★高校一年生 十二月
今日は終業式……なんて、12月24日のことをそんな寂しい風にいうのはきっと彼風に言う非リアなんだろう。
彼――桜井 凛史郎は私――五十嵐 春奈のことを陽キャだモテ女だリア充だなんだというけれど、世間一般で言えばクリスマスに異性どころか同性とも予定のない私のどこを見てそんな風に表現するのか。
まあ、誘われた回数は片手じゃない、とか補足するときっとほら見たことかと鬼の首を取ったかのようにワーワーと騒ぐのだろうけど。
そう、今日はクリスマスイブ。カップルたちが乳繰り合う日だ。
うーん……。去年まではこの日に特に何も思っていなかったのだけど、今年はやけにこの日がイライラするな。思春期だから?
去年も今年も私にとってしんどい一日であるということはあっても、青春という意味では全くの無関係の一日であるのにも関わらず、たった一年でこんなにもクリスマスを幸せそうに過ごすカップルに呪詛の念を送りたいと思ってしまうのは、きっと彼の貸してくれたライトノベルのせい。
どうでもいいけど、ラノベの主人公ってなんでクリスマスイブをあんなに憎んでるの? で、結局ヒロイン複数とハーレム状態でにゃんにゃんしだすのにどうしてスタートはあんなにネガティブキャンペーンから始まるの? 嫌み? それとも自虐風自慢?
と、創作物あるあるにまで噛みついてしまっている私はきっと致命傷。
今後数年この青春だが性春だかの一日を恨みながら過ごすようになるなんてまっぴらごめんこうむりたいんだけれども……。
そう思いながらちらりと部活の主を見る。彼はラノベの主人公たちとは違い、本当にクリスマスの予定がないのであろう。いつもの通りぼさぼさの髪型に生気のない目をして、今日は読書ではなく備品のパソコンをカタカタといじっている。
前話した小説でも書いているのであろうか。それを聞いてもよかったが、別にこんな日にそんな話をしなくてもいいだろう。目の前に学内どころか世界でも通用すると自称している美少女がいるのだから、もっとあたふたしてみてほしい。
「……ねえ」
そんな世界ランカー美少女の私が話しかけるが返事はない。
「ねえ!」
もう一度、今度は少し強い口調で話すと、返事が返ってくる。
「……なんだよ」
ぼさぼさ頭の主、桜井は美少女の呼びかけに対し、非常に面倒くさそうな表情で見てくる。
「今日、クリスマスイブだけど?」
「そうだな。だから僕は今必死にSNSで不純異性交遊をパトロールしている。怪しい奴は即通報だ」
「……やめなよ。寂しいな」
私の本気の心配に対し、彼はバツが悪そうな表情で返す。
「……冗談に決まっているだろう。僕があんな暇な奴らの監視に時間を使うわけがない」
「そう? ならいいけど」
「それで? クリスマスイブだけど、の続きはなんだ」
「……別に。何もないわけ?」
私が頬を膨らませていじけたような表情で彼に問うと、彼は至極不思議そうな表情をして返す。
「何もないわけと言われても。そもそも今日は家の予定があるから部活も早く上がると言ったのはそっちだろ?」
「そうだけど! そうじゃなくて!」
私の癇癪に対し彼は一層面倒くさそうな表情をする。
むむむ! 何て失礼で鈍感な奴だ! あいつはラノベの主人公のつもりか!
「なんかもっとこう……あるじゃん! イブなんだからさ!」
「プレゼントが欲しいってことか?」
「ちーがーうー! 私をそんな物乞いみたいに言わないで!」
「どっちかというと頂き女子か?」
あーもう! このわからずやが!
