第44話 前に進むのよ
陸地に上がるや否や、ミラは言った。
「あいつは死んでいない。溺れるのを期待する作戦は、非合理的よ」
「実行してから言うなよ。本当は水面でぶっ殺してやるつもりだったんだ。思ったよりこっちも自由がなかっただけで、ま、プランはいくらでもある」
川に目をやる。水面はまだ揺れている。顔を少々上に向ければ、倒壊した橋の残骸。二つの塔はその大半が崩れ去り、跳開橋は完全に崩れ落ちている。
「あなたの無鉄砲さには呆れるわ」
「お前にだけは――待て、そんなことより、静かすぎやしねえか」
直感的に異変を感じ取った。
いつのまにか水面が凪いでいた。残骸の類が、ぴたっと、静止している。
「言われてみれば……音、なに、これは……」
そのときだった。
地の底が震撼していた。鳴動、呻き声のような低音が轟く。
震える大地。震える水面。震える大気。振動が空間を伝わり身体を突き抜ける。
「おいおいおい、こいつはやべえぜ、やつをブチギレさせちまった!」
「なんてこと……こんなことが……」
水面が沸き立っていた。沸騰する湯のように泡が膨れ、弾け、飛沫が上がる。高温の蒸気が充満、空間が熱波に包まれる。
そして――大渦が現れた。
瓦礫も、土も、水も、風も、ありとあらゆるものを、巻き込み、飲み込み、押し流す。やがて川幅とほぼ同じ大きさにまで広がり、
「川をまるごと錬成している……!」
天に昇る白炎の柱。川底が露呈、神の奇跡の如く、川は真っ二つに割れた。
「プランBはご破産だなこりゃ――」
「避けて!」
――閃光。
川底で、なにかが瞬いた。意識がそれを認識する前に、ものすごい力でベンバドルは突き飛ばされる。二人は、地獄の釜の底へと落下した。
「がぁっ」
胸を強く打ち付ける。息ができない。
視界が明滅する。意識が遠のく。「早く! 剣を!」という叫び声。ミラ……ミラ!
「ぐぁあおおお!!」
なにかが、巨大な塊が向かってきていた。がむしゃらとはこのこと。腰のケースより短剣を引き抜き、立ち上がり、確かめもせずに、そのなにかに掲げる。
「おおおおおお!!!」
金色の光が視界を埋め尽くした。
塊――白炎の火球は霧散する。
「ミラっ! どこだ! ミラっ!」
姿が見えない。近くにいるはずなのに、どこだ、どこに、
「大丈夫……私は、まだ、生きている……掠っただけ……」
ミラはベンバドルの足元でうずくまっていた。銀色の血が滴る右肩を抑えて、苦悶の表情を浮かべていた。
「はっ……あぁぅ……!」
ミラはおぼつかない足取りで立ち上がる。
「……油断しないで……黄金の加護から外れてしまえば一瞬で消し炭よ」
白く揺らめく視界の先に、それはいた。
「あらら、お手々離しちゃった。足手まといねソレ、殺してあげたら? なーんてね、もういいわ、人選ミス。息苦しくて死ぬところだったのよ? 公共物を破壊する悪い子はもう殺しちゃう。ああ、心配しないで『私』はその後にじっくりとね」
右手には黄金を。
「まだ、やれるな」
左手には水銀を。
「あいつをぶっ殺すと……言ったはず」
離れたら繋ぎ直す、それだけだ。
「ぼろぼろのくせに無理しちゃって。まあいいわ、続き、始めましょうか」
悪夢が両手を頭上に掲げる。
背中の触手が地面に突き刺さり、地中深くの岩盤を引き剥がす。焦げた茶色の塊は、尖端が鋭利に研ぎ澄まされている。三本の岩の槍、その一本一本は大木のように太く、長い。
そして、掲げた腕の先に、白い炎を纏った銀色の剣が現れた。その数二十四。岩槍とほぼ同じ長さのそれらは、八本ずつが岩槍を取り囲むように浮かぶ。
「野郎め、あれをぶっ放す気か。こいつじゃ防ぎきれない、どうするよ」
短剣を構えながら、横目で視線を送る。ミラはそれに答えるように左腕を銀色に輝かせた。
「決まっているじゃない」
姿を変える左腕。ミラは水銀の刃を構える。
「前に進むのよ」
「賛成、同じこと考えてた」
こんなときだというのに、頬がゆるむ。
どのような障害でも乗り越えられる、二人でなら。
黄金の短剣と、水銀の刃。手を繋ぎ、肩を並べ、切っ先を倒すべき敵へと向ける。
「『私』ぃ、この程度で死んじゃわないでねえ!」
悪夢が腕を振り下ろす。ほぼ同時、地面を蹴る。
自然と息が合う。動き出すタイミングも、考えも、なにもかもが、手に取るようにわかった。
飛来する一つ目の大槍。白炎を従えた巨大が視界を埋め尽くす。回避――迎撃――思考が脳内を巡る。瞬間、決定する。
「消えやがれええええ!」
短剣を掲げる。金光は瞬時に白炎を掻き消す。次いで、迫る岩槍、大質量の一撃が、矮小な肉体を押し潰さんと迫る。直撃すれば一溜まりもない、死は免れない。
「ただの岩など!」
左腕の一撃、水銀の刃は岩槍の正中線を正確に捉える。貫通、割れるように砕け散る岩塊。降り注ぐ残骸、だが、足は止めず、突き進む。悪夢はまだ遥か彼方。どこまでも進み続ける。
「次っ!」
「おう!」
左右から迫る岩槍。同時攻撃、だが、その程度――
「なっ――!」
岩槍が分裂。無数の矢となり襲いかかる。見える範囲が埋め尽くされている。こんなものどう対処すれば、
「その程度、思い上がるなぁ!!」
ミラは乱雑に腰のポーチから黒い石を引ったくる。手の平で鷲掴みにし、握り締め、砕け散る。左腕がまばゆい銀色の光に包まれる。
それは、巨大な鎌だった。刃渡り百メートルはあろう巨大な刃。刈り取るための、ミラの、怒りの具現化。
「消え失せろぉ!」
鎌を振るう。何物をも薙ぎ払う光。迫り来るあらゆるものを消滅させる。
光が収まる頃には、矢の残骸など微塵たりとも残ってはいなかった。
道は開けた、遮るものはなにもない。あと少し、あと少しで届く。
頼むから逃げてくれるな。
そのときだった。
――握る手に体重がのしかかる。
「ミラっ!」
顔中に汗を浮かべるミラ。足をもたつかせ、力なく崩れ落ちかける。しかし、そのまま倒れ伏せることはなく、手を強く握り締めた。
「お前……」
「大丈夫、死なないと決めた……私は!」
腕を引き、再び走り出す。
このままなら――そう思ったその瞬間。風を斬り裂く轟音、飛来する最後の障害。
「上――!」
見上げる。垂直に落下する岩槍、分裂、空が矢で埋め尽くされる。隙間など見えない、夜空はどこかに消えてしまった。逃げ場――空にも、地上にも逃げ場などない。
やつは本命を隠していた。弱ったところを確実に仕留めるために。
「あはははは! また『私』に助けてもらいなさいよ! そうしないと全身穴だらけよぉ! 早く早く、あははははは! そんな力、残ってないよねぇ!」
暗い空から、無慈悲に絶望は降り注いだ。




