第1話 星の悩み
第1章
その日は朝から会社が荒れていた。
無理もない。
社長の退任は株主からの反対も強く、まだまだ現体制が続くとばかり思っていたからだ。
そんな騒然としたオフィスを抜け、私はラボに入ると、机にコンビニのコーヒーを置いた。
一口飲む。
「はぁ。勇気の扉を開けてほしいな。」
思わず独り言が漏れた。
朝の会議は急遽中止。
今ごろ幹部役員たちが会議の真っ最中で、当面は副社長が実務を代行する方向で話が進んでいるらしい。
けれどその本人も、年齢を理由に社長の座は断る意向だという。
――この前の話を、全部誰かに相談できたらいいのに。
でも、言ったら社内規定に触れる。
私の名前は、明手 星。
ウニクロス製品開発部の部門長に抜擢されて、もうすぐ三年になる。
周囲からは異例の昇進だと言われた。
一方で、会社が「二十代役職者」という話題性を作りたかっただけだ、なんて噂もある。
……どっちでもいい。
私の作った服をたくさんの人に着てもらって、少しでも快適に過ごしてもらえるなら。
それだけで十分だった。
「今日こそ早く終わらせて、あの女の子を見つけなきゃ。」
数か月前。
駅で見かけた、一人の女の子。
すっと伸びた姿勢。
歩く速さ。
肩の位置。
綺麗な人は今まで何人も見てきた。
高価な服を着た人も、新作発表の時に来てもらったモデルさんも。
でも、その子は少し違った。
服が目立っていたわけじゃない。
その子が立つだけで、服の線が綺麗に見えた。
何を着ていたか思い出せない。
なのに、肩の角度と背筋だけ覚えている。
気づけば追いかけていた。
素敵な人を目で追うことは今までもあった。
良く言えば職業病。
悪く言えば――ストーカーだった。
角を曲がった瞬間。
ドンッ。
男二人組にぶつかり、そのまま完全に見失ってしまった。
「わっ!」
後ろに尻もちをついた私に、驚いた1人が慌てて手を差し出した。
「えっ、あっ、悪い! 大丈夫か!?」
「いえ、すいません! 私が急に飛び出して……」
相手も少し困ったように笑う。
「いや、俺たちも後ろ向いて歩いてたからさ。怪我してないか?」
……後ろ向いて?
不思議に思って尋ねる。
「何か後ろにあったんですか?」
男は頭をかいた。
「あー、大したことじゃねぇんだけどさ。」
「角の店、飯屋かと思って入ったら違ってな。」
「看板、紛らわしいんだよ。なぁ?」
もう一人が肩をすくめる。
「寿司って書いてあったからさ。」
「……いや、間違ったのは俺らだからしょうがねーか。」
「は、はぁ。」
男たちは顔を見合わせる。
「まぁ、お互い様って事で気をつけてな。」
そう言って手を振り、去っていった。
私は少し迷ってから、来た道を戻り見失った女の子を思い出していた。
凛とした立ち姿だった。
急いでいるようにも見えた。
焦っているようにも見えた。
なのに、その全部が綺麗だった。
……やっぱり服装?
何が違うんだろう。
それから一週間後。
「私……本当にヤバいかも。」
とうとう私は、同じ場所でその女の子が小さな店へ入っていくのを確認した。
時間を少し空ける。
そして、その店のドアを――ほんの少しだけ覗くように開けた。