「ばか! ばか! バカバカバカバカバカバカ!」
「うっせ! ただの平日に頭を沸かせるんじゃない! 僕には考え事が何個もあるんだ! そんな察して的な内容を僕に期待するんじゃない!」
「もういいわよバカ! 折角のイブだから少しでもいいからロマンチックな話をしたかっただけなのに! もう知らない!」
「こんな本に囲まれた部室で! しかも外はまだ日が出ているのにも関わらず何がロマンチックだ! カーテン閉めて電気消して暗闇にしたら、それこそ教師に誤解されて大問題だぞ! 僕らのこの部活動は意外と薄氷の上に存続していることを忘れるな!」
桜井のその言葉にカッチーンと来た私は膝にかけていたジャージを彼の顔面に目掛けて思い切り投げつけると、スマホを乱暴に鞄の中にしまってバタバタと扉の前に行く。
「もうバカ! 知らない! 非モテ童貞は非モテ童貞らしくカップルを羨んでたら? あんたみたいな男のところに美女もサンタも一生来ないから!」
私が外に聞こえることも考慮せず大声で怒鳴ると、桜井がジャージを顔から退けながら深くため息をつくのを見る。
そして彼の言葉を聞くことなく乱暴に扉を開き、外に片足だけを出す。
「……」
「……なんだよ。普通こういうのは僕の言葉も聞かずに勇んで帰るものだろ? どうして顔半分だけ出してこっちを見てくるんだ?」
「……そのジャージ……使う? 聖夜だし、いいよ?」
「なんつー下ネタで終わらせてるんだ! いいから帰れ! 使うか!」
「……使ったら匂いでわかると思うよ。……試してもいいよ?」
「うるせー‼」
***
時刻は23時50分。結局青春も何もなく今日という一日が終わった。
私は家に帰ると、姉カップルが家にくるということでいつも通り無料の家政婦へとジョブチェンジし、買い出し・料理・片付け・掃除・布団のセッティングとまるでプロのメイドのように片付ける。これでメイド服着て給料出たら完璧だなと思いつつ、私はようやく腰を据えて自分の分の夕食をとる。
夕食はカップうどんだ。こんな時間に食べると太るので嫌だが、今から何かを準備する気にもならない。
それに両親と姉カップルのために用意した料理を作っている段階で、なんだか食べた気がするから人間って不思議だなー。
私は沸いたお湯を入れて、時間を図る。今が23時55分だから、きっかり24時に食べれるな。
さてと……、私はカップうどんを持ってこっそり自室に戻る。私の部屋は姉の部屋とも両親の部屋とも離れた物置部屋の角であるため、姉のギシギシアンアンは聞かなくて済む。……外で飯食ってラブホテルいってくれたら私の手間も省けたんだけどな。
仕方がないか。政治家の御曹司が彼氏である以上、無暗に外で食べれないのだろう。……知らんけど。
あとはうちの両親が家族ぐるみで付き合いしたいってのもあるか。やたらうちの両親は姉の彼氏とその家族に会いたがるし。向こうは迷惑してるんじゃないの?
