第十一話「彼は気づいていました」
【マクシミリアン視点】
半年前の冬。私はその手紙を、暖炉の前で何度も読み返していた。
北方の館は雪に閉ざされ、薪の爆ぜる音だけが広間を満たしていた。届いたのは、とある令嬢からの婚約申し込み。家格と血筋を並べただけの、よくある政略の文——のはずだった。
だが、その一通は違った。
市場の角で林檎を一つずつ確かめる男の話から始まっていた。相手の人柄を問いで包み、答えを急かさず、静かに閉じる。「好き」とも「会いたい」とも、どこにも書いていない。なのに、行間が温かかった。
長く政務に追われ、人の感情に触れることを忘れていた私の手の中で、その紙だけが妙に重かった。
読み終えて、気づいた。この文を書いた手は、差出人の令嬢のものではない。
代筆だ。
婚約は断った。釣り合いの取れぬ家に義理立てする理由はなく、そもそも私が惹かれたのは差出人ではなかった。会いたかったのは、この温度を持つ手の主だ。
王都の外れに、腕の良い代筆屋がいるという。「ローズ」とだけ名乗る、噂の店。
扉を開けた最初の日に、私は確信した。
店の奥で、彼女は商家の若者の恋文を清書していた。羽根ペンを握る指先が、紙の上に一定の律動を刻む。半年前に読んだあの手紙と、同じ呼吸だった。間違えようがない。
依頼を聞くときの彼女は、職人の顔をしていた。私の話を遮らず、三秒数えるような間を置いてから、要点だけを短く返す。町娘の身なりに似合わぬ、妙に整った所作だった。
そして——若者の恋文の一節を読み上げたとき、その瞳がわずかに潤んだ。
他人の恋に、本気で泣く女だった。
書き手は彼女だ。問い詰めれば、五分もかからぬ話だった。
だが、私はしなかった。
確かめたいのは、誰が書いたかではない。あの手紙にあった温度を、書き手自身が本当に持っているのか。それだけだ。借り物の言葉なら、いずれ尽きる。だが、もし彼女自身の中から湧くものなら——その答えは、彼女の口から聞きたかった。
だから私は、毎日この店に通うことにした。
茶を頼み、本を開き、何をするでもなく時間を過ごす。彼女が「お暇ではないのですか」と尋ねるたび、私は短く返す。
「退屈ではない」
嘘ではなかった。
羽根ペンを走らせる彼女の横顔を眺めているだけで、館の長い冬が遠く思えた。紙をめくる指先の音。インク壺に羽根を浸す微かな音。それらをいつのまにか数えている自分に、私は気づかないふりをしていた。
通い始めて七日目だったか。彼女は何も言わず、私の前にもう一杯、茶を置いた。
「……お代は、結構です」
目を合わせずにそう言って、すぐに自分の机へ戻っていく。その背を見送りながら、口元が緩むのを抑えられなかった。
借り物の温度では、こうはならない。
彼女はまだ、自分が書き手だと認めていない。
構わない。待つのは得意だ。
ただ——今日の彼女の指は、いつもより少しだけ震えていた。
気づき始めているのかもしれない。私のことか。それとも、自分の気持ちの方か。
暖炉の——いや、店の竈の炭が、ひとつ小さく爆ぜた。




