第一話「町外れの代筆屋です」
レナータ・フォン・ローゼンベルクの一日は、夜明けと共に始まる。
馬車を出す金もないので、貴族街の屋敷から町外れの裏通りまで、毎朝四十分歩く。石畳に響く自分の足音を数えながら、夜明けの冷えた空気を吸い込む。地味な町娘の格好に着替え、髪を一本に結い、看板のない小さな店の鍵を開ける。
代筆屋・ローズ。看板はない。客は口コミだけで来る。
店主であるレナータは、ローゼンベルク伯爵家の長女。二十二歳。正体は誰にも知られていない。家族にすら——いや、妹だけは知っている。
「お姉様、今日もご無事で」
夜遅く屋敷に戻ると、十六歳の妹・ミラが寝間着姿で待っている。
「ええ、今日も三件こなしたわ」
「お姉様の代筆、また町で評判になっているそうですよ」
「困るわね、目立つのは」
「あ、今日は久しぶりに白いパンが買えました」
ミラが少し誇らしげに付け加える。
ローゼンベルク家は三年前、両親が事故で他界して以来、急速に傾いた。爵位は遠縁の従兄が一時的に管理しているが、家にはほとんど何も入ってこない。屋敷を売る話も出たが、レナータは断固として拒否した。
代わりに、両親が遺した手紙の山を読み返した。
父と母は手紙の名手だった。婚約期間中の二年間で交わした書簡は、レナータが数えただけで四百通近い。十代のレナータはそれを全て読んで育った。言葉のリズム、感情の運び方、相手を思いやる文字の置き方。いつのまにか、レナータは書ける人間になっていた。
町の代筆屋を始めたのは、生活のためだった。最初は誰にも知られないようにと思ったが、二ヶ月もすると客が絶えなくなった。
今日も依頼が三件入っている。一件目は、商家の三男坊からの恋文。二件目は、職人の親方が娘の結婚祝いに送る手紙。三件目は、未亡人が亡き夫の墓前に供える詩。
レナータはペンを持ち、依頼主の話に耳を傾ける。
「彼女のね、笑い方が好きなんだ。でも俺は不器用で、上手く言えなくて」
商家の三男坊が、頭を掻きながら言う。レナータは小さく頷きながら、メモを取る。
「彼女が笑うとき、特に印象的なのはどんな場面ですか」
「市場で果物を見ているとき。一個一個触って、どれにしようか迷ってる姿が、なんていうか——その、可愛くて」
レナータは内心で思った。
——ああ、これは書ける。
ペンが走り出す。市場の果物を選ぶ少女、迷いながら笑う横顔、それを遠くから見ている青年の心。レナータは自分が書いたことのない景色を、手紙の中に立ち上げる。
二時間後、青年は涙ぐみながら手紙を受け取って帰っていった。
レナータは机に伏せた。毎回これだ。他人の恋愛に、本気で泣いてしまう。自分の恋愛は経験ゼロだが、他人の恋愛には毎日感動している。
不思議な仕事だ、と思う。




