第19話「徴発」
輜重護衛、という任務をジュール・ド・レオニエがどう理解したかは、着任十日目の彼の言葉に尽きている。
「つまり、この街道沿いの全てが、我が旅団の管轄ということだな」
厳密には、護衛対象は荷駄であって街道ではない。ましてや街道沿いの村々の倉ではない。だが厳密さというものは、この中将の辞書では常に、都合の後ろに並んでいる。
幕舎の卓上には、彼の新しい帳面があった。壁で八百を失った男は、左遷先で、新しい得点の数え方を見つけたのである。
村の名。倉の数。家畜の頭数。収穫予定量。
帳面の頁は、几帳面に埋まっていた。悪の才能がないわけではないのだ。方角が、決定的に間違っているだけで。
卓の隅には、帝都からの返書がある。父からの、である。「其の方の積極果敢、嘉すべし」——それだけだった。呼び戻しの一行は、ない。
「褒めるなら、呼び戻せ」
ジュールは、誰もいない方角へ吐き捨てた。この泥だらけの街道から、荷車の埃から、輜重という屈辱から。だが父は褒めるだけで、扉は開けない。ならば扉は、自分でこじ開けるしかない。帝都の扉というものは、昔から、贈り物を抱えた者の前でだけ、滑らかに開くのである。
総司令部への定期報告は、抜かりなく整えてあった。曰く——「巡回、異常なし」。
嘘は書いていない。巡回は、実際、異常なく行われている。巡回の中身を書く欄が、書式にないだけである。書式の穴を見つける速さにかけて、この男の右に出る者は、帝国広しといえども、そういない。
「巡回を強化する」
ジュールは、宰相派の将校たちに宣言した。
「補給線の安全のためには、沿道の『不穏分子』を予防的に取り締まる必要がある。物資の隠匿は敵性行為である。隠匿された物資は——摘発し、徴発する」
隠匿、という言葉の定義は示されなかった。示されない定義ほど、便利な定義はないのである。納屋に麦があれば隠匿であり、地下室に芋があれば隠匿であり、要するに、村に食い物があること自体が、隠匿なのだった。
「徴発票は発行する。書式は整えよ」
紙の上では、何も間違っていない。
この男は、その一点だけは、天才的に学習していた。
◇
スロテン村——街道から半里入った、水車小屋のある村である。
その朝、村に来たのは、荷駄の護衛のはずの兵、二百だった。
最初は、いつもの徴発だと村人は思った。井戸を数え、麦を帳面につけていった、あの几帳面な兵たちと同じだと。だから村長は、いつもの通り、納屋の鍵を開けて立ち会おうとした。
違ったのは、兵たちが数を数えなかったことである。
「せめて、数を」
と、村長は徴発票の書式を指して食い下がった。数さえ書いてあれば、いつか、どこかに、訴え出る先があるかもしれない。読み書きのできる男の、それが最後の頼みだった。
兵は、面倒くさそうに書式の一行を叩いた。
「『相当量』と書いてある」
数えず、運んだ。麦袋を、芋の籠を、塩の壺を、荷車ごと。鶏は籠のまま、豚は追い立てて、乳牛は綱を切って曳いていく。水車小屋の粉挽きが「せめて種籾は」と縋りつき、銃床で殴り倒された。
徴発票は、確かに発行された。
村長の手に押し付けられたそれには、几帳面な書式で、こう書かれていた。品目、雑穀ほか。数量、相当量。対価、帝国の保護。
——対価、帝国の保護。
村長は、その紙を持ったまま、長いこと立っていた。読み書きのできる男だった。だからこそ、その紙が何であるかが、正確に分かった。これは徴発票の書式をした、ただの領収書である。お前たちの一年を受け取った、という。
火種は、昼前に落ちた。
銃床で殴り倒された粉挽きに、兵の一人が唾を吐き、ついでに、駆け寄った粉挽きの娘の腕を掴んだのである。
娘の兄が、殻竿を握った。
それからのことは、速かった。殻竿が兵の頭を打ち、若い衆が続き、銃が鳴り、鋤と銃剣が絡み——兵が一人、死んだ。村の若い衆は、三人死んだ。
乱闘としては、それで終わりだった。
終わらせなかったのは、報せを受けて乗り込んできた、中将閣下その人である。
「反乱である」
ジュールは、馬上から村を見渡して、そう宣告した。壁に八百人を捨てた男の目に、殻竿の村は、ようやく手の届く高さの敵に見えたのだった。
「案ずるな、私は文明人だ。鏖にせよ、とは言わん。——選別せよ」
選別、は行われた。
働ける男は、鎖で繋がれて南へ。モルゲンロートの城塞普請には、いくらでも人手が要る。女と子供は、荷馬車に積まれて奴隷商へ。帝国の南部荘園は、常に買い手である。老いた者、傷ついた者、そして殻竿を握った側の者は——その場で、処断された。
