**
ぐるりと校舎を一周した。
まだ家からの呼び出しはない。呼び出しはないと家にいると邪魔扱いされるので、まだ時間を潰さないとな……。
スマホの時間が放課後より一時間ほどたった時刻を示していた。
運動部の活気、文化部の熱量、帰宅部でもグループできゃいきゃいしている青春部。
その全てが私の劣等心を刺激して、一層惨めな気持ちにさせてくる。
こういう時はあれだな――妄想に逃げよう。
そう、私はこう見えて学生ながらにしてプロの漫画家――志望の乙女だ。
幼いころに読んだ少女漫画に衝撃を受けて以来、私はあらゆる漫画を読み、そこから自分を少女漫画のヒロインに見立てて妄想をしていた。
やれ王子様はこうがいい、ああがいいと。そしてその妄想を忘れぬうちにノートにまとめているとふと思ったのだ――この世界を漫画に残したい、と。
そしてノートに自分の妄想した世界を漫画として残すことにしたのだ。
苦節3年の自信作。大人気作品すぎて引き延ばしに引き延ばしをしているのだが、そろそろエンディングを迎えねばならぬと作家魂を胸に教室の扉を開くと、私の机のところに先ほど目があった男子生徒がいた。
その男子生徒の手元には、私が作品を連載しているノートブックがあった。
男子生徒はこちらを見る。おそらく私はぽかんと目を見開いているだろう。
対して男子生徒もぽかんとした顔でこちらを見ている。
先に動き出したのは向こうだった。男子生徒はそのノートをパタンと閉じると、そっと私の机の中に戻す。そして、何事もなかったかのように自席に戻り文庫本を開く。
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや! いやああ!」
「絶叫するなうるさい」
私は男子生徒の机に詰め寄り文庫本を奪い取ると、周囲に誰もいないことをいいことに大声で叫ぶ。
それに対して男子生徒は非常に冷ややかだ。
「いや絶叫するでしょうよ! え? 見たよね? 見たよね!」
「まあ見たな」
「見たなじゃないっての! なんでそんな反応なわけ! 覗きよ! セクハラよ! 性犯罪よ!」
「いや、そこまでいうことじゃ――」
「そこまでだよ! 私にとってあのま……こほん。あのノートを見られるのは自分の裸見られるより恥ずかしいんだからね!」
「まあそう怒ることでもない」
「むきー! お前が言うことか!」
あくまでも罪を認めようとしないこの男に私は顔を真っ赤にしてさらにぐいっと距離を詰める。
「な・ん・で! あのノート見たの! 人の机漁ったってこと!?」
「ちげーわ。そっちが教室を出て行ったときに机から落ちたんだよ。僕だって無視してもよかったけど、親切心で戻してやろうと思ったらたまたま目に入ったんだ。僕を不審者扱いするな」
「たまたま目に入っただけであんなに見入る!?」
「それはお前……思ったよりレベルが高くて面白かったからだよ」
「それはまあ……ありがと?」
「だが展開がワンパターンだな。登場人物全員にIQがないし。主人公? の男、なんでいつも髪をかきあげてるんだ? あと無意味に男の服を脱がせすぎじゃないか? ToLoveる?」
「なっ……」
「ヒロインも自己解決能力一切ないし。あの女将来絶対寂しかったからで浮気するタイプのクズだろ。主人公の献身ぶりがいっそサイコパス感あって気持ち悪いし、ヒロインを助けに行くシーンとか脈絡なさ過ぎてまだコボちゃんの方が伏線あるぞってうお!」
「殺す殺す殺す殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺! ぶっ殺す!」
「わるかったって! 面白かったからついアドバイスしただけだろ?」
「アドバイスぅ? ただの嫌がらせだろうが! そんなに言うならあんたもなんか作ってみろっての! ゼロから作り上げてから初めて文句を言ってもらえます?」
はあはあと怒鳴りすぎて息を乱して呼吸をする私。なんだか当初の文句とは違った方向に行ってしまっているがもう遅い。
私のその発言に対し、男子生徒はうーむと唸ると、ポケットからスマホを取り出して操作をする。そして、私にスマホを手渡すとそこには長ったらしい活字があった。
「ほら。これが僕が書いた小説だ。僕は基本漫画よりも小説を読むのがメインだからな。お詫びでもお礼でもないが、まあこれで許してくれ」
そう言うと彼は私の手元から文庫本を取り、また読書に戻る。
私は彼のスマホを手に持ったまま、隣の席に腰をかけて読む。
そこから数十分ほど経ったであろうか。彼の小説でいうプロローグと一章を読み終えたタイミングで私は一息つくと、彼が無関心を装いつつも興奮を隠しきれない面持ちで聞いてきた。
「ど、どうだった……?」
まあゼロから作り上げるのって本当に大変だし、感想を気になるのはわかるけど、呼んでる途中もちょくちょく目線を感じてちょっと気持ち悪かったわ。
おっと、それは小説の感想とはちがいましたね、てへ。
私は一転して曇りなき笑顔になると遠慮なく言った。
「地の文多すぎてよくわからない」
「……え?」
「説明長すぎ。心理描写長すぎ。くどすぎ。たったワンシーンなのに何行で説明してるの? そしてそこまで細かく説明されてもこっちからしたらそれで? としかならない」
「それは……漫画と小説の違いで」
「というかセリフと地の文で性格違いすぎて誰が話してるのかわからなくなる」
「……読解力の問題だろ」
ぷいといじけた様にそっぽを向く男子生徒に、私はさきほどの怒りを乗せて追撃する。