とは当然言えないので心の中で思う。
私は暖房の利きが異常に悪い自室兼物置部屋にやっとこさ戻るとようやく腰を落ち着かせる。
時刻は23時56分。今日はお風呂はダメだな。一勝負終えた後の姉カップルに会うわけにもいかないし、この時間にドライヤーなんてしたら母に殺される。
時刻は23時57分。……私、家族のお世話をするために生まれてきたんじゃないんだけどな。私だって友達と遊びたいし、彼氏も作りたいし、色々なことにチャレンジしたい。……両親に甘えたい。
時刻は23時58分。だけどできない。だって、なんでもできた姉と違って、私は何もできなかったから。何も両親に貢献できないって既に決まってる欠陥品だから。私は、私たちは両親のアクセサリー。見る人皆に羨まれる姉は重宝されて、見向きもされない私は使ってもらっている立場。母はよく言う。この家に生まれてよかったね、と。
時刻は23時59分。すべてがここまで悪化したのは、中学二年生の時であったか。姉が政治家の御曹司と付き合いだしたとき。このまま結婚出来れば、我が家は生涯安定安心だと両親は多いに喜んだ。だけど、私がそれを壊しかけた。
姉の不在時に家に帰っていつも通り家事をしていた私は、突然家に来た姉の彼氏に犯されそうになった。私はわめき暴れその男に多大なダメージを負わせた後、警察に通報した。駆け付けた警察に保護された私は、その後警察がその男のことを有名政治家の息子だとわかると、即座に私の勘違いであるようにと圧力をかけた。必死に抗議する私のもとに両親が遅れてやってきた。私は両親が、絶対の味方が来てくれたことに安堵し涙をすると、両親のもとへ駆けつけ――思い切りグーで殴り飛ばされた。
その後のことはあまり覚えていない。我が家の恥だとか、何を考えてるんだとか、うずくまる私を足蹴にしながら両親はそんなことを言った。
そして、私を犯そうとした男とその家族に対し、額を地面に押し付けて許しを得ていた――。
ピコン。ラインの通知音が聞こえる。ふと時計を見ると、時刻は0時1分だった。
いけない。うどんが伸びてしまうわ! 私は急いでカップうどんを開け、豪快にすする。そして半分ほど食べたあたりで、ラインを思い出す。
私が通知音をオンにしている人は、家族を除けば一人しかいない。そうわかっているはずなのに、『桜井』と通知が来ているのを見るのは非常に胸躍るものだ。
ウキウキでラインを見ると、そこには一つのテキストファイルと短く一文。
『メリークリスマス』
ドックン……ドックン……と心臓が高鳴っているのを感じながら、うどんを食べているのも忘れ、夢中で返信をした。
『めりーくりすます!』
『なに?笑 サンタのつもり?』
すると、すぐに既読がつく。
『うっせ』
そのぶっきらぼうな返事に私は思わず笑ってしまう。
『いまみてもいい?』
『いつ見てもいい。ただ早く寝ろよ』
彼の返事はいつも素っ気ない。折角のクリスマスなんだからもっと素直になってくれてもいいのに。
それにしてもプレゼントか……。このテキストファイルの中身はわからないが、彼が私のためを思ってこれを作ってくれたこと、きちんとクリスマスの0時ジャストを狙って送ってくれたことにキュンキュンしながら、私はファイルを開こうかどうかで思い悩む。
早くファイルを開きたい。でも開くと、ファイルを開くという楽しみがなくなるしなあ……という、冷静に考えれば早く開けろよと言われても仕方がないようなことを布団にゴロゴロと転がりながらたっぷり楽しむこと数分。
ようやく意を決してそのファイルを開く。
**
そのファイルの中には、一万文字程度の短い小説があった。
その小説は中世時代をモチーフにしており、ちょっと見ただけでもシンデレラ(あるいは原作の灰被りの方?)をオマージュにしたような作品であった。
ヒロインは裕福な家に生まれながらも不遇な扱いを受けており日々思い悩んでいた。私も家族と一緒にいたい、姉のような綺麗なドレスを着て、社交界に行ってみたい。そんなことを妄想しながら、日々下働きをしていた。
そんなある日のこと、外で同い年程度の少年がいじめられているのを窓から見つける。
その少年はヒロインの家で働いている羊飼いの少年で、いじめているのはその管理者であった。
ヒロインは母親や姉から、何があっても家から出るなと忠告されていたが、彼のことを見過ごすことはできずに外に出てしまう。
そして、男を追い払って少年を助けると、少年はこのお礼は必ずしますと言い残し去っていくのであった。
