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水銀の錬金術師と、姉を殺しにきた妹  作者: 光
第三章 姉と妹と

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第44話 前に進むのよ

 陸地に上がるや否や、ミラは言った。


「あいつは死んでいない。溺れるのを期待する作戦は、非合理的よ」


「実行してから言うなよ。本当は水面でぶっ殺してやるつもりだったんだ。思ったよりこっちも自由がなかっただけで、ま、プランはいくらでもある」


 川に目をやる。水面はまだ揺れている。顔を少々上に向ければ、倒壊した橋の残骸。二つの塔はその大半が崩れ去り、跳開橋は完全に崩れ落ちている。


「あなたの無鉄砲さには呆れるわ」


「お前にだけは――待て、そんなことより、静かすぎやしねえか」


 直感的に異変を感じ取った。


 いつのまにか水面が凪いでいた。残骸の類が、ぴたっと、静止している。


「言われてみれば……音、なに、これは……」


 そのときだった。


 地の底が震撼していた。鳴動、呻き声のような低音が轟く。


 震える大地。震える水面。震える大気。振動が空間を伝わり身体を突き抜ける。


「おいおいおい、こいつはやべえぜ、やつをブチギレさせちまった!」


「なんてこと……こんなことが……」


 水面が沸き立っていた。沸騰する湯のように泡が膨れ、弾け、飛沫が上がる。高温の蒸気が充満、空間が熱波に包まれる。


 そして――大渦が現れた。


 瓦礫も、土も、水も、風も、ありとあらゆるものを、巻き込み、飲み込み、押し流す。やがて川幅とほぼ同じ大きさにまで広がり、


「川をまるごと錬成している……!」


 天に昇る白炎の柱。川底が露呈、神の奇跡の如く、川は真っ二つに割れた。


「プランBはご破産だなこりゃ――」


「避けて!」


 ――閃光。


 川底で、なにかが瞬いた。意識がそれを認識する前に、ものすごい力でベンバドルは突き飛ばされる。二人は、地獄の釜の底へと落下した。


「がぁっ」


 胸を強く打ち付ける。息ができない。


 視界が明滅する。意識が遠のく。「早く! 剣を!」という叫び声。ミラ……ミラ!


「ぐぁあおおお!!」


 なにかが、巨大な塊が向かってきていた。がむしゃらとはこのこと。腰のケースより短剣を引き抜き、立ち上がり、確かめもせずに、そのなにかに掲げる。


「おおおおおお!!!」


 金色の光が視界を埋め尽くした。


 塊――白炎の火球は霧散する。


「ミラっ! どこだ! ミラっ!」


 姿が見えない。近くにいるはずなのに、どこだ、どこに、


「大丈夫……私は、まだ、生きている……掠っただけ……」


 ミラはベンバドルの足元でうずくまっていた。銀色の血が滴る右肩を抑えて、苦悶の表情を浮かべていた。


「はっ……あぁぅ……!」


 ミラはおぼつかない足取りで立ち上がる。


「……油断しないで……黄金の加護から外れてしまえば一瞬で消し炭よ」


 白く揺らめく視界の先に、それはいた。


「あらら、お手々離しちゃった。足手まといねソレ、殺してあげたら? なーんてね、もういいわ、人選ミス。息苦しくて死ぬところだったのよ? 公共物を破壊する悪い子はもう殺しちゃう。ああ、心配しないで『私』はその後にじっくりとね」


 右手には黄金を。


「まだ、やれるな」


 左手には水銀を。


「あいつをぶっ殺すと……言ったはず」


 離れたら繋ぎ直す、それだけだ。


「ぼろぼろのくせに無理しちゃって。まあいいわ、続き、始めましょうか」


 悪夢が両手を頭上に掲げる。


 背中の触手が地面に突き刺さり、地中深くの岩盤を引き剥がす。焦げた茶色の塊は、尖端が鋭利に研ぎ澄まされている。三本の岩の槍、その一本一本は大木のように太く、長い。


 そして、掲げた腕の先に、白い炎を纏った銀色の剣が現れた。その数二十四。岩槍とほぼ同じ長さのそれらは、八本ずつが岩槍を取り囲むように浮かぶ。


「野郎め、あれをぶっ放す気か。こいつじゃ防ぎきれない、どうするよ」


 短剣を構えながら、横目で視線を送る。ミラはそれに答えるように左腕を銀色に輝かせた。


「決まっているじゃない」


 姿を変える左腕。ミラは水銀の刃を構える。


「前に進むのよ」


「賛成、同じこと考えてた」


 こんなときだというのに、頬がゆるむ。


 どのような障害でも乗り越えられる、二人でなら。


 黄金の短剣と、水銀の刃。手を繋ぎ、肩を並べ、切っ先を倒すべき敵へと向ける。


「『私』ぃ、この程度で死んじゃわないでねえ!」


 悪夢が腕を振り下ろす。ほぼ同時、地面を蹴る。


 自然と息が合う。動き出すタイミングも、考えも、なにもかもが、手に取るようにわかった。


 飛来する一つ目の大槍。白炎を従えた巨大が視界を埋め尽くす。回避――迎撃――思考が脳内を巡る。瞬間、決定する。


「消えやがれええええ!」


 短剣を掲げる。金光は瞬時に白炎を掻き消す。次いで、迫る岩槍、大質量の一撃が、矮小な肉体を押し潰さんと迫る。直撃すれば一溜まりもない、死は免れない。


「ただの岩など!」


 左腕の一撃、水銀の刃は岩槍の正中線を正確に捉える。貫通、割れるように砕け散る岩塊。降り注ぐ残骸、だが、足は止めず、突き進む。悪夢はまだ遥か彼方。どこまでも進み続ける。


「次っ!」


「おう!」


 左右から迫る岩槍。同時攻撃、だが、その程度――


「なっ――!」


 岩槍が分裂。無数の矢となり襲いかかる。見える範囲が埋め尽くされている。こんなものどう対処すれば、


「その程度、思い上がるなぁ!!」


 ミラは乱雑に腰のポーチから黒い石を引ったくる。手の平で鷲掴みにし、握り締め、砕け散る。左腕がまばゆい銀色の光に包まれる。


 それは、巨大な鎌だった。刃渡り百メートルはあろう巨大な刃。刈り取るための、ミラの、怒りの具現化。


「消え失せろぉ!」


 鎌を振るう。何物をも薙ぎ払う光。迫り来るあらゆるものを消滅させる。


 光が収まる頃には、矢の残骸など微塵たりとも残ってはいなかった。


 道は開けた、遮るものはなにもない。あと少し、あと少しで届く。


 頼むから逃げてくれるな。


 そのときだった。


 ――握る手に体重がのしかかる。


「ミラっ!」


 顔中に汗を浮かべるミラ。足をもたつかせ、力なく崩れ落ちかける。しかし、そのまま倒れ伏せることはなく、手を強く握り締めた。


「お前……」


「大丈夫、死なないと決めた……私は!」


 腕を引き、再び走り出す。


 このままなら――そう思ったその瞬間。風を斬り裂く轟音、飛来する最後の障害。


「上――!」


 見上げる。垂直に落下する岩槍、分裂、空が矢で埋め尽くされる。隙間など見えない、夜空はどこかに消えてしまった。逃げ場――空にも、地上にも逃げ場などない。


 やつは本命を隠していた。弱ったところを確実に仕留めるために。


「あはははは! また『私』に助けてもらいなさいよ! そうしないと全身穴だらけよぉ! 早く早く、あははははは! そんな力、残ってないよねぇ!」


 暗い空から、無慈悲に絶望は降り注いだ。


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