第9話 見捨てられたホムンクルス
イーディスの手の中で、日差しを反射した宝石がきらりと輝いていた。
『お誕生日おめでとう、イーディス』
白い石で錬成された、赤い宝石のしつらえてある銀色の髪飾り。人から貰った初めての誕生日のお祝い。これを見るたびに、イーディスは自分とミラのことを考えた。
物心ついたとき、イーディスは両親も血縁者もこの世に存在すらしないのだと知った。死別でも、捨てられたのでもない、元からだ。生まれつき、家族なんてものとは縁がなかった。唯一絆と呼べるような繋がりがあるのだとすれば、それは、コピーに対してのオリジナル。イーディスというホムンクルスを錬成するために基となった細胞の持ち主。
ミラクリス・ディアナ・フラメリア。アルケミアの国、グリムの執政フラメリア家の次期当主にして、一千のアルケミストの長。ふさわしい才覚と、特別な素質の持ち主であり、灰にまみれたイーディスとは、親子でありあるいは姉妹であり、または同一人物でもある。
光と影のような両者はとても家族と呼べるような間柄ではなく、まさしく当主と下女のような関係だった。いや、周囲の人間がそのように扱っていただけで、実際、ミラクリスは、……ミラは、妹だとしきりに口にしていて、だから、姉さま、と。
そう悪くない関係だった。嫌いではなかった。努めを果たそうとする姿を見て、尊敬すらしていた。命あるものは誰だって自分の人生を生きる権利があると、あの人に教えられた。だから目指した。その背中を追いかけて、いつかは超えられるように、褒めてもらえるようにと、努力した。ふさわしい妹になれるように、イーディスはイーディスになるために。
けれどもあるいは幸福だったかもしれない日々は、あっさりと終りを迎える。人口一万人の小国であるグリムは、事実上の宗主国である北の帝国に攻め込まれ、滅ぼされてしまう。その理由はアルケミアへの危機感だったというが、真相はもはや闇の中だ。
ふと、イーディスは思い出す。演習という名目で、敵が国境沿いに戦力を集結していたときのことだ。混乱するフラメリアの屋敷内で、唯一その人だけが落ち着いていた。
ミラは協議会にも参加せず、侍女であるイグネアを連れて、庭園でお茶を飲んでいた。
『私に発言権はないの。お飾りは茶でも飲んでくつろいでいろ、だそうよ。不思議なものね、主だと祭り上げられて、実態は人形とも変わらないだなんて』
『じゃあ、それじゃあ姉さまは戦わないんですか! みんなを見殺しにするつもりなんですか!? 知ってますよ、姉さまには切り札があるって、あの新型泥人形を使えば――』
『そんなものは存在しない。仮にしていたとしても、私には扱いきれない。どこで聞いたのかは知らないけれど、今すぐ忘れなさい』
ミラは後ろめたいことを隠すように、話を変えた。
『まだ戦争になると決まったわけでもない。それに戦ったところで勝ち目は薄い。私は平和的解決を模索するべきだと思っているの。さらなる技術供与を求めるなら応じたっていい。秘匿主義を貫いて国が滅びる前に』
『そういうのは平和主義じゃない、日和見主義だって』
『周りの大人が言っていたのね』
ミラはいつも理屈を口にした。感情を隠して、理性的な手段こそが解決策なのだとイーディスに伝えようとしていた。それはあるときは尊敬に、あるときは失望にもなった。
『心配しなくていい。きっと私の望みは叶わない。象徴だけが逃がされ、グリムの神秘は未来永劫秘匿されることになる。それが我々の在り方なのだから』
そう言って、ミラは優雅に茶をすすった。
イーディスはミラを信じていた。口ではなんと言おうとも、勤めを果たすのだと思っていた。
瓦礫の山を抜け出すときも、実験動物として連行されているときも、処分されそうになったときも、必ず来てくれると信じて疑わなかった。イーディスは、鉄格子から空を見上げて、いつか抱きしめてくれるのを夢に見ていた。
脱水と飢餓に苦しんでいたその頃にはもう、ミラはこのクロムウェルという街に身を寄せていた。
それを知って、敵陣から逃げ出したイーディスはひたすらに歩いた。
裸足で国境を超え、豆が潰れて血だらけになっても、氷点下の山で感覚を失っても、歩いて、歩き続けた。何日間水を浴びなかっただろう。体重はどれだけ減ったのだろう。たまに人里に寄っても、薄汚いイーディスなんてまるでいないみたいに扱われて、歩き続ける以外に道はなかった。
この街に入ってからも、同じようなものだった。路上で眠り、生ゴミを食べて暮らし、ひたすらにミラの情報を集めた。一年以上が経って、ようやくあの孤児院へと辿り着いた。
ミラは、暖かい部屋でパンをかじり、スープをすすっていた。真理の探求などそっちのけで、拾ってきた子供に勉強を教えていた。笑っていた。喜んでいた。
死を忘れて。
大義を忘れて。
使命を忘れて、自分が何者かであるかも忘れて。
「姉さま……いてっ」
痛みを感じて手元を見ると、握りしめた銀色の髪飾りの角が手に食い込んでいた。軽く息を吐いて顔を上げた。
「姉さまってば、あんな子猫まで助けたみたい。いくら怪我してるからって……無駄なことばっかりするんだ」
後ろの『ねえさま』に声をかけたが、返事はない。半ば独り言のようなものだ。
傍らに立つ小規模な製鉄所の煙突から、黒い煙が上っている。川幅の狭い支流で、泳いで渡れそうな対岸にはあばら家が立ち並び、朽ちかけの小舟がいくつも係留されている。
河川敷で四人の子供が遊んでいる。アラン、ヤン、ナタリー、ロリーナという名でイーディスの監視対象だった。川を挟んだこちらには気づいている様子もない。
「知ってるでしょ。猫だけじゃない。ヘレンにレイフに、それとあのナタリー。あの子達だって、フラメリアともグリムともなんの関係もない。ただの気まぐれなんだよ」