ヒロインが満足そうに家に帰ると、母親と姉は激怒した様子で待ち構えていた。
『お前如きが勝手に行動をするんじゃない!』
『あなたみたいなのがこの家の人間だとバレたら、私にも悪評が立つわ!』
ヒロインは口々に責められると、罰として薄暗い物置小屋に閉じ込められるのであった。
そして家族は恒例の王族主催の社交界へと馬車で向かうのを、ヒロインは隙間風の入る寒い物置小屋から馬車の音だけを聞くのであった。
なんで私ばっかり、私だって、暖かい食べ物を食べたいわ。
ヒロインがそう思うと、目の前には見たことのないようなご馳走が現れる。
これは夢ではないかしらと感動すると、今度はもっと綺麗な格好で食べたいわと思う。すると今度はそのみすぼらしい作業着から一転。高価な絹のドレスへと変わるのであった。
非現実的な現状に驚いていると、一人のタキシードを着たネズミが彼女のそばに会われる。
ネズミは言う。
『お気に召していただきましたか? お姫様』
『私がお姫様? いいえ、私は哀れな召使。幸せになれないただの娘よ』
『いいえお姫様。貴方の心は誰よりも気高く美しい。そう昼間、自らの言いつけを守って私を救ってくださった貴方様は』
そう。ネズミの正体は昼間救った羊飼いの少年だったのだ。
ネズミはその後ヒロインを物置小屋から救い出し、不思議な力で王宮の外まで送る。
しかしヒロインは思い悩む。自分みたいなのがこんな高貴なところに入ってはいけない。姉の方が向いている、と。
するとそこに突然国の王子様が現れる。
『おお。なんと美しい御方だ。どうかこの私に貴方を妻とする権利をお与えください』
ヒロインは突然のプロポーズにためらうも、足元にいるネズミの応援もあって、王子の求婚を受け入れるのであった。
王子との結婚を知った両親と姉は、ヒロインに対し申し訳ないと詫びると、どうかもう一度家族としてやり直させてほしいとお願いしてくる。
ヒロインはそれを快く受け入れると、そこからは最愛の旦那と最愛の家族とともに末永く暮らすのであった――
***
私は深く息をついて布団に横になる。
時刻は0時50分。
私は彼の書いてくれた小説を思い返していた。
この作品は、当初見たあの堅苦しい文章ではなく、活字を読みなれていない私でもすらすら読める読みやすいものになっていた。
確かに、パクリと言われればそれまでであろう。だけど、パクリだろうがオマージュだろうが、恋愛要素を入れようと努力をしてくれた。私にこの文章をプレゼントしようとした。私にとってはそれだけで幸せで、それだけで満足だった。
唯一不満があるとすれば――。
私はお礼と一緒に感想とその不満を伝えるべく、また彼とのラインを開いた。
『起きてる?』
『読んだよ。おもしろかった。ありがと!』
想像よりも既読が早くついた。
しかしいつもとは違い、既読後の返信にはほんの数秒だが、ラグがあったように感じる。これまで何度も彼と夜通しラインしていた時のあのテンポ感とはずれる感じだ。
『起きてる』
『了解』
『早くねほ』
『寝ろ』
彼らしいと言えばらしい短文の連続。その一方で普段の彼からは感じない突き放された感覚を覚えた。
もう今にでもこのラインをやめたいとでも言いたげな。
普段からあれだけかまってもらっているのだ。辛いとき、苦しいとき、彼との会話が、このラインが、家という牢獄の中で私に与えられた唯一の幸せだった。
だから、どうしても、追ってしまう。
『もう少しだけ』
『お願い』
また少しラグがある。
『わかっあ』
『長くはむひ』
『むり』
普段の彼とは思えないほどの誤字。何か焦っているのだろうか。
『なに?笑』
『今日なんだか変だよ?』
『こそこそラインしてるみたい』
『ま……ま、さか……女か⁉』
冗談交じりに返した私のラインだったが、これも既読がつき、そこから返信まで時間があく。
……どれだけ経ったであろうか。一分経っても、五分経っても、連絡がない。
そして、十分が経った。
なんで返信、くれないんだろ……。
本当に女の子といるのか……。
クリスマスだもんね。女の子といても仕方ないか……。
ていうことは、今二人で……。
「おえ……」
危うく夕食のうどんが出てくるところだった。口の中にすっぱいものを感じて気持ち悪い。
私は急いで水を大量に飲み、歯磨きをすることにする。
桜井に、彼女か……。死にたい……。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい殺して殺して殺して誰か私を殺して‼ 殺して‼