「じゃあヒロインの女の子だけど。ビッチすぎ。これ処女設定? まさかそんなことはないよね。だって一章からセックス誘ってるもん。処女でここまで積極的な女の子見たことないし。あとこの子に惚れてほしいんだろうなとばかりにあらゆる舞台装置が予定調和のようにできていくのが女からして怖い。え、運命が無理やり惚れさせようとしてるじゃん……ってなってキュンじゃなくてひゅんってなる。あと――」
「あーもう! うっせーな! 漫画しか呼んでない癖に僕の作品に口出しするな!」
「あっそ! じゃあ私の作品にも口出ししないでもらえる⁉」
「僕のは面白いという前提の上での善意のアドバイスだろ! お前のはただの文句じゃないか!」
「それが余計なお世話だっての! 褒めてほしいならこんなに難しい言葉知ってて頭いいね、すごいね! これで十分?」
「ああ、やばい手が出そう」
「出してみろよ! 女殴れる男になって初めて女心わかるんじゃないんですかー!」
「お前だって自分勝手な男性像つくりやがって。あいつ絶対性欲サルだぞ!」
「あいつって私の愛する聖也のこと!? 取り消せ!」
「聖也って名前の時点でヤリチンだわ!」
「それは流石に謝った方がいい!」
「ごめんなさい!」
はあはあと二人で呼吸を整える。字面だけ見たら完全に事後だ。
私はふうと息を吐くとふと冷静になる。さっきは冷静さを欠いて文句を言ったが、実際文章に引き込まれる文才があったのは事実だ。
だって学校の教科書でしか活字を読まない私があれだけ集中して読めて、そしてちゃんと内容を覚えているのだから、きっとすごいことなんだろう。
私は完全にいじけた様子の男子生徒に、ねえ、と話しかける。
親の仇のような表情でこちらを見る男子生徒に私は伝えた。
「あなたって、こういうの創るの好きなの? 他にも何個か創ってる?」
「……まあ、構想はある、というレベルだがな」
「どうやってつくってるの?」
「家にあるクソ古いパソコンか、スマホ」
「ふーん。手書きはしないの?」
「たまにするが、紙代のが高くつくからな」
「ほーん」
「そっちは全部手書きか?」
「まあね。うちは勝手にパソコンいじれないし」
「僕は壊れて放置されてたパソコンを自分で修理して使っているだけだぞ」
「自作? すご」
「そうでなきゃとても使える環境にないからな」
「……ふーん」
「……というか、結局何が言いたいんだよ」
「ああ、ごめんごめん。ちょっとさ、提案があって」
「提案?」
「そ。……ね、二人で部活、創っちゃわない?」
***
「おつかれーらいす」
「……」
「無視かい」
「高校選びを間違えたかなと」
「流石学年主席様は目ざとい。そうです、あなたはこんなあたしと同じ偏差値の学校だす」
あの日の邂逅から一週間がたった。
私は男子生徒――桜井 凛史郎と協力をして新しく部活動を作ることにした。
桜井の名前を知ったのはなんとほんの数日前だ。私は全く彼の名前を把握しておらず、直接聞いた時には引かれた。
同時に、これが陽キャか……と少し興奮した様子を見せていたが、多分違うと思う。
私は特別人に興味ないからなーとフォローをすると、その発言は陰キャの才能があるねと太鼓判を押された。いらん。
と、そんなわけで桜井と新たに『文学部』を設立した私は、こうして律義に毎日部室に赴いているわけだ。
部活の名目は一応は読書を通じて創作活動並びに読書本来の普及活動をする云々というのを桜井がパパっとまとめてくれていた。
先生たちも桜井が言うならとすぐに承諾してくれていたし、頭が良いのって意外と顔が良いよりも得なことが多いと思う。
まあ人数は四人以上が必須なので頭数だけは私がそろえてあげた。感謝してよね。
とはいえ実情はこうして部室でお互い無言で本を読んでいるだけなのだが。
しかし家に帰りたくないがお金を使いたくないという私にとって、この空間は何物にも代えがたいものとなっている。部費で飲んだり食べたりできるし、無料喫茶店と思えばこんなに恵まれた場所は他にない。
そして、突然の呼び出しにも対応できるのも完璧だ。
こんな環境を用意してくれて私は本当に感謝している。だけど、私の都合で彼には完全下校時間まで付き合わせてしまっている。それが正直、申し訳ない。
「……桜井さー」
「……どうした?」
桜井は文庫簿のから顔を上げることなく聞く。
「……あの、ね。迷惑だったら言ってね? 帰りたかったら帰っても、いいからね?」
すると桜井は文庫本に栞を挟むと、パタンと本を閉じる。
そして目を閉じて何かを思い返すように言う。
「……僕は、家に帰りたくないんだ」
突然の彼の発言に、私は目を丸くする。
「僕の家は母親の不倫で両親が離婚している。その不倫相手が家に居座っているせいで、僕は家にいるのが非常に窮屈だ。だから……だから、こうした場があるのは、僕は……何よりも代えがたい」
そして唇を噛んで、申し訳なさそうにこちらを見る。
彼の長い髪の毛が窓から吹いてくる春風で捲れ、彼の――思ったよりもイケメンな顔が見える。
「僕のわがままに、付き合わせて本当に申し訳ない。僕は、自分の独りよがりにこの空間を心地よいものとして五十嵐に強制しているんじゃないかとずっと不安に思っていた……。だから――」
「待って!」
私は彼の言葉を止める。そして、唾を飲み込んで言う。
「わ……私も――」
そう。これは、家に帰りたくない私たちが創る青春のモノガタリである。
連載形式:
高校一年生~高校三年生までを単月ごとに連載。
★が付いている作品はターニングポイントとして長文であり、その次話ではセリフ文のみでの幕間がある。




