第11話 復活の狼煙
研究室の空気は、さっきまでとは少し違っていた。
窓はエレクトロブラインドのおかげで白く曇り、外の景色はぼんやりとした光の塊になっている。静かな部屋の中で聞こえるのは空調の低い音と、机の上に置かれた解析端末が時折鳴らす電子音だけだった。
私はさっきまで着ていた試作品をそっと机へ置く。
ほんの数分前まで「絶対に外れない」と思っていた服が、今では何事もなかったようにそこへ横たわっている。
その姿を見るたび、胸の奥が少しざわついた。
やっぱり。
あの人は凄い。
タガルさんは椅子を引いて適当に腰掛けると、机の上に無造作に置かれた資料をぱらぱらと眺め始めた。興味があるのか無いのか、その表情だけではまるで分からない。
私は意を決したように資料を抱きかかえ、その向かいへ座る。
「……お願いがあります。」
タガルさんは資料から目を離さない。
「うん。その為に来たんだ。」
私は大きく息を吸った。
「私、この服を復活させたいんです。」
そう言って試作品へ手を伸ばす。
「昔はみんなが着けていた服なんです。」
タガルさんは資料を閉じる。
「半分は着けてないよ。」
「……。」
思わず笑ってしまう。
「そ、そうですね。」
少し照れながら咳払いをした。
「でも、それでもやっぱりVトップには無い魅力があると思うんです。」
研究者として何年も古い資料を読み漁ってきた。
性能だけなら負けている。
快適性も劣る。
生産性も悪い。
合理性なんて比べるまでもない。
それでも。
どうしても、この服だけが持っていた何かがある。
私はそれを知りたかった。
タガルさんは試作品を指先で軽く持ち上げ、裏返したり表に戻したりしながらしばらく黙っていた。
「つまり。」
私を見る。
「復活させろ、と。」
私は力強く頷いた。
「はい!」
少しだけ笑う。
「無理だな。」
「……えっ?なんで、」
あまりにも即答だった。
思わず聞き返してしまう。
「明手さんの言う通り、天下のウニクロス様が作れば売れるかもしれない。」
少し間を置く。
「でも、それと復活は別。」
私は黙る。
タガルさんは試作品を机へ戻した。
「まず。」
一本指を立てる。
「同じ機構のままだと、今の人には外せない。」
胸が少し痛む。
昨日までの自分が、その証明だった。
「うっ……。」
それでも諦めきれない。この人をもう少しここにとどまらせる為に社長のようにコーヒーを淹れながら反論を考える。
「そ、それなら簡単に外れる仕組みを考えれば……。」
タガルさんは首を横に振る。
「簡単に外れるなら、本来の役目を果たせないかもしれない。」
なるほど。
思わず俯く。
「……ごもっともです。」
「次。」
二本目の指。
「この服を反対している人達を納得させる必要がある。」
私は顔を上げた。
「えっ!?そんな人達まだいるんですか?」
タガルさんは少しだけ笑った。
「もう少し歴史を勉強した方がいいよ。」
「……努力します。」
返事をすると、自分でも少し情けなくなって笑ってしまう。
資料ばかり読んできたつもりだった。
でも読めていなかったものが、まだたくさんある。
タガルさんは最後に三本目の指を立てた。
「最後。」
私は自然と前のめりになる。
「安定性を保ちながら外せる物が出来たとして。」
「うん。」
「それを外す技術も使う人が会得したとして。」
「うんうん。」
タガルさんは少し言いづらそうに頭を掻いた。
「この服に、本当に向き合うべきなのは、着ている人だけかな?」
「えっ?」
私は首を傾げた。
けれど、その意味を理解するまで一秒も掛からなかった。
「あっ……。」
急に顔が熱くなる。
タガルさんも珍しく少し照れたように目を逸らした。
「じいちゃんがよく言ってた。」
少し間を置く。
「いざって時に外せない男は。」
肩をすくめる。
「その場で人生終わるぞ、って。」
私は思わず吹き出した。
「な、何ですかその迷言…。」
思わず差し出したコーヒーを溢しそうになるが、タガルさんの目の前に置くことができた。
「知らない。」
タガルさんも笑う。
「でも、じいちゃんは本気だった。」
その一言だけは、不思議と冗談に聞こえなかった。
私は机の上の試作品へ視線を落とす。
これは服じゃない。
これは技術なんだ。
誰かが長い時間を掛けて積み上げ、誰かの人生のたった一瞬のために磨き続けた技術。
静かな研究室で、その事実だけが胸の奥へゆっくりと沈んでいく。
タガルさんは椅子から立ち上がると、試作品を私の方へ軽く滑らせた。
「で。」
少し笑いまた座ってコーヒーカップに手をかけてくれた。
「ここまで聞いて。」
私を見る。
「それでも復活させたい?」
私は試作品を両手で抱きしめる。
答えは、最初から決まっていた。
「はい。」
即答する私。
その返事を聞いたタガルさんは、少しだけ嬉しそうに笑った。何も言わず、ようやくコーヒーカップへ手を伸ばす。
一口。
「……うまい。」
その一言だけだった。
私は少しだけ肩の力が抜けた。
さっきまで断られるかもしれないと思っていた相手が、まだここに座っている。
それだけで十分だった。
コーヒーから静かに立ち上る湯気が、白い研究室の中をゆっくりと漂っていく。
細く頼りないその一本の煙は、やがて天井へ向かって真っすぐに伸びていった。
まるで、百年以上の時を超え、誰にも気づかれないまま消えかけていた技術が、もう一度この世界に姿を現そうとしているかのように。
復活の狼煙は、静かに上がった。