歯磨きを終えた私は布団に思い切り噛みつき丸まりながら苦しむ。
ふと外を見ると、雪が降っているのに気が付く。
結構前から降っているのであろう。外ではそれなりに積もっている。明日、部活行くのに苦労しそうだな……。
「ははっ……」
何が部活だ。捨てられたくせに。見捨てられたくせに。
唯一できた居場所にいつまでも依存して。死んでしまえ、私。
今なら、何の抵抗もなく死ねると思う。
窓から差し込む月光に怪しげな誘惑を感じる私はその月光に導かれるように一歩、また一歩と窓に近づく。そのまま外で寝れば、翌朝には凍死かな。
そこまで思い描いた瞬間、待ち望んだ通知音が聞こえる。
私は何よりも優先して、スマホの方へ駆け寄る。
既に時刻は二時前。最後にラインをしてから、一時間近く経っていた。
『おそくなったすまん』
『さすがにねたか』
私は何にも優先して通話ボタンを押す。
しかし、キャンセルされた。
懲りずに私は通話ボタンを押す。
キャンセル。
通話。キャンセル。通話。キャンセル。
『まってくへ』
『でんわは』
彼のラインも無視して、ひたすら通話ボタンを連打する。
何度キャンセルされようと、何度拒絶されようと。
嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! 私を拒絶しないで! 私を否定しないで!
ボロボロと涙があふれ出るのに気が付きながら、私は無我夢中で通話ボタンを押すと、ようやく通話状態になる。
あれだけ待ち望んだ通話にも関わらず、私は一瞬電話に出るのに逡巡し、息を吐く。
しかし、もしかしたら切られてしまうかもという恐怖から、もしもしと電話に出る。
『……五十嵐か? お前、こんな遅くに電話するなよ……』
「桜井……? ひ……ひとり……?」
『……一人に決まってるだろ……』
「嘘! 嘘! じゃあなんで一時間もライン空いたの⁉ なんで電話出てくれないの⁉ 女といるんでしょ! 私のライン見て一緒にあざ笑ってたんでしょ!」
『……落ち着け。ごめん、心配させて。僕は一人だよ。ちょっと面倒ごとに巻き込まれていただけだ』
「めんどうごとって……?」
ぐすぐすと鼻を鳴らせながら、私はようやく冷静さを取り戻し、彼の声がクリアに聞こえてくる。
すると、まるで外にいるのではないかというくらいクリアにトラックが走る音が聞こえた。
『心配するな。もう終わった』
「……もしかして、今外にいるの?」
私のその質問に、桜井が止まった。そこで気が付く。
どうして彼のラインが拙いのか。どうして返事が遅くなったのか。どうして電話に出ないのか。
彼は、彼はこの真夜中の雪空の下にいる。
『違うよ。窓を開けていただけだ』
「……うそ。信じない。外にいるんでしょ。一人なんでしょ。……どうして!」
『……仕方ないんだよ。いいから、お前は寝ろ。折角のクリスマスに、僕といつまでも電話をする必要もないだろ?』
「……く」
『じゃあ切るぞ。おやすみ』
「く……。そっち、いく」
『は?』
私は彼の返事も無視して、急いでなけなしの小銭が入った財布とスマホ、コートとマフラー、手袋など身につけれるものを身に着けるだけ身に着け、こっそりと家から出る。
その間にもピコンピコンとラインが鳴るが、それは無視をする。
既に家族は寝ただろう。起きてても、どうでもいい。
私は外に出ると一目散に駆け出す。
そして、もう家族に見つかる心配がない場所まで来ると、呼吸を整えてスマホを取り出す。
ああ、何て凍てつく寒さなんだろう。これだけ寒ければ、手がかじかんでラインが遅くなるもの、誤字が多くなるのも当然だろう。
帰れだの、気にするなだの、もう家だのと嘯く彼のラインを無視して、私は震える手を抑えながら、ラインを打つ。
『どこ?』
『もう外出たから、会いたい』
***
「……見つけた」
「……お前は、本当何をしてんだよ?」
肩で息をするくらい体力を失ったのに、体温が上がることはない。
むしろ一瞬熱を発した分、一層冷えて寒くなる。
しかし、私のことなんてどうでもいい。
目の前の桜井は――閉鎖中の公園の遊具の中で一人雪をしのいでいたこの男は、こんな寒空にも関わらずコート一枚、手袋一つつけずに、見慣れた制服だけをまとって震えていた。
既に両手は寒さで真っ赤になっており、唇にいたっては紫色になっている。
な……にが……。なにが……見捨てられただ。裏切られただ。
暖かい屋根の下で暖かいうどんを食っていただけの私が、なんで彼を責めた?
