第7話 余白
研究室に帰るとすぐドアをロックし、エレクトロブラインドで窓をすりガラスにした後、有無を言わずに耳に掛かった通信AI端末のアイさんにお願いする。
「アイさん!えっとさっきの鍵屋さん?コンタクト取りたいの!電話を!」
「申し訳ありません。星さん、今日は臨時休業との事です。」
と言われた。もー最悪!早退してあの司鍵店に行こうかしら。
そう思っていた矢先、部屋にチャイムの音が響いた。
「部長ー。」
いつもお馴染みの部下の提出物や質問タイム!!社長みたいに気づかれなければいいけど。
「はーいちょっと待ってねー。」
そうして業務の時間は過ぎていく。
心なしか今日は会議で時間が押したにも関わらず、いつもより多くの部下が私の部屋に訪れ、何人も入ってきた時には活発な意見交換の場になった。
なんでだろう?
外せない事を忘れかけていたその時、試練は訪れる。
アイさんからこう告げられた。
「ホシさん!社長からお電話ですよ。出ますか?」
「ええっ!ええ。もちろん。
お疲れ様です、開発部、明手です!」
社長は大きな声にびっくりしたのか、小さな声で、おぉと言いながら
「明手君、今からそちらのラボに行ってもいいかな?」と聞いてきた。
まずい!!これは公開処刑?!
こんなにも慕ってくれるチームのみんながいる前で、晒されるの?!
咄嗟に裏返った声で返事をする。
「しゃっ、社長のお部屋にこちらからお伺いさせて頂いてもよ、よろしいでしょうか?!」
「んーまぁ、それでもいいよ。」
会議の時の様に軽いノリで返事をする社長はきっと裏表が無いのだろう。
「ではすぐにお伺いいたします。失礼します!!」
話を聞いていた部下の数人は私の態度と電話の相手を知り、心配そうに背中を見つめて見送ってくれる。
社長室は思っていたより静かだった。
豪華なのは間違いない。
けれど、お金を掛けた豪華さじゃない。
大きな窓。
背の低い本棚。
葉の広い観葉植物。
壁際には古い服を額装したものがいくつか飾られていた。
驚いたのは机だった。
もっと大きくて重そうなものを想像していたのに、社長の机は拍子抜けするくらい小さくシンプルだった。
仕事をする机というより、人と話すための机みたいだった。
部屋の端では細い噴出口から一定のリズムで空気が流れている。
少し涼しい。
外は晴れていた。
窓の向こうには何棟もの研究棟と、その間を忙しそうに歩く社員達が小さく見える。
ここから見たら、みんな同じ速度で動いている。
社長は私を座らせると、何も聞かずコーヒーを淹れ始めた。
機械じゃない。
今や珍しい豆からだった!
私は少し驚いた。
お湯の音だけが部屋に流れ部屋いっぱいにコーヒーの香りが広がる。
社長は後ろを向いたまま言った。
「明手君、砂糖は?」
「え?」
「甘い方が好きかな。」
「……ブラックで。」
社長は笑った。
「はは、若い人は苦いの苦手かと思ってた。」
そんな雑談をする空気じゃない。
なのに社長は普通だった。
私は膝の上で指を組む。
汗ばんでいる。
目の前に湯気の立つコーヒーが置かれる。
失礼の無いようにそっとカップに手を添えた時、こう思った。そんなの飲んでる場合じゃ無いのに。
背中の存在を意識する。頭の中には
早く帰りたい。
早く外したい。
早く鍵屋に行きたい。
それしかなかった。
「安心してくれ。」
私は少し身構える。
社長はコーヒーに口をつける。
「規定違反の話じゃない。」
……え?
社長は口の中の液体を味わった後、揺れる液面と湯気を見て少し考えるように黙り、それから小さく笑った。
「なんとなくだけど。」
真剣な双眸を私の方に向けた。
「我が社の服ではない感じがした。」
終わった。
思わず呼吸が止まる。
私は咄嗟に胸元を押さえそうになって、膝上で止まらせ慌ててその手を握りしめた。
社長はそれを見て少し首を傾げた。
「いや。」
そう言いながら窓を見る。
「違うな。」
静かな声だった。
「服じゃない。」
私は顔を上げた。
社長は私を見る。
「出立ち、かな。」
意味がわからない。
社長は続ける。
「君を見ていた。」
私は思わず聞き返した。
「……会議中、ですよね?」
社長は頷いた。
「いや、別に盗み見してたわけじゃないよ。」
笑う。
「私、会議あまり聞いてないから。」
立場も弁えず、ついうっかり笑ってしまった。
それを見た社長もやってやったと言わんばかりに笑顔をみせ一緒に笑う。
社長は机に肘を置く。
「君はずっと合理的だった。」
私は黙る。
開発者として、それは悪い評価じゃない。
社長は続けた。
「綺麗だった。」
少し止まる。
「でも今日は少し違った。」
窓の外を見る。
遠くに小さく飛行機が見えた。
「余白があった。」
余白。
変な言葉だった。
社長は少し困ったように笑う。
「嫌いじゃない。」
私は何も言えなかった。
だって私は。
変化なんてしてない。
服が外れないだけだ。
社長はカップを置いた。
「そこで。」
軽く机を指で2回ほど叩く。社長のAI端末はクルクルと青い光を放ちながら何かを確認して返事をする。
「まもなく到着いたします。」
「うん。ありがとう。明手君、君に紹介したい人がいる。」
嫌な予感がした。
社長は耳元の端末に触れる。
「着いたら入ってもらえ。」
また私と目を合わせて社長は
「古い文化や道具に詳しい温故知新のアドバイザー、」
そこで社長室のドアに電子音が流れ認証モードになる。
「ちょうどいいきたか、旧友の孫でね、腕は確かだ。入りたまえ。」
「失礼します。」
聞き覚えがあった。
温故知新とか後でいい。
開発とか明日でいい。
解除したい。
鍵屋に行きたい。
そう思っていたそんな時、あっちからやって来たのだ。
「えっ?!」
工具箱。
少し古い服。
緩やかなパーマ。
私は立ち上がった。
そこにいたのは数ヶ月前に司鍵店で出会った人。
向こうも驚いている。
「あっ!」
社長は嬉しそうに言った。
「紹介しよう。」
少しイタズラっぽく笑う。
「アドバイザー。」
少し考えて続ける。
「伝説のトクちゃんの孫でね。」
タガルさんは困ったように笑った。
「社長、それやめてくださいよ。」
社長は楽しそうだった。
「腕は確かだ。」
私を見る。
「鍵屋のタガル君だ。」
社長は嬉しそうに言った。
私の頭だけが、置いていかれていた。




