第20話 解
研究室に戻ると、開発部の空気が一瞬で変わった。
「タガルさん!」
「本当に来た!」
「部長、連れてきた!」
「部長すごい!」
「いや、私はただ迎えに……。」
星が照れている横で、タガルは作業台へ向かった。
試作品を一つ手に取り、指先で留め具周辺をなぞる。
「なるほどな。」
「原因、分かりますか?」
「分かる。」
研究室中が息を呑む。
タガルは小さな工具を取り出した。
そして、ほんの少しだけ角度を変える。
目で見ても分からないほど、わずかに。
数ミリにも満たない調整だった。
「終わり。」
研究員たちは一斉に固まった。
「え?」
「今ので?」
「変わってなくないですか?」
「角度、変わりました?」
「誤差じゃ……。」
タガルは工具をしまう。
「誤差を誤差のままにするから、87.4%離せねぇんだよ。」
研究員たちは黙った。
星だけは、じっと試作品を見つめている。
「タガルさん。」
「なんだ。」
「試せますか。」
「試す。」
タガルは研究室を見渡した。
「女性社員、呼べるだけ呼んでくれ。」
「え?」
「全員、試作品を着てもらう。」
研究室がざわつく。
「男性陣は?」
先手必勝と言わんばかりに男性社員が口を割る。
「すいませんタガルさん!俺たちもう腱鞘炎で腕上がらないっす!」
幾度となくテストに付き合わされた男性陣はすでに満身創痍だった。
「お前らはよくやったよ。
けど
もうひと頑張り、出来るよな?」
タガルの顔は怖い笑顔だった。身震いする男性陣を差し置いて
「残りの男どもはいまから試作品全部の調整をしてもらう。一言も聞き流すなよ。
俺だけ出来てもダメだ。100%に仕上げたいんだよな?」
「あーーー!!わかりましたよ!!はい!っす!」
「マジかよ。何個あるんだ?」
「しゃーねーよ。部長の為だべ。」
それぞれが諦めの声を口ずさむも、やってやろうと言う気概だけは目の奥の光り方で伝わって来た。
しばらくして、試験室には女性社員たちが並んだ。
研究員。
事務担当。
検証担当。
そして、なぜか増見もいた。
「統括まで……。」
星が驚くと、増見は少しだけ視線を逸らした。
「品質確認です。」
「本当にそれだけですか?」
「品質確認です。」
きっぱり言ったわりに、耳が少し赤い。
試作品を身につけた女性社員たちは、不思議なほど姿勢が変わっていた。
胸を張る。
肩が開く。
背筋が伸びる。
ただ服を着ているだけなのに、空気まで少し華やいで見える。
男性研究員の一人が呟いた。
「すごいな……。」
「外せるか外せないかの微調整をしただけなのに、また雰囲気が変わりやがった。」
別の研究員が首を傾げる。
「でも、並んでもらっただけじゃ……。タガルさん!この後、どうするんですか?」
タガルは何も答えない。
一列に並んだ女性社員たちの後ろへ回る。
ゆっくりと歩く。
一人目。
二人目。
三人目。
・・・九人目を超えたあたりから目を瞑っている様にも見えたのだ。
廊下を歩く様なタガルの行動を不思議に思っている女性陣。
そんな中、男性陣は気が気では無かった。自分の調整した服は誰が着ている?タガルにダメ出しをされる緊張感が限界に達した時、
「タガルさん?」
冷や汗をかいた男性研究員が恐怖のあまり心配を口にした。
「すいません。ふ、不備がありましたか?」
タガルは最後の一人、増見の後ろを通り過ぎる。
そして、静かに言った。
「終わり。」
その瞬間だった。
並んでいた十数人の女性社員たちの表情が、一斉に変わった。
「……っ。」
「あ……。」
「え?」
「う、うそ。」
胸元へ手を添える者。
肩の力が抜ける者。
顔を真っ赤にしてうつむく者。
誰も、自分が外された瞬間に気づいていなかった。
ただ、あとから来る解放感だけが身体を通り抜けていく。
増見は目を閉じた。
耐えるように息を整える。
けれど、こらえきれずに小さく声が漏れた。
「……ぁ、はぁ。」
おしとやかな、けれど隠しきれない吐息だった。
研究室が静まり返る。
男性研究員たちは、何が起きたのか分からず立ち尽くしていた。
「まさか……。」
「全部……?」
「いつ?」
「触ったのか?」
タガルは少しだけ肩をすくめた。
「外すってのは。」
静かに言う。
「気付かれたら二流だ。」
誰も言葉を返せない。
星は震える手で端末を見る。
全員、解除完了。
「……すごい。
成功率。
100%です。」
星は驚き、呟く様に告げる。
タガルは男性陣に向かって握られた拳を突き出し、親指を天井に向けて立てる。
「「ぃ〜よっしゃーーー!!!!」」
100%を出したのはタガルだったが、自らの手で最終調整を全てやり遂げた男性陣の努力の結晶でもあったのだ。
大きな声を上げて喜び抱き合う部下を見てまた星は声が震わせ話す。
「本当に、すごいです。」
タガルは試作品を見つめたまま、少し遠い目をした。
「じいちゃんの受け売りだ。」
研究室が静まり返る。
「外すことが目的じゃねぇ。」
「一番苦しい場所を見つける。」
「そこへ、そっと手を添える。」
「外れるのは、その結果だ。」
もう一度だけ、小さく笑う。
「服も、人もな。」
その言葉は、研究室の奥まで静かに染み込んでいった。
星は、閉じた店の貼り紙を思い出した。
増見は、試着室で流した涙を思い出していた。
研究員たちは、ようやく理解した。
彼が直したのは、部品ではない。
人が一番苦しいと感じる場所を見つけるための、考え方そのものだった。
「タガルさん。」
星が小さく呼んだ。
「はい。」
「……おかえりなさい。」
タガルは少しだけ目を伏せた。
「ただいま、でいいのか。」
「はい。」
星は笑った。
涙を浮かべながら。
「ちゃんと、言ってください。」
タガルは困ったように頭をかく。
研究室中がじっと見ている。
逃げ場はなかった。
「……ただいま。」
その瞬間、研究室中から大きな拍手が起きた。
星は笑いながら涙を拭った。
増見は静かに装衣を整え、いつもの表情へ戻る。
けれど、その頬にはまだ少しだけ赤みが残っていた。
「明手部長。」
「はい。」
「企画案を、正式な再審査へ進めます。」
研究室がどよめく。
「ただし。」
増見は全員を見渡した。
「ここからが本番です。」
「社会に説明できる言葉を。」
「人を守る仕組みを。」
「そして、この感覚を誤解されない形で届ける覚悟を。」
「すべて整えてください。」
星は真っ直ぐ頷いた。
「はい。私達で 解 を出してみます!」
タガルも隣で小さく頷く。
増見は少しだけ口元を緩めた。
「期待していますよ。」
その言葉を合図にしたように、研究室の空気が一気に動き出した。
誰かが資料を開く。
誰かが検証結果をまとめる。
誰かが試作品を確認する。
小さな歯車が、一枚、また一枚と噛み合っていく。
そして、その中心には。
星とタガルが並んで立っていた。
もう、誰にも止められない。