なんで彼にわがままを言えた?
どれだけ恵まれた環境で、どれだけのわがままを言っていたのであろう。
そう思うと、反吐が出る。
私はすぐに遊具の中に入ると、勢いよく彼に抱き着く。
そして彼の顔を私の両胸の中に抱く。
彼が抵抗した様子だったが、それすらも力弱い。
――もう、体力もだいぶ失っているようだ。
「いいから。大人しくして」
私は抱きしめる腕をさらにぎゅっと強めると、ようやく彼は観念して脱力する。
完全におっぱいに彼の顔を挟んでいる状態だが、欲情する気持ちにはならない。
むしろ、彼を支えたいという母性に近いものか。
彼の耳も冷たい。私は彼の耳元に近づくと
「――抵抗しないでね」
とだけ呟くと、彼の冷たくなった耳を口の中に含む。
ビクンと体を震わせる桜井をより強く抱きしめることで抑え込む。
少し暖かくなったと感じたら次は反対の耳を。
「――手も、冷たいね」
私は彼の両手を触れると、そのまま私の服の中に入れる。
「おまっ! 流石にこれは!」
「黙ってっていってるでしょ」
「……え、ええ……」
私は自身の素肌が彼の冷たい手に浸食されていることに一種の征服欲を感じながら、彼の手を温める。
そのまま私は、彼に聞く。
「今日……おうちは?」
彼は私の胸に挟まれたまま、籠った声で言う。
「男が泊まるから外にいろって」
金も渡さず、防寒着も渡さず、場所も譲らず、高校一年生の少年をクリスマスイブの夜に追い出す。それが、親なのか。それが、人なのか。
だから彼はこうして凍えている。一人で、こんな寂しいところで夜を耐える。
あの程度のことで凍死を考えた私を、どうか殺してほしい。
「ギリギリまで暖をとれるところで粘ったが、流石に24時超えるとな……。河川敷のところにいたが、警察に補導されそうになってた」
あの一時間に、そんなことがあったのか。女といただって? 気持ち悪い、私。
「補導……というか保護かな。された方がよかったんじゃないの?」
彼がふふっと諦めたような笑いをしたのを感じる。
「そんなのしたら、俺はきっと学校に通えなくなる」
「学費は、自分で払ってるんでしょ?」
「そういうもんじゃないんだよ。この国の行政ってのは」
そうだ。私も知っていたではないか。この国では親は絶対なのだ。親の言うことを聞かなければ何もできない仕組みになっているのだ。
私はよしよしと抱きしめている桜井の頭を撫でる。
「ごはん、食べた?」
「……まあ適当に」
「何か、飲んだ?」
「水道水があるからな」
私はさらにギューッと彼のことを抱きしめる。
今すぐに彼のためにご飯を買いに行きたい。だけど、彼をおいていきたくない。
彼の凍てついた体と心が、ほんの少しでも融けるまでは――。
***
そこから数分、私は彼の体を温める。
途中から彼の肌に何度もキスをしていたが、これはきっと暖を取るためであろう。決して一回一回首や耳にキスをした時の彼の反応を見て興奮しているからではない。
顔も、耳も、手もある程度は、本当にある程度は暖かくなったと感じた私は、彼から体を離す。
興奮してくれたのか桜井の顔が少し赤く、唇にも色気が戻ったようだ。
彼が脱力したようにどすんと座り込むと、私は桜井の横に座りそして手をつなぐ。
