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水銀の錬金術師と、姉を殺しにきた妹  作者: 光
第三章 姉と妹と

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第45話 偽物には、資格がない

 押し寄せる大軍を前にして、イーディスの頭に浮かんだのはミラへの懺悔だった。


 ここで死ねば、本当の気持ちを伝えられないまま終わってしまう。


 グリムなど最初から、どうでもいいことだった。無から命が生じることがあるのならば、命が無に還されるのもまた摂理だろう。ホムンクルスなどを生み出していい気になっているアルケミストの国が滅亡するのは、正直なところ、当然なのだとすら思える。


 自由に生きてさえいられれば、場所はどこでもよかった。凍てつく極寒の地だろうと、灼熱の太陽の下であろうと、黒い霧に支配された悪夢の土地だろうと。


 国に愛着なんてない、あるわけがない。あるとしたら、国ではなくて、そこに暮らす人々、とりわけ自分に良くしてくれた、あの人。唯一の家族。


 姉さま。ミラ姉さま。強くやさしい、イーディスの姉さま。


 今日まで生きてこられたのは、その愛着が裏返って、憎悪に変わったから。


 見捨てられたと信じて、何度も死にそうになって、復讐のためだけに生きて、執念というものをよりどころにして頑張ってみたけれど、結局そんな目的さえも未達成で、イーディスはやっぱり出来損ないなんだと痛感させられて。


 そんなんだから、ちっぽけな約束さえも、守れそうになくて。


 現実は甘くない。覚悟だけじゃどうにもならないことがある。岩壁は破壊され、固めた扉は突破された。後退を余儀なくされ、一階と二階は分断された。地下室への階段だけは死守するとして防戦を続けるが、もはや長く持ちそうにはない。奮戦するイグネアもいよいよ限界と見え、振りかざす炎の勢いには陰りが見える。火の防壁を展開し、討ち漏らしをイーディスが都度撃退しているが、その数が増えてきた。二階の銃声も完全に止んでいる。給弾システムが破壊されたのかもしれない。


 炎に耐えた敵が一体、イグネアに飛びかかる。対応しようとするが間に合わず、影のような手足が身体に纏わりついた。


「姉さま!」


「このっ……くらい! 燃えてしまえ!」


 半ば自爆のように敵を抱き込んでカッという赤い光とともに炎が爆ぜる。そのとき纏わりつく影から、アメーバのような銀色の流体が射出され、イグネアの喉に付着した。


「な……あ……」


 その声が漏れた瞬間にイグネアの身体はふらりと揺れ、次の瞬間には床に倒れていた。まだ稼働状態にある二体のゴーレムに敵を抑えさせ、イーディスは駆け寄った。


「嘘っ、こんなの……っ、痛いけど、我慢してね」


 水銀に侵食されようとしている。微量だが、喉を食い破るには十分だ。呼吸が止まっている。今すぐに対処しなければならない。ナイフを抜き、首元に当てる。刃先で皮膚を切り、皮を剥ぐ要領で、慎重に水銀を取り除く。出血がある。ガーゼを押し当てて傷口を圧迫、消毒を施し、包帯を巻きつける。これで体内に侵入してしまった悪いものも、極少量ならば撃退できるはずだ。


 少し身体を起こして気道を確保してやると、呼吸が戻る。ふらふらと探るように手が動いて、イーディスの頬に触れた。


「……ごめんなさい……油断を……」


「いいの。後はイーディスがなんとかするから、姉さまは休んでて」


 後ろで落石のような音がした。また一体、ゴーレムがやられた。


 イーディスはイグネアが握りしめていた白い石を手にして、立ち上がった。振り向くと、残骸の上に、悪夢の分身の姿があった。


「向こうは大詰め。こっちもそろそろ、おしまいかしらねぇ、ご主人サマ」


 ぱちぱち、と不釣り合いな拍手が響く。


「あなたは本当によく頑張ったわ。だから、ね、潔く降参――あ、そうだ、昔のよしみで、見逃してあげてもいいわよ。そこの女と、地下のお子ちゃまたちを見捨てて、一人で逃げれば、生かしておいてあげる」


 白い石を強く、強く握りしめる。これを操るのに特別な作業も、呪文も、操作もいらない。ただ胸の内で思うだけでいい。応えよ、と。


 応えて、応えてよ。お願いだから。イーディスに資格がないのはわかってる。


 でも、今、このときくらい。こんなときくらい、認めてよ。


「ねえ魅力的な提案だと思わない? ずっとずっと憎らしく思ってたじゃない。その仕返し、夢にまで見た復讐の成就、素晴らしいわ。まさに、意趣返し」


 ダメなの? イーディスじゃ、どうしてもダメなの? 姉さまじゃないから、本物じゃないから、応えてくれないの?


 イーディスが、紛い物だから。


「なによぉ、黙りこくっちゃって。もしかして、そんなものに頼ろうとしているの? 無理に決まっているじゃない、だって、贋作にはその資格がないんだから。そんな石っころより私の――」


「これが怖いんだ。お前は本体と違って不純だから、白い石を恐れている」


 やっぱり。だめだ。どんなに強く祈っても、なんの反応もない。


 反対の手で、最後の仕掛けを発動するトリガーとなる黒い石を用意した。これを砕けば、天井の石と共鳴して、屋根が崩落する。


「そうね、そのとおり、私は分身。本物じゃないから、同じようには振る舞えない。どれだけ願っても、どれだけ努力しても、所詮、偽物は偽物、よおく、わかるでしょ?」


「わからないよ、そんなの」


 最後に残ったゴーレムが崩れ落ちる。これで戦力らしい戦力は喪失した。


 やるしかない。


 黒い石を地面に叩き付ける。ごごごという低い音がして、建物全体が揺れ始めた。天井からは石屑が降ってきて、ぱらぱらと砂埃が舞う。


「あらあら、やけになっちゃったのね」


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