第二話「奇妙な依頼が来ました」
その男が店に現れたのは、雨が降り始めた夕方だった。
扉が開いて、レナータは顔を上げた。瞬間、店内の温度が下がった気がした。
長身。濃い灰色の旅装。短く整えられた黒髪。瞳の色は深い青。雨に濡れた肩を払いもせず、男はまっすぐ机の前まで歩いてきた。
貴族だ、とレナータは直感した。それも町に降りるような身分ではない。
「ここが代筆屋ローズで間違いないか」
「……はい。ご依頼ですか」
「奇妙な依頼かもしれない」と男は言った。「ある手紙の書き手を探している。その人物を見つけるための手紙を書いてほしい」
レナータは一拍おいた。
「……書き手を、探している?」
「半年前、知人を通して一通の手紙を読んだ。書き手の名前は分からない。だが、その文章に心を打たれた。書き手に直接会いたい」
「会って、何をなさるおつもりですか」
「礼を言いたい」と男は言った。「それと、一つ確かめたいことがある」
レナータは少しの間、男を観察した。視線が真っ直ぐで、嘘の気配がない。依頼書の様式にも、店の調度にも、一瞥もくれない。本気で誰かを探している。
「お受けする前に、お聞きしたいことがあります」
「どうぞ」
「あなたのお名前を」
「マクシミリアン・フォン・アドラー」
レナータの息が、一瞬止まった。アドラー辺境伯。北方を治める大貴族の若き当主。社交界には滅多に出ないが、その名は嫌でも耳に入る。
「……辺境伯様が、なぜ町の代筆屋に」
「町に来た理由は二つある」とマクシミリアンは言った。「一つは、この町が代筆屋の評判が高いと聞いたから。もう一つは、その手紙の差出人がこの町から来たと、知人から聞いたから」
「差出人と、書き手は別人ということですか」
「おそらく代筆だろう。差出人本人にあんな文を書ける人間ではない」
レナータは内心でぎくりとした。
——代筆だと、見抜かれている。
この男は、どこまで知って私の店に来たのだろう。
「お受けします」とレナータは言った。声がわずかに震えた。「ただし、書き手が見つかる保証はできません」
「それで構わない」と男は言った。「報酬は通常の三倍出す」
「……三倍」
「妥当だと思うが」
レナータは即座に頷いた。家計が三倍助かる。妹の冬服が買える。
——商売人として、これは断れない。
「お引き受けいたします」
マクシミリアンは少しだけ口元を緩めた。それは笑顔と呼ぶには控えめすぎる表情だった。
扉が閉まった後、レナータはしばらく動けなかった。
店の机の上に、依頼書が置かれている。「書き手を探すための手紙」。
——書き手を探す手紙を、書き手自身が書く。
その奇妙な符合に気づいたとき、レナータの胸に、覚えのない波紋が立った。