その後、少しの間沈黙が続いたが、それを崩したのは桜井だった。
「今日、大丈夫だったか?」
ああ、貴方はなんて優しいのだろう。これだけの目にあいながら、あれだけのことを私にされながら、それでも第一声に出てくるのが、私への心配の言葉だなんて。
私はこてんと彼の肩に頭を預けるとふふっと笑いながら言う。
「私は全然大丈夫。だって、いつかねずみさんが助けに来てくれるもん」
「……ああ読んだのか」
「うん。ありがと」
彼は気恥ずかしそうにそっぽを向くと。
「ひどい出来だろう。内容もパクリもいいところだし。本当は送るかどうか悩んだんだがな……。それでも少しでも、元気になってくれれば……」
そこで彼は言葉を止めると
「悪い。押しつけだな」
「押しつけなんかじゃ。ない。私、幸せだよ?」
私は彼の目を見て言う。
「私ね、あの文章を見た時に思ったの。ああ、私の願いが投影されているなと」
私は口元を抑えながらにやけるのを隠しつつ言う。
「私の夢はね、桜井と初めて会った時。そう、それこそ私の自作のあの漫画をあなたに見られたあの時の夢は、あの小説みたいに突然王子様が現れて、救ってくれて、家族とも仲直りできて、皆仲良くして、そんなことを思っていた。願っていた。望んでいた」
「……ああ。知ってる。素敵な、夢だと思う」
「ありがと。だけどね、桜井にあってその夢かわっちゃった。かえられちゃった」
桜井がきょとんとした顔でこちらを見る。
私は悪戯っぽい笑みを浮かべながら彼の唇に手を当てると
「私の夢は、ねずみくんと二人で知らない世界に逃げ出すこと、かな」
「……ねずみといても幸せにならねーぞ」
「そんなのは私が決めることだよ。むしろ、私がねずみを幸せにしてあげる」
「……飯も家も困るぞ?」
「心は幸せだもん」
「……楽しいことよりも苦労することのが多いぞ」
「大丈夫、あなたといればいつでもそこが千葉のねずみランドだよ?」
「あのネズミたちから指名手配されてるぞ」
「えー。何したのさ」
「おにぎりを持参した」
「それは処刑だねえ」
「だって、あそこの飯、高いんだもん」
「いったことあるの?」
「昔。父親と二人で」
「私も昔一回だけ連れてってもらったなー」
「俺は記憶にはほぼないが」
「私も。ねえねえ、いつか一緒に行きたいね」
「……ああ」
「苦しくても、辛くても。一緒なら、乗り越えられると思わない?」
「……それでも僕は、辛い思いをさせたくないよ」
「それは、桜井 凛史郎の言葉かな? それともねずみくんかな?」
「……ねずみ」
「そうか。じゃあ私もねずみくんに言おう」
「……?」
「――大好きだよ」
桜井家;父親は仕事人間で家庭を顧みることは少なかったが、いい父親と思われようと必死だった。母親はそんな父をあざ笑うように不倫。父親は人生をやり直すといって凛史郎を置いていき、母親は凛史郎に家事と生活費を稼いでくるように伝えた。
五十嵐家との最大の特徴は、凛史郎の母親は徹底した無関心であり、自分に害や面倒がなければ、凛史郎が死んでいようがいなくなろうが一切興味がない。
容姿は非常に端麗。凛史郎が容姿端麗の人間を憎む理由でもある。