村長は、最後まで徴発票を握っていたという。処断の列の中で、である。紙は、持ち主と一緒に燃えた。対価、帝国の保護——その文言ごと。
あの納屋の前の女と、鶏を訊いた幼子は、六台目の荷馬車に積まれた。母親は最後まで、子の耳を両手で塞いでいた。見せてはならないものではなく、聞かせてはならないものが、村には満ちていたからである。
日が傾く頃、スロテン村に火が掛けられた。
納屋一棟ではない。村、そのものに。
水車小屋の水輪が、燃えながらしばらく回り続け、やがて軸ごと崩れ落ちた。
死者ゼロ、焼失一棟——朝の時点なら、そういう一日になるはずだった。夕刻の帳簿には、もう書ける数字がなかった。正確に言えば、数えた者が、帝国側には一人もいなかった。
数字にならないどころではない。数字にすら、してもらえないものの帳簿は——誰が付けてくれるのだろう。
◇
その夜、ジュールの幕舎では、細やかな宴が張られた。
スロテンの鶏が焼かれ、スロテンの酒が開けられ、宰相派の将校たちが杯を重ねた。
「閣下、次は東のヴェルメルンで?」
「慌てるな。まず胃袋から忠義だ」
ジュールは上機嫌だった。奪った物資の目録は、彼の帳面の中で、忠誠心の配当表に変わっていく。第七軍団の主計将校に豚を二頭。第九軍団の副官に酒を一樽。帝都の然るべき筋には、南方の「珍しい織物」を一箱——中身が織物である必要は、特にない。
そして帳面の新しい頁には、新しい品目が加わっていた。
労働力、四十二名。モルゲンロート普請方へ引き渡し済み。奴隷商前金、受領済み——女子供、頭数にて。
人間が、頭数で頁に載る。この帳面のどこを探しても、スロテンという村の名は、もう出てこない。品目に変わったものに、名前は要らないからである。
壁は破れなかったが、この算術なら破れる。父の子である。金で人を縛る才能だけは、正しく相続していた。
宴の隅に、一人だけ、鶏に手を付けない若い士官がいた。
杯を舐めるだけ舐めて、目を伏せていた男は、労働力四十二名、の読み上げのところで立ち上がり、幕舎の外へ出て、戻ってこなかった。誰も気に留めなかった。吐きに行った者を数える習慣は、この宴には、なかったのである。
名は、まだ誰も知らない。知られる日が、いずれ来るとしても。
ただし父は、奪わずに縛る。息子は、奪ってからしか縛れない。
その差が、家門の格の差であることには、息子は生涯気づかないのである。
◇
同じ日の夕刻。
スロテン村を見下ろす丘の道に、幌馬車が四台、止まっていた。
幌には、どこにでもある穀物商の屋号が描かれている。御者台の男は、日焼けした顔の、どこにでもいる買付人に見えた。実際、彼の身分証はどこから調べても本物の買付人である。給金の出所が、名前を三度変えてアードラズベルクに届くというだけで。
男は、燃えるスロテン村を、丘の上から見ていた。
煙の数を数えるのは、この商売の癖である。一筋なら納屋。三筋なら通り。十を超えれば、村そのもの。
今日の煙は——数えるのを、途中でやめた。
街道を、二つの列が南へ下っていくのが見えた。鎖で繋がれた男たちの列が、およそ四十。幌を掛けた荷馬車が、六台。男は帳面に、それも書き取った。数字にすらしてもらえない者たちを、誰かが数えておかなければならないからである。せめて、こちら側の帳簿には、載せておかなければ。
灰の中に、水の一杯も供えに入りたかった。だが、それはできない。名前を三度変えた給金で生きる者は、名前のいらない場面にしか、立ってはならないのである。それが網の掟だった。
男は馬車の上から、懐の帳面を開いた。
頁には、村の名前が並んでいる。ヴェルメルン。オルツハイム。ケステル渡し。グラウの丘。——どの名前の横にも、小さな印がある。買付、済。雇用、済。
手口は、どの村でも同じだった。麦は青田のうちに証文で買う。人は「北の収穫場の高賃金」で雇い上げ、家族ごと移す。家畜は預り証と引き換えに、隊商が「輸送中」にする。すべて商いの顔をして、すべて合法で——倉と村を、略奪者が来る前に、空にしておく。
奪われる前に、買う。それがあの街の、戦い方だった。
一番上の、スロテン村。
そこにだけ、印がなかった。
男は鉛筆を舐め、村の名の横に、短く書き込んだ。
——一日、遅かった。
書き終えると、男は馬に鞭を入れた。四台の幌馬車は、次の村へ向かって、夕闇の街道を東へ転がっていく。
積み荷は、空である。
帰りには、満載になっている予定だった。——略奪者より、先に着けさえすれば。




