12 ゴリラ女とメデューサ
思い返せば四年生のあの日、私は泣けなかった。
何事もないような顔をして家に帰って、翌朝もふつうに学校行って、いつもどおりの一日を過ごした。
いや、それだけじゃない。もっと、いつも以上にがさつに、強くふるまったんだ。
まるで、彼らが思いえがいているゴリラ女を映し出すように。
それから、嫌がることをわかってて百瀬のことを、ももちゃんと呼ぶようになった。
声を、しゃべり方を、体型を、運動のできないことをからかった。
あの時のみじめな私を消し去りたくて。
助けてくれたのに、本当にバカだ。
ぎゅっとかみしめていた唇をゆるめる。
「あたしさ、百瀬に…………あっ。ちょっと、まって」
涙をこらえようとしたせいでうんと鼻声になった。急に鼻がたれそうになってあわてて押さえる。
早合点した凛花がローテーブルにドンと手をついた。
「えっ、ももちゃん? まさか、あのももちゃんがかなえに女装なんて言ってきたわけ? アイツ……信じらんない。私も男子にはさんざん言われてきたけどさあ。まな板とか、まな板とか、まな板とか!」
大きな布リボンが胸元をかざっていて目につかないが、凛花の胸は今も少年のようにストンとしていた。あたしの体型をやたら羨ましがるのもそのせいだろう。
顔を涙でいっぱいにしていた杏も、鼻をすすり上げながら、太ももにくいこんだニーハイソックスに目を落とす。
「そうだよ。すれ違いざまに足太っとかさ。笑って流してるけど地味にグサーって来る」
「待って、違くて……」
由美子が手渡してくれたティッシュでようやく鼻をかんだあたしが、誤解を解こうと口を開くも、もり上がった二人は止まらない。
「くるー。アイツらやめてって言っても聞いてくれないよね。冗談だろ、女のヒス怖って、こっちが空気読めてないみたいに言ってくんの」
「言われた相手が笑えない冗談なんて、ありえないよねー」
凛花の怒りに杏がうなずくと、由美子は感心したように、はーっと息をついた。
「みんな似たような経験してるんだね」
「ウソだ。由美子にそんな冗談言うヤツいないよ」
由美子の言葉に凛花が大きな声を出す。あたしも想像できない。
「そういう直接的なのはないけど……」
「でしょ。なんか由美子には言いづらい。かなえはイジりやすいけど」
「は? なんでよ」
「なーんか、言いやすい」
凛花はまるでほめ言葉であるかのような顔をしてくるけど、由美子にはやっちゃいけないと思うことをあたしには平気でやれる、そう言われてカチンとこないわけがない。
「確かに、あんたたちはあたしがなにを言ってもヤメてくれないよね。 自分は冗談だろって流されるの、イヤなくせに」
「うっ……」
凛花の表情が固まる。それを見て、杏がおずおずと手を上げた。
「……ごめん。私もかなえは本気でイヤがってるわけじゃないと思ってた」
イジったりからんだりするのは、する側は親しみの表現だって言うし、周りにも仲がいいかのように見えてるかもだけど、ちがうよ。
許してくれるだろう。受け止めてくれるだろう。
もっと言えば、多少相手が怒ったところでどうとでもなるだろうと、タカをくくられているんだ。
だから、そんなに怒らなくてもなんて責めることもできる。
それくらい別にいいじゃん、冗談だろ? なんて言える。
とはいえ、あたしも同じだ。
上級生にはなにも言えなかったくせに、百瀬をさんざんいじってきたんだから。
百瀬も、本当はしんどかったりするだろうか。気にしてないように見えるけど、平気なわけないよね。
「……ゴリラ女」
「えっ?」
「ゴリラ女って言われたの。あたし。四年生の時に上級生たちから」
三人の視線が集まる。
あのときの上級生も軽い気持ちだったのかな。
あたしならいいだろうって思ったのかな。
でもその軽い気持ちのせいで、あたしは自分らしさを失って、何年も苦しんだんだ。
「かな……」
口を開いた凛花を遮る。
「待って。絶対、そんなことくらいでって言わないで」
「言わないよ。言うわけない。そいつらほんと見る目なさすぎ。幼稚園の頃からずっと、かなえは私の憧れなのに」
「なに。ボンキュッボンだから?」
「そんな園児がいるか! かなえは相手が男子でも大人にだって負けないし。お遊戯会でも堂々としてた。私、今でも覚えてる。パパのこと怒ってくれたの」
お遊戯会の日のことはよく覚えている。
あたしのパパが撮ってくれたドレス姿の四人の写真は、由美子の家のテレビ台の上にも飾ってある。うちのと同じものだ。
「私はメデューサ。ステージに向かう列にいた私を見た時のパパの感想。覚えてない? ヘビの髪の毛を持つギリシャ神話の怪物メデューサそっくりだってみんなの前で。緊張して石みたいに固まってるのを面白がってさ」
覚えている。あの時、あたしは凛花が泣くんじゃないかと身構えた。
けれど反論もせず笑っていたのだ。
凛花のパパは「メデューサが石になってどうすんだ」ってはっぱをかけ、一緒にいた凛花のママも「パパも励ましてくれてるんだから頑張らなきゃね」ってニコニコしているだけで、なにもとがめなかった。
信じられなかった。あたしは我が家のお姫様だったから。四年生のあの日まで、ずっと。
「怪物って言わないで」
笑って流されて、最後は怒鳴っていた。「りんちゃんのこと怪物って言わないで!」って。
あの頃すでに小学生だった凛花の兄が、何もわかっていないよその子をあやすように返したことも覚えている。
「いいんだよ。こんなのただのノリだから。凛花も笑ってるだろ?」
凛花が何事もないような顔をするほかなかったのが、今のあたしにはよくわかった。
あたしは四年生のあの日から、自分がうんとみにくく汚いものになったような気がしていた。
知られてしまったらこれまでの魔法が解けて、みんなにも本当のみにくさがわかってしまうんだって、ずっと怖かった。
だけどちがった。
あのことが起きる以前と、ほんとはなにも変わってなかった。
ひどい魔法にとらわれていたのは、あたしのほうだったんだ。




