第42話 お前も水は苦手か?
ベンバドルは繋いだ手を一段と強く握りしめた。
夜は更け、まもなく日付が変わろうかという頃、黒い霧と共にそれはやってきた。
「断頭台は人知れず、処刑は厳かに静寂の中で。落ちた首を拾う者はなく、ただ一人死に酔いしれる――ごきげんよう『私』、そしてベンバドル、素敵な死に場所ね」
パンッ、乾いた銃声が響く。
「うるせえ、黙ってろ」
ライフルより発射された弾丸が、悪夢の額に達する。しかし相変わらずの石頭で、仰け反りすらしない。
「ご挨拶ね。もう少し賢い男だと思っていたのだけれど、少々不愉快だわ」
「イライラじゃねえか。計画が狂ってご不満ってか、安心しろ、お望み通り殺してやる」
見せつけるように繋いだ手を掲げた。
「お手々なんか繋いじゃって、ああ気持ち悪い。愚か者に犯されて『私』も耄碌してしまったのかしら。いいわ、四肢をもいでから殺してあげる。今のうちにたっぷり味わっておくことね」
言い終わる前に悪夢は腕を突き出し――
「跳ぶわよ」
衝撃と共に二人の身体が宙に舞う。悪夢の放った刃が足元を通過する。
「上に逃げるなんて、呆れてしまうわ」
悪夢は腕をこちらに向ける。確かに逃げ場はない、ないが、
「くらいやがれ!」
「――!」
右腕に忍ばせていた黄金の短剣を――投げつける。当たりさえすれば過程はどうだっていい。
「っち……!」
悪夢は攻撃を中断。後方に大きく飛び退く。こちらはすかさずに追撃。着地と共に地面を蹴る。ミラに引かれ猛スピードで路地を駆ける。黄金の短剣を拾い上げ、もう一度、投げつける。
「下品な……っ……!」
悪夢は縦に跳躍。民家の屋根へと飛び乗った。
「ふざけた真似を……思い知りなさい」
空が白銀の剣で覆い尽くされる。屋根の上から二人を見下ろす悪夢。腕を振り上げ――
「拾って! 掲げて!」
振り下ろす。光が瞬くように無数の剣が降り注ぐ。
転がり込み、地面に落ちた短剣を手元に引き寄せる。しゃがんだまま、ミラの盾になり、迫り来る攻撃に向けて、黄金の短剣を掲げた。
閃光は水銀を跳ね除ける。拡散する白銀、溶ける剣。黄金は一切の不純を寄せ付けない。
「大丈夫か?」
「ええ……光を直視しなければなんとか」
繋ぐ手を持ち上げ、ミラとは背中合わせに立ち上がる。見上げると、不機嫌な顔がこちらを見下ろしていた。
背中から生え出る銀色の触手。脊椎部より六本が伸び、うねうねと身体の周囲に漂わせている。先端が三叉に分かたれ、まるで指のように振る舞っている。
「ちゃんと避けてね」
動き出した触手は、民家の屋根に突き刺さる。強引に引き剥がし、吸着させ、瓦の塊が六つ形成される。背後に漂わせるそれを、悪夢は投擲した。
「……走るわよ!」
「ちぃ、先手必勝ならずか」
駆け出す。黄金の短剣は万能ではない。水銀に起因する攻撃は跳ね除けられても、それ以外の物理的な攻撃にはまったくもって無力である。
衝撃、背後で瓦爆弾が炸裂する。次いで二撃目、頭上から――
「そんなもの!」
ミラが左手を振りかざすと、瓦爆弾は頭上で粉々に砕け散った。破片の中を突っ切る。三発四発と立て続けに飛来、いずれも迎撃。走り続ける。視界の先に裏路地の出口が見えてくる。
「表に出るぞ!」
走り抜け、表通りに出る。ストリートの坂を駆け上がる。
背後から飛来する攻撃。瓦だけではなく、そこかしこに置かれている物ならなんでも利用している。駆けて、避けて、時にはミラに頼り、猛攻をかいくぐる。
息が切れても走り続け、メヒスト川のほとりまでやってくる。
付近に建物はない。この先二百メートルにあるのは、川と、橋だけだ。ちらりと振り返る。悪夢は屋根から降り、地面を駆け、質量弾を携えながら迫りくる。
「いつまで逃げ回るつもり? もしかして、私が怖いのかしら」
この地に架かる橋の名はツインタワーブリッジ。跳開橋となっており、可動部を挟むようにして地上六五メートルの主塔が向かい合う。故にツインタワーブリッジ。そして、この主塔は開閉を制御するためだけに存在するわけではなく、特徴的なのは橋が二層式になっているということ。下には跳開橋が、主塔の上部には二本の歩道橋が架けられている。
手前側の主塔を抜け、跳開橋へと。足を止めず、頭上を見上げ、ベンバドルは叫んだ。
「上だ! 跳び移れ!」
手を繋いだまま跳び上がる。七分ほどの高さまで舞い上がり、ミラは銀椀をロープのような形状に変形させ歩道橋を捕まえる。すぐさまスルスルッと腕が元に戻り始め、その勢いを利用して歩道橋へと飛び乗った。
ベンバドルはコートの内側から探る。茶色い箱型、菓子の包みかなにかにしか見えない爆薬、TNTを取り出した。
取り出した爆弾を乱雑に置いていく。導火線は約十五センチ、マッチで火を付けてやればすぐにでも爆発を起こす。威力は申し分ない。これだけあれば厚い岩盤さえも砕けるだろう。
「泳げないってのは本当だろうな」
「重いのよ、この身体は」
「ならやっこさんはもっと」
言いかけて。気配。コツコツ、主塔方面より足音が響く。
悪夢はわざわざ階段を上り、塔の内部から上にやってきたらしい。触手は宙ぶらり、手ぶらだった。
「追いかけっこはもう終わり? こんなところに来ちゃって、特攻でもする気かしら。あ、そうだ、手足をもいだ死体を宙吊りにするというのはどうかしら、ここならきっと素敵な晒し者になれるわ。もしかしたらあの子達の目にも入るかも……うふふ」
言いながら悪夢は、触手を塔の上部へと伸ばす。
剥がすのは屋根ではなく――建物そのもの。
六本の触手全てが支えとなり、引き剥がされた主塔上部が持ち上がる。背負ったまま悪夢は歩み寄る。極大重量を支える貧弱な橋がギシギシと吠える。
「おいおい公共物を壊すなよ、役人が泣くぜ」
悪夢が近づく。
「お生憎、泣くってなにか知らないの」
さらに近づく。
「さて、どうしましょう。このまま潰されるか、『私』を黄金の短剣で貫くか。選んでいいわよ、私は寛大なの」
足を止める。
歩道橋の中腹、やや手前。悪くはない。
「なあ、一つ聞いてもいいか」
マッチに火を付ける。幸いにも風は緩やかだった。
「ええどうぞ。代わりに企みを教えてくれるかしら」
重ねた手のひらを強く握りしめる。
「てめえも――水は苦手か?」




