第12話 壁
「あの、私の部下でも上司でも無いので、なんでも好きな様に呼んでください!
部長って言われると何か私、教えてもらうのに偉そうな気がしちゃって。」
コーヒーの香りがまだ研究室に残っていた。
タガルさんは帰り際、「また来る。」とも「協力する。」とも言わなかった。
ただ、資料に数箇所訂正の様なヒントを書き加えて、
「うん。じゃ。」とだけ言って何かを考える様に上を見つめながら、耳の端末から私宛に連絡先を送信して部屋を出ていった。
きっと考え出したら止まらない系の探求者タイプなんだろう。
それなのに私は、不思議ともう一人じゃない気がしていた。
試作品を抱え、設計図を見直す。
外しやすい、でも簡単には外れない。安全で、美しく、そしてしなやかに。
何度も線を引き直す。
タガルさんのヒントの答えはまだ見えない。
それでも、前へ進んでいる実感だけはあった。
◇
数日後。
総務部コンプライアンス管理室。
増見ふえみは新商品企画一覧へ目を通していた。
日々何十件と提出される企画。
新素材。
新色。
海外向けモデル。
普段はあまり関係のないこの作業、ここまで上がってきた企画案だ、総務課が足を引っ張る理由はない。
増見は承認のデジタル印を軽快に押してページをめくっていく。
だが、一つだけ手が止まった。
『旧式胸部支持装衣 現代復元計画』
起案者。
明手 星。
静かな部屋に紙をめくる再現音だけが響く。
ページを追うごとに、増見の表情は少しずつ険しくなっていった。
旧資料と構造図、現代技術を用いた改良案それに市場分析。
そして最後に添えられた開発目的。
『失われた着脱技術の再構築』
増見は企画書を閉じ、小さく息を吐いた。
「……危ない。」
商品が危ないのではない。
この企画が世に出た時に起こる未来が危ない。
世界最大企業ウニクロス。
その看板が揺らげば、影響は世界中へ及ぶ。
売れるかどうかではない。
会社を守ること。
それが自分の仕事であり使命でもあった。
◇
社長室。
「珍しいね。」
社長は穏やかに笑う。
「君から来るなんて。」
増見は企画書の映る内容を耳にかけた通信端末から投写する。
「社長。この企画への承認サイン、本気ですか。」
「もちろん。」
返事は一秒も掛からなかった。
「私は反対です。」
部屋が静まり返る。
「商品としてではありません。社会的影響です。」
ページを開く。
「企業イメージ、株主、世界各国との契約、活動団体。
一つでも火が付けば、会社全体へ波及します。」
社長は最後まで黙って聞いていた。
増見は続ける。
「私の仕事は会社を守ることです。」
「だから止めます。」
社長は窓の外を眺め、苦笑いした。
「全部正しい。」
少し振り返ってあまり見せない真剣な眼差しに変わる。
「でもね。僕は若い力を爆発させるチャンスでもあると思えるんだ。」
増見は深く一礼した。
「そのお考えも理解しています。ですが、私は私の仕事をします。」
端末をタップし企画書を閉じ部屋を出ようとした時だった。
「一度でいいから。」
社長が思い出したように言う。
「協力者にも会ってみるといい。」
増見は振り返る。
「協力者ですか。」
「腕のいい鍵屋さんだよ、たまに古い機械を直しに来てもらってる。」
「うちに出入りしている方なら把握しております。お名前は?」
「葉寿司。」
その瞬間。
増見の動きが止まった。
「……ま、まさか。」
社長は少し驚く。
「知っているのかい。」
「ええ……。」
増見は小さく頷いた。
「祖母から名前だけは聞いたことがあります。」
「葉寿司 解さん。」
少し息を整える。
「別名 BHRトク。」
今度は社長が目を丸くした。その目はキラキラと光る子供のような目に見える。
「君の世代で知っているとは。」
「驚いたな。」
増見は苦笑いする。
「でも詳しいことは何も知りません。」
「祖母も、BHRが何だったのかだけは最後まで教えてくれませんでした。」
少し遠くを見る。
「ただ。」
「若い頃、一度だけお会いしたそうです。」
社長は静かに耳を傾ける。
「祖母はいつも言っていました。」
『あんなに人を笑顔にする人はいなかった。』
部屋が静かになる。
社長は嬉しそうに笑った。
「そうか。」
空を見上げる。
「解ちゃんらしい。」
忘れられたと思っていた親友を、まだ誰かが覚えていた。その事実だけで十分だった、そんな表情に見えた。
増見は一礼する。
「失礼しました。」
社長室を出ると、歩きなが廊下の外を眺める。
止めたい訳じゃない、私はただ、守りたいだけだ。
会社も、明手も、そして。
まだ会ったこともない、その鍵屋も。
廊下を歩きながら、小さく決意する。
「まずは、お話を伺いましょう。」
翌日。
商店街の外れの道路の角、
小さな鍵店のドアベルが、静かに鳴った。




