6 あたしの中の黒い声
玄関前で鍵を探していると、勢いよく扉が開いてママが部屋から飛び出してきた。
「かなえ。どしたの、早かったね」
ダッフルコートの上から保護者カードをかけている。幼稚園に弟をむかえに行くのだ。
「っていうか手ぶら? 冷蔵庫開けといたのに」
「材料は由美ちゃんが持って帰った。どうせあっちの家で作るからって。ところでママ、前髪上げたまま行くの?」
指摘されたママはあとずさり、玄関の鏡を見てハデな色のヘアクリップが差してあるのを確認する。
「ぎゃー、危なかったわ。さっきまでミシンしてたからじゃまで留めたの忘れてた」
クリップを外すと素直に前髪がおりてくる。あたしとちがってママと弟はストレートヘアだ。
くせがない髪っていいな。うらやましい。
「そういうわけでダイニングは散らかってるから、おやつはテレビの前で食べて。ドーナツが冷蔵庫にあるから。ちゃんと皿に出してね」
「わかった。いってらっしゃい」
ママは、あたしの声に応えるように顔の前で子ども乗せ自転車の鍵を振って出て行った。
もうすぐ園のおゆうぎ会か。あたしが杏たちとともに通った園には、今は弟が行っている。
ここでは毎年、クラスごとにおとぎ話の劇をやるのだ。当時はそれが普通だと思っていたから何とも感じていなかったけど、うちの園のおゆうぎ会はものすごく豪華らしい。
小学校で新しくできた友達にドレスを着たあたし達の写真を見せて「ママが作ったんだよ」と言うと、ひどく羨ましがられたものだ。
うちの園では、母親が子どもの体型に合わせて型紙を取って衣装を作ることになっている。
不器用を自認しているママは、この時期型紙を手に半泣き状態だったらしい。
特に私は幼い頃から背が高くて、他の子とは大きさが違ったから余計だ。
たった一度しか着る機会のない衣装だけれど、わが子のステージがかかっているとなれば手をぬくわけにはいかない。寝る間も惜しんで必死だったわよ、とママは言った。
テーブルの上に置かれたまち針のささったキラキラ衣装に目を落とす。
ママの腕が上がったのか、お遊戯会の後は写真館で貸し衣装にしてもらえばいいんじゃないかってくらい、きれいに仕立てられている。
これ着た弟が得意げにみんなに見せて回る姿が眼に浮かぶ。
十年前、あたしもママの作ったドレスを着てステージに上がった。
でき上がるまでうんざりするほど試着させられたのをうっすら覚えてる。
あのころは他の子も同じようにしてもらっているし、やってもらって当然だと思っていた。
ありがたいとなんて思わなかった。
むしろ、ちょっとでも形がちがうと半泣きになって文句をつけていたっけ。
「お姫様なんていまだけよ。いつかはかなえも作ってあげる側になるんだからね」
あたしがあまりに偉そうだったからだろう。お遊戯会を見にきてくれたおばあちゃんにそう釘を刺されたのを覚えている。
ママは「かなえの晴れ舞台なのに、そんなこと言わないでよ」って怒ってくれたっけ。
家庭科でミシンを使ってみてその大変さを知った時、おばあちゃんの言葉を思い出した。
もしもママになったら、あたしもママがしてきたことを当たり前に求められるのかと想像し、とんでもないなって感じるようになった。できっこない。
でもやっぱりステージに上がる子どものことを考えたら、やるしかないって思うんだろうな。どの親もやってるんだしって。
バレンタインと同じだ。みんなそうだしって思って差し出す。差し出すことを求められる。
愛してたら、どんな苦労もなんとも思わないでできちゃうものなのかな。
ママは嫌じゃなかったのかな。試されているみたいって思わないのかな。
「変なこと思い出しちゃった」
暗い気持ちになりたくなくて、わざと口に出して頬をたたいた。
ドーナツを皿にのせテレビの前のローテーブルに運ぶ。
テレビ台の上に飾られた、小さなお姫様になって頬に手を当ておとめなポーズを決めている、おゆうぎ会の写真の私と目が合う。
あのころは良かったな。「かわいい?」なんて何度も確認しながらポーズをとって、なんの抵抗もなかった。
親におだてられるがまま、あたしはかわいいって信じてた。どこのだれよりも、一番。
あたしはわが家のお姫様だったのだ。なのに、今はそう思えない。
ふと、由美子のタンポポ色のシフォンスカートが頭に浮かんだ。
凛花がまとっていた上品な桃色のマドラスチェックのロングスカート。
それから杏のハードなデニムのタイトスカートと、ロングブーツ。
花のような女の子たちをいろどるために生まれた、かわいい衣装。
見下ろすあたしの服は、ダボダボのパーカーにみっともないくらいひざの布地がうすくなったブラックデニムのジーンズ。ひどいコーディネートだ。
女の子なのにって親もがっかりしている。
あんなにかわいいものが好きだったのに、どうしてそんな作業着みたいな服ばっかりえらぶようになったのかしらって。
ダメだ、そんなこと考えちゃいけない。
——もしかして、自分のことかわいいって思ってる? ——
頭の中でひびく声に首をふった。からかうようなふくみ笑いが浮かんで、それだけで心が凍る。
あたしはもう二度とおしゃれなんかしない。かわいくなろうだなんて望まない。
——かんちがいしないほうがいいよ。イタイから——
かつて向けられた心ない言葉がグルグル回り、頭をかかえる。
わかってる、わかってる、わかってるから、もうやめて。
いつまでも引きずってバカみたいだって思うのに、いや、思うほどに声はどんどん大きくなった。




