第8話 生きていた妹
腰を低くして、飛びかかる算段をつけた。押し倒しちまえばこっちのもんだ。
睨み合う。間合いを測る。出方ひとつで冗談じゃ済ませない。
滴る汗が顎から落ちる頃、ミラの口から吐息が漏れた。
「残念だけどあの子達の家を血で汚すわけにはいかないの」
「残念なのかよてめえ」
「掃除をするのも面倒だし、いいわ、ある程度のことは話してあげる」
視線を外して、ミラはつぶやいた。
「……どうせ、もう隠すことでもないのよ」
「離れていなさい」と言ってミラはベンバドルを遠ざけた。
ミラは左手を顔の前に掲げた。すると、どろり、と手が溶けた。銀色の輝きを放つ、てらてらした、液体のような固体のような、形が一定しない物質に変化した。
「人体と金属鉱物の融合、全なる一を探求する過程で見出された神秘。力を操るもの、探求するもの、錬金術によって世の理に至らんとする我々は我々を錬金術師と呼ぶ。あの呪いは無関係なものでなく、我々の体系に属するものなのよ」
「アルケミスト……?」
聞き覚えがある。そうだ、たしかあのガキ。
――アルケミストには関わらないほうがいい。
いつか聞いた言葉が、鮮明に蘇る。
偶然、そんなはずがない。きっとあの孤児は、あのガキはなにかを知っていた。ミラと、さらにはアルケミアとかいう力について、なにかを。
ミラの左手は、いつの間にか元の肌の色に戻っていた。
「アルケミアは門外不出の秘術。行使するもの、つまり術師は、この国にはいないはずだった。けれどあの呪いは、アルケミアの系譜にある文字の錬金術という術によるものに間違いない。私の左腕も呪いも根源は同じ。なぜ詳しいのか、つまりそういうことよ」
ミラは独り言を呟くみたいに口を動かす。
「なぜあの悪夢がアルケミアを使うのか、解明は課題ではある、けれど、本質を見誤ってはいけない。今、成すべきは呪いの解除。考察や検証は後でいい。私達は、ただやるべきことをやるべきなのよ」
「アルケミストには関わるな――だ」
「そうね、本来それが賢明よ。こんなものに関わって、幸福になる人間はいないわ」
「最近――俺は、見知らぬガキに、そうやって忠告された」
「……どういうこと?」
ベンバドルは言った。
「いやな、今にして思えば、あいつはなにか変だった。普通は眠るかビビっていなくなっちまう黒霧の中で、平然としてやがった。灰色の髪、そう、ちょうどお前とおんなじ感じだ、短髪ではあったが、髪だけじゃない、雰囲気や顔立ちがそっくりだった。歳はいくらか下だろうが、なにか関係が――」
「その子の目は」
「目? 目っていうと」
「その子はどんな目をしていたの!?」
捲し立ててくる。必死、という言葉が思い浮かぶ。やっぱり無関係じゃないのか。それにしても目とは、ああそういえば、あのガキは普通じゃなかった。
「右が黒で、左が白……違うな、あれは銀色」ミラを見る。「お前と同じだ。夜だったが……いや、やたら特徴的だったから間違いねえ」
それを聞いた瞬間に、ミラの様子がおかしくなった。
目を見張って、ミラはふらついた足取りで後ずさった。
「そんなはずが……そうよ……あなた、きっと夢を見たのよ。これを見なさい」
ミラは引きちぎるように服をずらして、胸元の烙印を露出させた。
「私とあなたは、一心同体。精神的にも同調している。だから、時に混濁することがある。記憶は、夢として現れ、あたかも自身の体験であるかのように見紛う。あなたは、どんな状況で、どんな場所で、その子と出会ったのかしら、ちゃんと説明できる?」
夢、そうか今朝のあれは記憶。ミラクリスと呼ばれた少女は、やはりこいつだったのか。
「言っただろ、あれはあの夜の出来事だ。夢じゃない、お前と出会う前に、あのガキ――イーディスと出くわしたんだ」
「イーディス……そんな記憶、どうして信じられるのかしら。前後などいくらでも入れ替わってしまうのに。曖昧で不確かで、一秒前だって信憑性がない、それが記憶なのに」
「証拠ならある。ボタンだ。あいつを抱きかかえてな、その拍子にこれだよ」
ベストを摘んで見せつける。夢じゃない。ボタンは今でも外れていた。
「その記憶だって……真実とは限らない。ただの主観でしかない」
「なにがあったかなんて知りやしねえがな、見なかったことにするのは軽率だぜ。ヤツはアルケミストに関わるなと言った、そして俺は、お前と出会っちまった」
今度はベンバドルが胸元を見せつけた。
「それでこのざまだ。無関係だなんて――」
「無関係に決まってる。イーディスは死んだのよ、こんなところにいるはずがない」
「生きた人間だよ、あれは」
「違う、勝手なことを口にしないで……なんで……」
まるで葬式の参列者のようだった。涙は枯れ、ただ悲壮感だけが漂っている。床をじっと見つめるさまは、それこそ墓石に心を奪われているようで、見ちゃいられない。
「死んでいてほしかった、か、別に、お前らの事情なんて知りたくもない、けど、必要な情報だけは共有してもらうぜ。そっちが言い出したことだ。あいつは何者だ?」
「妹よ、妹、姉妹だったの。少なくとも私は、そう信じていた。とっても大切な家族だった。三年前に離れ離れになった。戦火の中で、私は、手を離してしまった。守りきれなかった。死んでいてほしかった? 馬鹿なこと言わないで、馬鹿なこと、なにも知らないくせに、なにも」
急に強い口調になったが、すぐに沈んだ。またふらふらと身体が揺れ始め、視線が定まらない。
ミラは目を伏せ、肩を落として黙り込んだ。
「……感動の再会ってシナリオじゃなさそうだ。むしろ」
刻印に目をやる。ミラは睨むようにこちらを見る。
「私の分析は正確よ、その呪いは悪夢由来のもので間違いない。もし本当に生きていたのだとしたら、あの子の関与は……可能性は否定できない、けれど、今は忘れなさい、私達がやることは変わらない」
ミラは言葉少ないながらも、イーディスのことを話した。
年少ながらもアルケミアを習得している。しかしそれは自分の左腕とは明確に異なる力で、荒事には向かない術だという。もし敵対するようなら脅威ではあるが、現状では彼女の居場所を特定する術はない。だからこれ以上、そのことを考えるのは無駄、だと。
自分が考えたくないだけじゃねえか、と思っても、ベンバドルは胸のうちに留めておいた。
「あの子のことは私に任せて。支度がある。大人しくしていなさい。夜になったら声をかけるわ」
最後にそう言って、半ば無理矢理ベンバドルを部屋から追い出した。
今すぐに行動を開始するべきだと抗議してみたが、ミラは聞く耳を持たなかった。串刺しにされるのも嫌なので、やれやれだ、と肩をすくめてベンバドルは部屋を出た。
廊下に出て扉を閉めようとすると、隙間から声が漏れてきた。
「イーディス……生きていてくれたの……?」
部屋は密室になり、そこで声は途切れた。




